気丈な他奮大師と誠心の劫奪大師 3

 扉を開けて一行が入った先は狭くもなく、広くもない寝室である。遮光しゃこう布が開かれた窓の向こうでは、宵闇よいやみの黒が映されている。

 室の左手には湖と林、青年らしき男、枝に止まる二羽の鳥を描いた写実絵画が三枚、壁面に掲げられている。その下には腰高の据え棚があり、棚の内容なかみは書物のよう。書き物机の役割もあるのだろうか、棚の天板上には燭台しょくだいのほかに紙のようが数枚ほど散らばっており、何だかよく判らない、色とりどりの粘土棒のようなものも転がる。

 室の向かいの右手前には刀剣立てがあり、数本分の入れ幅をたったひと振りの曲刀きょくとうが占めている。刀剣立ての向こうには寝台があり、この室の主人もそこにいた――。


「やあ、美名みな。そちらは客人まろうどのクミだね」


 室のあるじ――ハマダリンは、来客を待ち構えていたかのよう、寝台のうえで体を起こしていた。

 年は四十を過ぎたあたりだろうか。表情には微笑をたたえて声にも張りがあるが、少し離れていても判るほど、相貌そうぼうはやつれている様子。在りし姿を知らない美名でさえ、彼女の容体が思わしくないことはひと目で知れた。


「起きてらして、お加減はよろしいのですか?」


 歩み寄って訊ねるルマ部長に、ハマダリンは笑みを深めて「ああ」と頷く。


「ひさびさにヤヨイに説教をくれてやったからかな。調子がいいんだ」


 美名は、と悟った。

 「調子がいい」という当人の様子から測れたわけではない。表情と声音からすれば、小康しょうこうは真実のように思いもする。

 それよりもむしろ、彼女の言葉を聞き、彼女の様子を見てもなお、心配げを増すばかりのルマとヤヨイの態度。初対面の美名よりもよほど親しい間柄であるはずのふたりが、つゆとも安堵の気配を見せないことから、大師は「好調」をと察することができた。

 

「悪いね、美名。二度も無礼を働いたうえ、会うとなっても正装せず、このように無様な格好で」


 薄青の寝間着姿の大師は、素早い目配せで少女のなりを眺めると、微笑を深めた。


「さぁ、傍に来てくれるかな?」

「……はい」


 おずおずと寝台に近づく美名。

 勧められた丸椅子に腰かけると、少女と大師の目線は、おのずと同じ高さになった。そうして、より近くで見てみると、ハマダリン大師の見目に少女は見惚れてしまう。


 筋の通った鼻梁びりょう。柔らかく微笑む淡色あわいろ口唇こうしん。短く整えられた髪と大きな瞳とが、蝋燭ろうそく灯りの室内でもハッキリとした濃黒のうこくを際立たせる。不調もきわまっているはずなのに、その黒髪には艶があり、双眸そうぼうにもちからもる。やせ細ってはいるようだが、体中からは尋常でない気力を感じさせた。

 綺麗で強いヒトなのだ、と美名は思う。


 少女の視線を勘違いしたのか、大師は「無様だろう?」と自嘲するように笑った。


「了解もとらなかったが、美名と呼ばせてもらってもいいかな?」

「はい。ぜひ」

「『美しい名』……。初めて聞き及んだときからずっと、いい魔名だと思っていたんだ。客人のクミも来てくれるかな。昵懇じっこんの大師といっしょに」


 言われて、クミも美名の膝のうえに跳び乗ってくる。そうすると、ハマダリン大師は「ネコか」と低い声で呟き、しげしげとクミを眺めだした。

 思わず零れたようなその呟きは、かすれてか細い声音である。それが大師のなのだろう。やはり、

 しばらくの時間をかけてネコを眺め尽くしたハマダリンは、ようやくに美名に目を戻すと、「さて」と元の声になって仕切り直した。

 

「私の弟子が相談もなく、愚かな考えを起こして勝手に話を進めたようだが……」


 少し離れて控えていたユ・ヤヨイに、ハマダリンは目を向けた。ほんの一瞬のことだったが、弟子がビクリと身を強張らせてしまったほど、怒気も露わな険しい目つき。的にされていなかった美名でさえ、背筋の凍る感を覚えるほど、病人らしからぬ威圧を放っていた。

 その威圧もすぐに解かれ、美名に目を戻すと、大師は緩やかに首を振った。


「申し訳ない。帰ってくれないか」


 「え」とひと言、少女は当惑の声を漏らす。

 

「このまま帰ってもらいたい。ここにやって来たということは、君のほうでも『劫奪こうだつ術で私を治す』ことを承知したのだろう?」

「は、はい。そのとおりです。大師様のちからになるため、参りました」

「必要ない」


 強い断言に、美名は瞬きを繰り返す。


「ワ行劫奪のたすけを得ずとも、私は、自ら立ち直ることができる」


 威圧の目が、今度は少女に向けられた。

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