劫奪者と使役者 5

「やはり、戦闘向きでないから、必要を感じないからなどと考えず、他行ほかぎょうもしっかり収集していかないといけませんね……」


 去来きょらいの大師はまど硝子がらすに手を添えて、自らをいましめるようにつぶやく。

 執務室は

 「何処いずこか」に飛ばした壁や天井は、可能な限りもとの位置に「取出とりだし」、逆に、細切れになった本棚や書物は「何処か」に葬り去った。

 空中にあったも仕舞い直し、乱れたしき絨毯じゅうたんを整え、舞い上がっていたほこりも消し去った。

 違和感といえば、壁際の本棚の並びに、ちょうど一台分収まりそうな空間ができていることと――。


「壁と天井はそれなりになりましたが、こればかりは……。なにか言い訳を考えて、『識者』を呼ぶしかないか……」


 「何処か」に飛ばした際の境目さかいめ。大窓にスッパリと、弧を描くような亀裂が入っていることであった。


「私の『識者しきしゃ』では、硝子がらすの整形には及べない……。新しい『名づけ師』だけでなく、折を見て、『ネ』の術者も見繕ってみますか……」


 またも呟いたあと、シアラ大師はふと、背後に振り返った。

 何か、きしむような音を聴いた気がしたのだ。

 だが、なにも無い。

 見慣れた、退屈な執務室の光景があるだけだった。

 

「昨日は氷使い、今日は動力大師とアキラさん……。我がことながら、昂奮こうふん冷めやらずとは……」


 含み笑いを浮かべ、執務机に向かって一歩踏み出した大師。

 だが、彼が二歩目を踏み出すことはなかった。

 その前、足を踏み出した自らの所作の中に、違和感をはっきり感じ取ったのだ。


(昂奮のための錯覚や、勘違いじゃない。なにか、おかしい……!)


 今度は確信をもって、大師は振り返る。

 まめやかに、自らの背後に目を配る。

 そして、気が付いた。

 自らがまとう白外套衣のすそが、はさみたれたように――スッパリと切れていたことに。


「バカな……。こんな……?」


 明良を「何処か」に飛ばしてから、大師は部屋の補修のため、室内を歩き回っていた。

 少年との攻防の中で、このように外套衣が切れていたとしたら、その歩行の間に間違いなく気付いていたはずである。

 もちろん補修の間、室内には誰も入れていない。

 ヒトが隠れ潜むようなこともない。

 たとえ、「ハ行去来」の誰かが身を隠していようが、大師こそは「去来術者の筆頭」なのである。気付かないわけがなかった。


「いつ、誰が、私の白衣を……ッ?!」

「……ぞ」


 呆然としていた大師は、に気付くのが遅れた。

 窓は閉め切っている。

 戸も閉ざされている。

 壁も補ってある。

 室内はもちろん、室外の近くにヒトの気配はない。

 だが、近いようで遠い、かすかに聴こえてきた声――。


「……ち切るッ!」


 強い意志が込められている、少年の声。

 大師は顔を上げ、室の中央を見据える。

 

「……幾旅いくたびたちッ!!」


 幻を見ているのでは、とシアラ大師は思った。

 見慣れた、退屈な執務室の光景がのだ。

 裂け目から姿を現したのは、刀を振り下ろした黒髪の少年。

 彼は、鋭い目つきで、前方を――ホ・シアラを捉えていた。


「覚悟しろッ! 外道げどうがぁッ!!」


 嚇怒かくどに吠える、青灰せいはいの瞳。

 頬に刀傷を受けたことに気付かず、鮮血をしたたらせていることも構わず、シアラは恍惚こうこつとなって「素晴らしい」と呟いていた。

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