気丈な他奮大師と誠心の劫奪大師 2

「私は反対」


 クミは憤然ふんぜんとして言う。

 夜のとばりが落ちたセレノアスールの町なか、美名とクミのふたりは、積もった雪に足をとられないよう気を付けて歩きつつ、話し合っていた。議題はもちろん、ヤヨイ少年が最前に「悠夕ゆうゆう書架しょか」で頼みこんできたこと――「他奮たふん大師への治癒協力」についてである。


「ごめん、クミ。クミが反対なのは判ったけど、もう一回、整理させてね」

「いくらでも!」


 ユ・ヤヨイは、実のところ、ハマダリン大師と師弟の間柄にある教会員であった。

 彼が言うには、ハマダリンが教主フクシロとの謁見を拒み続けているのには理由があり、それこそまさに、大師がわずらっている病なのだという。

 本来であれば魔名教会に報告し、大師職を辞任、療養に入るべきであるが、ハマダリン当人の強い言いつけにより、教区館の一部の者以外、事実は隠されてきた。

 だが、それにも、最悪の終わりが見えてくる。

 他奮術や民間の療法、考え得る手立てはうの昔にやり尽くした。快癒が見込めないままに臥床がしょうは長くなっていき、今や、重篤じゅうとく昏睡こんすいも度々起こしている。

 死期おわりはもう、近い。


 ヤヨイにとって、ハマダリンは十行じっぎょう大師たいし以上の存在である。敬慕けいぼする師の行く末に、弟子の精神も弱りきっていた。

 そんな折、美名の「ワ行・物貰ものもらい」を目撃したヤヨイは、この劫奪こうだつ術に光明こうみょうを見出した。ワ行の少女の援けを得られれば、あるいは、と希望を感じたのだ。


 彼が持ち掛け、語ってくれた道筋――治療の手立ては、以下のとおりである。


 一、 美名が「物貰」の術を用い、ハマダリンから

 二、 ハマダリンはトキ婆と同様、平常を取り戻す(であろう)。

 三、 美名に病状が出る(かもしれない)。出なければ、治癒は完遂。

 四、 快復した他奮大師の「治癒力強化」を用い、美名を全快する。


 天啓てんけいを得たとばかりに意気上がるユ・ヤヨイを前にして、ふたりは当然、当惑した。どこから考えていけばよいのか。何を判断すればいいのか。あまりに性急な話に、ふたりは困惑することしかできなかった。

 ただひとつ明白だったのは、即断できる内容ではない、ということ。

 ひとまずは「優先して確認したいことがあり、その道々みちみちで返事を決める」と言って別れると、ふたりは「大都だいと大陸行き」の船の手筈てはずをつけられるかどうか確認するため、港に向かうことにしたのだ。


「このお願いは、わ」


 ヒゲ毛をピンと張って、黒ネコはかぶりを振る。


「『ヤ行・治癒力強化』は、大師の病気には全然効かなかったってハナシでしょ? いくら『ヤ行他奮』のエキスパートだって言っても、美名が病気を奪って、それで元気になった大師がヤ行の魔名術を使っても、美名がちゃんと元気になるなんて保証、どこにもないわ。魔名術が効かない、。それに、最悪の場合、『治癒力強化』のヒマもないまま、美名が死んじゃうかもしれないんだよ……」


 クミは、自ら話す内容がなお怖ろしいのか、歩を進めながら、ぶるりとひとつ身震いした。


「私は絶対に反対。あのヤヨイって子、おとなしいカンジで、よくもまあ、とんでもないお願いしてくるモンだわ。こんな話は断って、船が出てくれるようだったら、すぐにでも大都に向かいましょうよ」


 憤懣ふんまんのネコであったが、美名はひと言も返してこない。

 クミが見上げた先、少女も歩を進めながら、向かう先の海の暗さに目を遣っているようだった。

 足運びに合わせ、揺れる銀の髪。

 透きほほに残る微かな涙跡。

 引き締められた薄桃色のくちびる

 クミは、少女の心中しんちゅうを悟る――。


「……受けるつもりね?」

「……うん」

「本気……、だよね?」

「うん」


 美名とクミのふたりの鼻先で、しおの匂いが香る。港が近い。


「ヤヨイさん、すごく真剣な目だった。すごく真っ直ぐ、私に援けを求めてきてた。あの目はきっと、大事なヒトを大切に想う気持ち……」


 街灯のほの明かりの下、少女の瞳は深い紅色べにいろたたえている。


「『ワ行劫奪』にしか、私にしかできない……」

「でも……。美名……」

「私の……、大師としての一番の責任。『ワ行劫奪』はこれから、居坂いさかに生きる皆に認めてもらわないといけない。他行ほかぎょうと同じように、ワ行はともがらの援けになれるって、示していかないといけない。そうじゃなきゃ、いつまでも『裏切りの魔名』は……、私は……。私だけじゃなくて、あとに続いてくる子たちも、皆の仲間に入れてもらえない」

「そんなことナイでしょ……」


 「ううん」と少女は、ゆっくり首を振る。


「今回のことはきっと、そういうコトだわ。なにより、クミ。私の心はずっと、『応えろ』って言ってるの。私は、私の心にウソをきたくない」

「……はぁ」


 立ち止まり、大きくため息を吐いたネコに、美名は振り返って「大丈夫だよ」と微笑みかける。


「心配してくれてありがとう、クミ。私は絶対に大丈夫。不思議と、危険な予感は全然しないんだよ。私の、こういう勘が当たるってクミも知ってるでしょ」

「うぅ~ん……。でもねぇ……」

「それに、三人いっしょに年明けの雪を見ようって約束したんだもの。明良あきらにまた会えるまで、私は絶対に大丈夫」


 顔をほころばせる美名の一方、不貞腐ふてくされたように顔を背けるクミだったが、そっぽを向いたまま、「判ったわ」とネコは呟く。


「……うん。まぁ……、これが美名なんだよね。いちど決めたら、ホントに頑固……」

「そう、頑固だよ。だからクミは観念してね」

「無理だけはしないでよ? 三人で雪を見るんでしょ? 私はそんな約束、した覚えないけど……」


 釈然としない様子のネコに「ふふっ」と笑みを零すと、美名は、ずっと手のなかで遊ばせていた「ヒコくん」の人形を眺め下ろす。

 旅立つ際、お互いの人形を交換していた美名と明良。

 クミのように真っ黒なネコの「ヒコくん」に、少女は「よきヒト」を重ねて見る――。


「そうよ!」


 ふいに、少女は大声を張った。

 その拍子ひょうしに、近くのひさしから雪がドサリと落ちてきて、小さな黒いネコは埋没してしまう。


「ふぁ~ッ?!」

「そうだよ! 『再会するまで、絶対に』……。私は明良に、ハッキリとそう言ってもらいたかったんだ!」

「ふぁっほ! ひぃふぁ~!」

「よし! そうと決まったら、すぐに港に行って、すぐにヤヨイさんのところに行こう、クミ!」

「ふぁふへふぇ~!」

「クミ? クミぃ! どこ行ったの?!」

「ひぃふぁ~!」


 ネコを助けだしてから、ふたりは船着き港に駆け込んだ。

 港では、船番の者に確かめてはみたものの、クミが確認した昼間と同じで、大都へ船を出すことはできないと言われてしまう。

 しかし、船が出ようと出まいと、ふたりにはさらなる優先が出来ている。「次の機会に」、「大都に行ってから」などと余裕は作れない、危急の任がある。

 「他奮大師の治癒に協力する」――。


 機がよかったのか、「神代じんだい遺物いぶつ相双紙そうぞうし」を通じ、明良とも少しばかりのやりとりができた美名は、雪をまだ少し被って憮然ぶぜんとしたままの黒ネコを懐中かいちゅうに収めながら、教区館を目指したのだった。

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