太古の王と千年後のふたり 2

明良あきら……。下がってて」


 憤怒のゼダンを向こうにして、目を離さないままに美名はささやいた。


「……何故だ? 何故、そんなことを言う?」

「手……、ケガしてるでしょ?」

「……俺の左の手首のことか?」

「……うん。それ、折れてるんじゃ……」


 先ほど、逃走を図った司教に掴みかかり、抵抗した自奮じふんの手刀により受けた傷である。その際、ゼダンは幻燈げんとう術による弱化の影響にあったため、手首が寸断されることはなかったものの、重い一刀ではあった。

 手首の付け根が赤黒く腫れはじめており、五指ごしは絶えず震えている。

 明らかに異状を見て取れるが、少年は「心配無用だ」とうそぶいた。


「こんなもの、『他奮たふん』の世話にもかからん」

「でも……、支えもなしで放っておいたら……」

「……」


 明良はふぅとひとつ息を吐き、足元に「幾旅金いくたびのかね」を突き立てた。

 懐から小刀を取り出し、刀身を抜き出し、さやを落とす。と、代わりに、腰に提げていた刀鞘――「神代じんだい遺物いぶつ・合わせづつ」に抜き身を納めた。すると、遺物の刀鞘は識者術を受けたように瞬時に縮まり、小刀に合った長さとなる。

 ふたたび小刀を抜き出してポイと投げ捨てると、明良は「合わせ筒」を腰より引き抜いた。ちょうど、少年の前腕に合うような長さの刀鞘――。


「支えは作った。これでいいだろう」

「でも……」

「……見下げるなよ」


 鞘支えに使っていた紐で「合わせ筒」と自らの左腕とを巻き上げながら、明良は咎めるように言う。


「ここまでたかぶった俺をけ者にするなど、考えられん。この程度の傷でお前が俺を案じてくれるなら、俺は幾度、お前からそのかたなを取り上げればいい?」

「……」

「見下げないでくれ。あの稀代きだいけ者をお前ひとりに任せ、引きさがるような俺だと思わないでくれ」


 明良の反発に言葉を失った美名であったが、ひとつ瞬きをすると、「ごめん」と小さく謝った。すぐに、片手のために難儀している固定結びに手を貸してやる。


「ごめん……。怒らせた……」

「怒ってなどいない。嬉しいんだ」


 身を寄せ、ともに巣を作るつがいどりのようなふたりに、「終わったか?」との声が割り込む。

 支えを作り終え、目を戻したふたりが認めたのは、いくらか冷静さを取り戻したような司教ゼダンである。


「貴様ら。意気がるだけ意気がり、逆撫でするだけしておいて、惚気のろけて私を放っておくとはさかりが過ぎないか? おかげで、落ち着きを取り戻せたぞ」

「……この隙に襲い来るものかと気を残してはいたが、案外、大司教は寛容なようだな」

「魂の旅路において、ゼダンにを授けたなどと流言りゅうげんされてもコトだからな。これで『解除』の借りは帳消しだ」

「もとから、アンタに貸したつもりなんてないわ」

「……ついでだ。『治癒力強化』もかけてやろうか?」

「それこそ、いらん」


 言い切った明良は「幾旅金」を地面より引き抜くと、美名とふたり、司教に構え向かう。

 ゼダンの方も、若い男女をあざけからかう気配を潜め、腕を上げる。

 刺すような日の光もゆるやかになりつつ、丘での対峙の光景はお互いの激情をはらみつつ、しんとした――。


「……けろ」


 初手はゼダン。

 スギの幹よりも太く、槍の穂先よりも鋭く、野分のわけの風よりも速い「氷柱こおりばしら」が放たれた。


 すぐさま、美名と明良も動く。

 まずは美名。

 少女は氷の動力どうりき術の射線から身を外し、司教に一直線に駆け向かった。

 お互いがお互いに尋常でない早さ。美名と氷柱つららがすれ違う。

 一方の明良。

 すさまじい速度で迫り来るとはいえ、氷柱の標的から外れることは彼にとっても難しくない。横に避けて、氷の矢をやり過ごすことは容易い。それが、――。


けてみろ、小僧ッ! その『氷柱こおりばしら』は『ナ行・炸化さくか』が施されてもいる『独詠どくえい』の弾だ! 身をかわした直後、背後での爆裂と細分化された氷礫こおりつぶてが貴様を襲う!)


 ゼダンはほくそ笑むと、少年はすでに致命傷に至るものと確信し、向かい来る美名に目を向けた。平手もまた、かざし向ける。


キッキィイン


 「ラ行・風韻ふういん」の異音。

 現存しない、

 聴いた者を前後不覚の感覚喪失に陥らせ、圧倒的優位を得る魔名術の不快音。

 だが――。


「……止まらんッ?!」


 美名は「風韻」に対し、「ワ行・奪感だっかん」での対処を心得ている。

 使のことなど意にも介さないゼダンは、美名がすでに「風韻」と対峙した者であることを知らなかった。


「ニクラにこの術を教えたのは、アンタね!」


 「風韻」の圧に耐えしのいだ美名の怒声に続き、さらに奥では――。


「……悪辣あくらつは、決まりでもあるのか?」


 少年の冷静で、呆れるような声。


 ハッとしてゼダンが目を向け直すと、小僧は魔名術の矢に対し、左の腕を掲げ上げていた。

 まるで、自らも魔名術を放つがごとく、「を――。


「合わせのかえしッ!」


 ゼダンの「独詠」の氷柱つららは、少年の手首で口を拡げていた「合わせ筒」に吸い込まれ、消えた。直後、同じ口より無数の氷が飛び出してくる。


「巨大な氷矢ひょうしが細切れになって出てきた……。やはり、なにか姑息な仕掛けをしていたか!」

「くっ?!」


 もとより尋常でない速度であった「氷柱」。

 数段加速された魔名術は、目にも止まらずに術者にかえってくる。


「……焔屏ほむらべいッ!」


 咄嗟に作った炎の遮りで、氷の難を払ったゼダン。

 だが、もう一方の難には手が遅れた。


カァン


「クッ!!」


 「風韻」を耐えられても、ゼダンには向かい来る少女を迎撃できる余裕があった。

 しかし、魔名術反しへの対処に手間取られた隙、美名は寸前まで迫っており、「嵩ね刀」を受ける「自奮」を施すだけで手一杯であった。

 遺物の刀と手刀。

 刃が交わり、火花散る――。


餓鬼がきどもが……。盛るだけのことはある、よき連携だな!」

「……当然よ!」


 お互いに刃を押し合いし、距離をとる美名とゼダン。

 少女と少年。

 立志より千年後に立ちはだかった、年若き者ども。

 侮りきるほどには易くない相手だと、ゼダンは思い直した。

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