太古の王と千年後のふたり 3

大都だいと王の底が見えたな」


 美名とゼダン、ふたりが間合いを図るところ、明良あきらがにじり寄る。


「底って……?」

「ああ。主神の現身うつしみなどとほざいてはいても、所詮、ということだ」


 歩み寄り、少女と並び立った明良は、司教を射るかのよう、「幾旅金いくたびのかね」を突きつける。


「術の威力には確かに目をみはる。だが、破格の十行じっぎょうを同時に、一気に放てるわけではない。せいぜいが三、四種程度といったところか」

「……そうか。そうね……。今も、『他行ほかぎょう』の術が連続してるだけだった……」

「美名、俺たちは十行大師の揃い踏みを相手にしてるわけではない。相手はただのヒトだ。シアラと同じ、だ」


 ギロリと睨みを寄越すゼダン。


「また、得意の逆撫でか?」

「……どうとでも取れ」

「もう、貴様の傲岸ごうがんな物言いに効はないぞ。すでに私は自戒に努めている。貴様ら、存外に武芸に卓越しているな。我が魔名術を前にして、怖じもしない。趣向を変え、今度は私がからめ手を披露しよう」


 司教が掲げる平手が光る。

 筋張った指のひとつひとつが多彩に色を発し、まるで、雨後うごの虹を平手に纏ったかのよう――。


「……ほざけッ!」


 次の仕掛けで初めに動いたのは明良。

 「合わせづつ」の左腕を差し向けながら右の刀を引きつけた姿勢、突きの構えでゼダンに突進する。迎撃の魔名術がこようとそれを返し、「幾旅の突」を見舞う目論見だ。

 美名も刀を振りかぶった体勢で相方に追随する。

 待ち受けるゼダンは、その場を動かず、ただニヤリと口の端を吊り上げた。


「……『色浴しきよく』」


 平手が彩色さいしきさまざまにきらめいた。

 直後、ゼダンに突き向かっていた少女と少年はけつまずいたかのよう、ふたり揃ってその場に転び倒れてしまう。


「……どうだ? 貴様らが敬愛するモモノが遺した、マ行幻燈げんとうすいは?」


 後ろ手を組み、説諭する教会師のごとく、威厳持って歩み寄ってくるゼダン。


「『癇起かんき』や『躁起そうき』という幻燈術がある。低段のマ行の魔名術者が用いる、程度の低いものだ。はしゃぎすぎた子どもをなだめるのに使ったり、気が落ちている者の気分転換をさせるような、他愛のないもの……」


 美名の前に立ち、ゼダンは倒れ伏すふたりを睥睨へいげいする。


「『感情操作』の魔名術は、私が知る限り、七種。『怒り』、『興奮』、『虚無』、『安寧』、『困惑』、『畏怖』、『悲哀』。これらの感情を喚起させる七種だ。モモノはあの夜、七種の術を一度に仕掛けるこの自前の型を『色浴』などと称し、私に対してきた。ヒトは……、生き物は、猛烈な感情の起伏が多様に襲ってきたとき、どうなると思うかね?」


 ゼダンは笑みを深め、少女の顔を覗き見る。

 喜怒哀楽、彼女の相貌はひとところに落ち着くことなく千変万化しており、見る者にもどこかしら不安を催させる――。


「貴様らが今、味わっているとおり、動けなくなる。外界のことなど何も受け付けなくなるのだ。自らの精神の処理に手一杯となり、身体の自由が一切利かなくなる。この『色浴』、対する相手が何人いようと関係ないだろう。マ行幻燈は『魔名の光を見た相手』すべてを効果対象とできる。乱戦であっても重用できる優れものだ。あの不肖な弟子は、モモノは、やはり傑物けつぶつであったな」


 同じく表情を入れ替わり立ち替わりさせている少年にもチラリと目を流し、ゼダンは「だが」と断じる。


「相手が悪かった。相手が同じ、『マ行幻燈の熟達』であれば、対処のしようがある。感情の高低に揺さぶられるなか、自らをなんとか反術にかけ、『色浴』のひとつひとつの色を相殺する。私も危うく、忘我のうちに首が落とされる寸前であったところ、そうやって回復できた。現世うつしよに立ち返った私は、至近にあったヤツの、何十年も変わっていない、それこそ化け物じみた麗顔れいがんを焼いてやったよ。幻燈の熟達でない貴様らにできるか? 『色浴』から逃れることが」


 ふんと鼻を鳴らし、ゼダンは腰を屈める。

 手を伸ばす先は美名の得物、「かさがたな」――。


「この宝剣は餓鬼には過ぎたものだ。の元に返してもらおう」


 つかに手を掛け、刀を持ち上げようとするゼダン。


「む……。重い……。いや?」


 存外に易くは持ち上がらない「嵩ね刀」。その超質量、見た目以上の重みがある。

 だが、それだけではない。

 少女の柄に掛けた手が、弛緩から一転、力が込められ、強く握られ、相棒が奪われることを阻んだのだ――。


「小娘?! グッ?!」


 直後、男の横顔に握り拳が見舞われた。

 仰け反り、四、五歩を後退あとずさるゼダン。

 ふいをかれたものの、咄嗟に「サ行・耐力強化」を施したため、拳撃での負傷はない。だがゼダンは、それ以上に少女が回復したことに驚愕し、戸惑っていた。


「な……、マ行の魔名でもない小娘が……」

「……激しい感情の起伏ですって……?」


 わなわなと震えながら、立ち上がる美名。

 おくれてではあるが、少年もまた、ギリギリと歯噛みしながら身体を起こした。

 司教を見据えるふたりの瞳には、多彩な色などない。

 持ち前の深紅と青灰せいはい色。

 凛然とした瞳の色が、ただ冴え渡っている――。


「そんなもの、うに……。貴様と相対した時点で、嫌になるほど味わっているぞ……」

「モモねえ様の幻燈は……、アンタが響かせていいものじゃない!」

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