大河とふたり 1

 福城ふくしろの夜――。

 通りを歩く美名を導くように、家々の灯りがいくつも連なる。

 その灯りのひとつから、笑い声。また別の灯りからは、ふかした芋の香り。また違う灯りでは、月でも見ていたのだろうか、窓際に子どもがいて、すれ違いざまに目が合った美名は、そのおさに笑いかけた。


「……やっぱり、ヒトがたくさんよね。福城だもの……」


 笑い返して手を振ってくれた子の姿に、胸が温かくなる。


 彼女は今、教会区を出て、城喜しろき川にかる橋のひとつを渡り、飲食店街を目指している。昼間、クメン師とクミと昼食を取った店だ。明良との待ち合わせのためである。

 ふたりとも福城には不案内であるが、落ち合うのに適当な場所を探っているうちに、明良も知っている、ということが判り、その店になったのだ。


 そうこうしているうちに、美名は飲食店の通りに入っている。

 昼とは違って道にまで卓と席が出張り、赤ら顔の人々が食事と会話を楽しんでいる様子。福城の軒酒屋はおおむね賑わっているようだった。


「クミ……。な~んか、変な様子だったのよね……」


 美名は当然についてくるものだと思っていたのだが、クミは主塔に残った。


『私は一緒に行かないわ。あのに襲われでもしたら、足手まといになっちゃうかもだし……』


 言葉の割にはどこか楽し気な表情でクミは言ったものである。


『……そうそう、そうなったらコトだから、明良と会うときは屋外にするのよ? ひと立ち回りあってもヒトの迷惑にならないように。できれば、街路樹とかがそばにあるようなトコロがいいんじゃないかなぁ……。あ、あと、直前には鏡でも窓ガラスででもいいから、身だしなみ整えるのよ!』


「……どういう意味だってのよ……」


 しかし、友人の言葉を思い出すと、美名には気にかかりはじめる。

 ――鏡か窓ガラスはないか?

 背負い袋の中には手鏡があるが、生憎あいにく、主塔にあてがわれた部屋に置いてきてしまっている。ニヤニヤとするクミに少し意地を張って、美名は手ぶらで出てきていたのだ。


「すみません」


 少女は露天ろてんで酒盛りをしている一群のひとりに声をかけた。


「……ン? どしたい……。ってか、えらく可愛いお嬢ちゃんだなぁ。それは、『色変しきへん』してんのかい? 赤髪と銀髪とで、綺麗なモンだ……」


 照れるのを隠すように、美名はお辞儀をする。

 だが、その所作は、他の客の注意も引いてしまったようだ。「なんだ?」、「どうしたぁ?」と、そこかしこで声が上がり出す。

 美名は顔を上げると、恐縮するようにポリポリと頭を掻いた。

 

「……どなたか、鏡をお持ちでないでしょうか?」

「鏡ィ……? おぉい、誰か! ご麗人が鏡持ってないかだってよぉ!」


 声をかけた壮年の男が大声で訊くものだから、一層に周辺の注意が集まる。

 小柄な麗人がさらに身を小さく縮こませる中、ガヤガヤと騒がしくなった客の中からひとり、男が立ちあがった。


「……あ、さて! あ、さて!」


 男は妙な囃しをつけ、くねくねと踊りながら、美名に近づいてくる。


「わたしゃ、暢気のんきなニ・センゾ! あなた、可憐なご麗人! とくらぁ、よいよい!」

「よ、待ってました! 剽軽ひょうきん大師たいし!」


 取り巻く客らもおおいに笑い、囃しに合わせて手拍子をつけ出す。

 つられて美名も、陽気な空気に笑みが零れた。


「この手にあります小皿はね! ただの小皿じゃございやせん! 不思議な、奇怪な、一品だぁ!」


 男は掲げ上げた小皿に、もう片方の手をかざす――。


「ナ行・滑化かっかぁ!」


 彼が詠唱した魔名術は、昼間、識者しきしゃの大師ノ・タイバも行使した、「物を滑らかにする」魔名術である。

 すなわち、所望した美名のため、「ナ行識者」の魔名術で、小皿を即席の鏡に仕立ててくれた――。


「あぁ! すみません、わざわざ……、って……あれ?」


 ――わけではなさそうだった。

 平手を除けられた小皿は、依然、陶器のままである。


「残念、ざんね~ん!」

「え……? あれ?」


 パチパチと瞬きをし、呆気にとられる美名。

 だが、すぐに彼女は気付いた。周囲がいつのまにやら静まりかえっているのだが――面々の目は笑っている。噴き出すのをこらえるように、口を覆っている者もある。

 識者の男もニヤリとすると、小皿を裏返した――。


「お嬢ちゃん、そうカッカすんない! ホントの『滑化』はコッチでぇっ!」


 男の手の中、小皿の裏面がキラリと光る。


「……だぁはっはっ! やりやがった!」

「からかっちゃ可哀想だろうよ!」


 解き放たれたように客たちは笑い出した。腹を抱えて転げまわる者もある。

 どうやら、この識者の男が何かしらの仕込みをするであろうことは、飲み仲間たちには判り切っていたことらしい。

 美名ひとりが目を丸くしていたのが、皆をさらに可笑しくさせてもいた。


「はいよ、お嬢さん」

「あ、え……?」


 喝采に包まれながら、男は美名の手をとると、鏡面化した小皿を乗せてくれる。


「これから『よきヒト』に会いにでもいくんだろ? 餞別せんべつだぁ! もってけ、もってけ!」

「ちょっとセンゾさん! それ、ウチの店の!」

「俺のツケに回しとけぇ!」

「いつまでも払わないツケにかい?!」


 場に、また大きな笑いが起こる。

 もらってしまっては悪いと思った美名だったが、この楽しい雰囲気に水を差してもよくないと、笑顔で受け取ることにした。


(私もいつかこんなふうに、皆と、お酒を楽しんで飲めるようになるのかしら……)


 盛大に送り出してくれる陽気な酔客すいきゃくたちに礼を言うと、美名は明良との待ち合わせ場所に向かう。

 チラチラと、小皿の鏡を覗き込みながら――。

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