ネコの想いと少年の願い 2

「クシャの住人に、もうこれ以上の生存者はいないだろう」

「……『アキラ』! 言い方ってモンが……」


 美名に背を向け、項垂れて言い放つ「アキラ」に、クミは歯をむき出す。だが、小さなクミの制止は、効果がないようだった。


「両の腕を失った農夫。足のくるぶしから先を壊死えしさせた老婆。右半身にひどい凍傷を負った女。顔にもあとが残るだろう。ほぼ無傷だったのは、ふた親に抱かれるようにしていた、幼子おさなごだけ。みなうろ蜥蜴とかげの位置からは距離のあった者だ」

「……ミカメさんは? ……村長様は?」


 苦み走りながらも問う美名に、少年の背中にはうれいの色が増す。


「クミに聞いていた家の場所では……生存者は……」


 美名は呆けたような表情になり、数瞬後には目尻から涙を零した。美名の時間が、彼女の頬を伝う雫以外は止まってしまったかのようだった。

 クミも言葉を失くし、その小さな鼻の下の口を歪める。


「誇れ」


 革布の背中が、言葉を強く響かせた。


「四人も助かったのだ、と。あの強大な洞蜥蜴を相手に回して、救えた命が四つもあったのだと、誇れ」


 そうして「アキラ」は、自身の肩越しに美名に目を遣る。

 その青灰色の瞳の中に自身をいたわるような色があることを、美名は感じ取った。


「でないと、お前や俺、このクミのふるいが……哀しいだけになる」


 言葉を切った「アキラ」は、またも顔を背ける。


「ねえ、美名……」


 声をかけてクミは、美名の手の甲にその小さな肢を添える。


「……確かに、親切なヒト、優しいヒトとの別れは哀しい。でも、思い出して。ミカメさんのあの底抜けに明るい笑顔を。ダンゲ村長の、優しい眼差しを……」


 クミの肉球から美名の手の甲へ、彼女の温もりが伝わっていく。


「私にはね、娘がいたの。『元いた世界』でね」


 美名に対して微笑みながら、クミもひとつ、涙を零した。


「数えるほどしかこの腕に――ってネコの手じゃないよ? アッチの、ヒトの親として娘を抱き上げられたのは、両手で数えられるほどしかなかった。あの子と私が一緒にいられた時間は、そんなに長くなかった」


 「でもね」とクミは、涙を吹き飛ばそうとするかのように、強く瞬きをした。


「一度、『死んでしまった』私は思うの。どうか、私のことで娘が淋しがってませんように……。夫が嘆いてませんように。私のことは、ときどき思い出してくれるだけでいいから、新しい奥さんを見つけてくれても全然いいから、どうかふたりが笑って元気でいますようにって……」


 クミの手に、美名はもう一方の手を重ねた。ふわふわの毛が、彼女の手のひらをくすぐる。


「だから、ねえ、美名。必要以上に哀しまないで。みんな、美名を心配しちゃうわ。私もそうだけど、あなたと私とに縁があった、クシャのヒトたち、皆が……」


 クミは母子の寝物語のような囁きを、項垂れてしまった美名に続ける。


「哀しみすぎる代わりに、ときどき思い出そうよ。ミカメさんと、村長と、ユ様と、加護をくれたヒトたちを……。そうして、いいヒトたちだったね、楽しかったね、お芋のスープ、美味しかったねって、笑顔でいようよ」


 背中だけを向けていた少年は、顔を向けずにクミの小さな頭に手を置くと、おもむろに撫でた。

 項垂れていた美名は、銀髪の陰で大粒の涙をいくつも落としながら、うん、うんと頷いた。

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