ネコの想いと少年の願い 3

「『アキラ』って……、アナタの魔名?」


 少しして平静を取り戻した様子の美名は、自分もクシャに行くと言って寝台から下りようとした。

 それを少年とクミとでなんとかなだめ落ち着かせたあと、訪れたしばらくの沈黙の中で、美名はそう問いかける。

 目を覚ましてからこちら、少年とクミとの間に妙な親密さがあることを、美名は不可解さと、少しの嫉妬とで気に掛けていたのだ。


「……違う」

「私が『名づけ』たのよ!」


 そっぽを向きながら言葉少なに答えた「アキラ」。

 そんな彼にアゴの下を撫でられながら、小さなクミは美名の顔を見上げる。

 彼女の声音は朗らかなものだったが、まだどこか、繕うような不自然さは拭いきれない。


「クミが……『名づけた』?」

「そう! 『明るい』の『めい』に、『い悪い』の『良い』の漢字で、『明良あきら』よ。よく見ると結構イケメンだからさぁ、もっとこう、性格明るくしたらいいのにと思って。いい名前でしょ?」


 「勝手にしろ」と言いながら、明良あきらと呼ばれる少年はクミを撫でる手を止めない。


「一応のところは戦友だからさ。名前を訊いたら、コイツもコイツで事情があって『魔名がない』なんて言うのよ。だから、例のごとく、私が『名づけ』たってわけ」

「……事情?」

「……アイツを、洞蜥蜴を追っていた理由だ」


 突然に、明良の声音は地の底から投げられたように低くなる。


「俺の魔名がないのは、からだ」


 「奪われた」という明良の言葉で、美名はひとつ思い至る。


「ワ行……劫奪こうだつ……」


 少年は「そうだ」と頷く。


「『劫奪』の使い手が…‥存在するの?」


 この美名の呟きには、クミが首を傾げた。


「『存在』って……驚くようなことなの? 居坂いさかには『ワ行』の魔名を持つヒトもたくさんいるんでしょう?」


 クミの問いに、美名は口を噤む。

 代わりに答えたのは、明良だった。


「……ヒトを『名づけ』た結果はすべて魔名教本部に伝えられる。そして、『輩魔名録ともがらのまなろく』という記録に加えられ、魔名教に集約管理される」

「……住民票や戸籍みたいなものかしらね」

「数年間隔でその魔名録は公開されるのだが、『ワ行』の項にヒトの魔名が載ったことは、数百年分の魔名録でも、一度もない」


 追従するように、美名が「だから」と呟く。


「『劫奪』が『奪う魔名術』だということ以外、どんな魔名術なのか、どんな影響があるのか、詳しいことは知られてないわ……」


 「じゃあ」と言って、美名から明良に顔を戻すクミ。


「誰が明良の魔名を奪ったっていうの? 術者は存在しないんでしょう?」

「……俺が気が付いたのは、三年ほど前。大都だいと大陸の内陸、荒涼とした岩山……『山仁やまひと』と呼ばれるところだった」

「気が……付いた?」


 「何も覚えていなかったんだ」と、自嘲するように明良が呟く。


「自分が何者で、なんでこんなところにいるのか、なぜひとりなのか、全く何も記憶していなかった。ただそばに、この『幾旅金いくたびのかね』と、『指針釦ししんのこう』があったのと、絶対に離すものかとでもいうように強く手に握られた、洞蜥蜴の鱗があるばかりだった」


 明良は寝室の入り口に立てかけてある鞘と、自身の首からげている円形の装飾を見遣った。

 「幾旅金いくたびのかね」とは鞘に納められている、白光をたたえる例の刀剣で、「指針釦ししんのこう」がその首飾りなのだと、クミは推して知る。


「ほうぼうのていで『山仁やまひと』を降った俺は、幸いにもそのふもとの村で、村ぐるみで世話にかけてもらうことができた。身元不明の、『未名みな』の子としてではあるが、温かく、な」


 『未名』と言葉を出す際、ちらと様子を窺うように目をくれたことから、彼はもう自分の境遇をクミから聞いているのだと、美名には判った。


「二年ほど過ぎて、その村に『名づけ師』がやってきたんだ。そこで俺は、魔名を授かることができるはずだった。……だが、『名づけ』は

「し、失敗……?」

「そんなこと……、あるの?」


 明良はその時の悔恨を思い出してでもいるのか、眉根を寄せ、歯軋りする。


「『名づけ師』は言った。俺の魔名は『すでに定まっている』。それよりほか、俺に魔名を『授けることはできない』……とな」


 少年は、青灰色の瞳を宙に向けた。


「その言葉が呼び水になったのか、俺はひとつの景色を思い出せた。昨晩と同じ、氷雪と暴風の景色だ。吹雪の奥にうろ蜥蜴とかげの巨大な影と、その傍らにふたつの人影があって、そいつらが連れ立つようにして俺から遠ざかっていく景色――」


 見つめる宙にその影を見ているかのように、明良は表情を険しくする。


「『ア行附名ふめい』には、『魔名を知る』魔名術がある。『読名どくめい』というもので、術者の目には、かけた相手の顔に重なるように魔名の字面が浮かび上がるそうだ。『名づけ師』は俺にそれをかけて、驚いていたよ。『こんなこと初めてだ。。まるで、魔名をゴッソリかのようだ』……」


 美名もクミも、息を呑む。


「俺は直感した。あの影が、俺から魔名を奪って行った者たちなんだと。何も覚えていないのも、そいつらのせいなんだ、と。書物や口伝を調べ、それは確信になった。巨大な影は洞蜥蜴。人影の一方はヤツを操る『使役者』。もう一方は俺から魔名と記憶を奪った『劫奪者』。その確信からまもなくして俺は、俺の魔名を取り戻すため、ヤマヒトの村を出た。そいつらを殺すため、旅に出てきたんだ……」


 美名は少年の横顔を見つめる。

 彼の願いのひとつであるはずの、「洞蜥蜴への報復」。

 それが成ったにもかかわらず、明良の横顔には少しの満足も嬉しさもなさそうで、むしろ悲哀に満ちていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る