気丈な他奮大師と誠心の劫奪大師 1

「リン様がわずらっていられるのは『かぜの病』のようなのですが、伝染するものではありません」


 教区館の廊下を歩く、ルマ執務部長と白い外套衣の少年。後ろからついてくる少女らに目を配せると、ユ・ヤヨイ少年は潜めた声で言った。

 等間隔の採光窓からは数日ぶりの月明かりが差し込む、冬の夜の晴天。しかし、一団の雰囲気は晴れやかとは言えない。


「『風邪かぜの病』……?」

「あ、いえ……。失礼しました」


 ピンと来ていない様子のふたりに、ヤヨイは目線を下げて謝る。


「『風』とは、リン様の門下で研究中の『病気の原因』に関する分類語です。『ヒトの不調の原因』を、『しんたいふう』の三種に大別して特徴づけます。みっつめの『ふう』……、『かぜ』とは、患者当人以外に原因があって、引き起こされるであろう病の総称です。ふいの火傷やけどや季節ごとの風邪感冒かんぼうなどですね」

「はぁ……」

「伝染性の病も『風』に分類されます。リン様を筆頭として私たちが行っているのは、疾患に対し、これまでのようにただ漫然と『治癒力強化』を施すだけでなく、病の根源を正確に見定め、原因ごとに適切な療法を選ぶ……。そういう研究です。地域差や個人差、性差でばらつく薬食くすりぐいの効能を明確にし、予防法を開き、ときには他行ほかぎょうとも連携していくことで、ともがら全体のよりよい健康維持に繋げていく……」


 少し小難しい話で美名はついていけない様子だが、彼女の懐中のクミは「なるほど」と思った。


(まだ少し、文明的には劣ってるなって思う部分も残ってたけど、居坂いさかは居坂で、色んなことが進んでる真っ最中なんだよね。居坂の医療の最先端は、ここ、セレノアスールってわけか……)


「リン様が病にかかられたのは、もう、一年近く前になります。はじめは風邪かぜのようでもあり、リン様も周りの者も大して重くは見ていませんでした。『治癒力強化』や『鋭気強化』を施せば、すぐに治るだろう、と……」

 

 歩みながらのヤヨイの声の調子が沈みだす。


「ですが、先ほどもお伝えしたとおり、『風の病』ならば、他の二種に比べて効果が期待できるはずの他奮たふん術が、快復にはまったく寄与しなかったのです。薬も、ひどい症状を一時的に和らげることはできても、根治こんちには至りませんでした」


 少年から引き取るように、ルマ執務部長が「風邪ではありませんでした」と続けてきた。


「今も、何の感冒かんぼうであるか、まったく判っていません。数週経っても自然快復の兆しは一向になく、せきや発熱、前後不覚の症状が悪くなるばかり。そして、半年前には……、ちょうど、教主様の『真名まな宣布せんぷ』がなされる十数日前でした。そのころにはついに、寝台から起き上がることさえ困難になっておりました。今や、麩粥ふがゆを飲み込むちからも衰え、痰咳たんがいが激しく、意識の混濁も数を増しております」

「じゃあ、話すことは……?」

「起きていらしたら、なんとか話すことはできます。それ以外で急を要する場合は、マ行幻燈げんとうを用います」


 「あ」と声を上げ、美名には得心とくしんがいった。


「幻燈術を介すれば、意識がはっきりされてなくとも話すことはできます。そのため、おおやけに姿を見せることができなくとも、教区の運営やこの町の施政参与には大きく支障を出していないのです」


 ヤヨイ少年は立ち止まって振り返ると、今度はしっかりと美名に顔を向け、「はじめてです」と告げる。


「リン様は気丈でいらっしゃいますから、『他奮の筆頭が病にさいなまれているなど恥でしかない』、『他言するな』と私たちには強く言っておられます。教会本部にさえ秘匿ひとくしてきたリン様のことを明かすのは、美名さんたちがはじめてなのです」


 目線を交わして少女とうなずき合うと、ヤヨイは進路へ向き直り、ふたたび歩みだす。

 

「『絶対に快復してみせる』、『自力で立ち直ってみせる』とずっと……。今も言い続けておられます。ですが、もう限界です。このままでは、そう遠くないうちにリン様は魔名を返上されてしまう。たとえ、リン様ご自身が強く思われていても、無理なものは無理なのです……」


 か細い落胆の声を最後に、一団の会話は途切れた。


 それからまもなくして、先導のふたりが揃って足を止める。

 その位置は、廊下に居並ぶ扉とさして変わらない、質素な木戸きどの正面。その扉の先がヤ行他奮大師ハマダリンの寝室なのだろう。

 扉の前で立ち尽くすようなルマ執務部長は、傍らのヤヨイに顔を向ける。


「治せるのですね、ヤヨイさん? 美名様の魔名術でなら……」

「確証は……、ありません」

「その……、『今話した未知の病を、リン様からもらい受ける』ことの危険を……」


 ルマは、少女とネコへ目を遣る。

 この教区の執務全般を仕切る老婦人は、気遣いの色をにじませつつも、静かで峻厳しゅんげんな顔つきをしていた。


「美名様とクミ様もご承知のうえ、なのですね……?」


 美名はゆっくりと頷き返す。


 美名とクミのふたりが深夜に大使館を訪れ、大師に面会するまでに至った経緯。

 それは、一刻ほど前にさかのぼる――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る