懐かしの小屋と変わりのない弁論者

 の月の二週、かさねの日。「かん季節きせつ」までは残すところあと七日。

 明良あきらの姿は、希畔きはんの近く、冬装いの木立に囲まれるあばにあった。「うろ蜥蜴とかげ」を追ってこの地にたどりついた昨年の秋頃から今年の春の終わりまで、彼が生活していた小屋である。

 同伴者は、だいだい艶髪つやがみを横でひとつに結った少女、ロ・ニクラ。

 小屋の脇に大きな輪の遺物をたてかけてから自身も入ってくると、少女はあらためて内部うちを見回し、「へえ」とつぶやいた。


「気の利かない男子がひとりで暮らしてたってので覚悟はしてたけど、思ったよりは綺麗なものね」

「どうやら……、野盗やアヤカムの寝床になったりは……していないようだ……。茶器も茶葉も残っている。ひとまずは茶でも出そう」

「……そこらに溜まってる雨水でれるなら、いらないよ」

「どうしてお前はそう減らず口ばかり……。安心しろ。すぐ近くに清水の湧く沢がある。そこに行って汲んでくる」


 麦編みの座布団をニクラに投げて渡すと、明良は、手桶を片手に出ていった。


 辻堂つじどうで美名と別れ、ヤマヒトではアサカに冷水ひやみず特効薬の生産を頼み(しかし、薬がさらに必要になることを予見していたアサカは、すでに準備を進めていた。これにはさしもの明良も感服したものである)、そうやって明良とグンカが福城にたどりついたのが二日前のこと。そこから丸一日、今回の件に関する魔名教会としての対応があらためて議論された。

 「『環季節』の日、希畔に大規模襲撃がある」。

 この読みに対し、教会の事務方、執務方からは懐疑的な意見も出されたようだったが、事前にフクシロが説得に苦心してくれていたらしく、明良たちが加わってからの論点は「人民に知らせる」か「隠す」かが主だった。

 というのも、辻堂を発つ前、「この予測を人々に隠し」、「叛徒はんとを引きずりだす」ということで意見の一致をみていたが、この時点で教会側で承認をくれていたのは教主フクシロのみ。あとになって「教徒の身に危険が及ぶ」と反対する者が、現司教デジクゥを筆頭に少なくない数、出てきていたのだ。

 彼らが言うには、「一般教徒の安全を最優先とし、『環季節』の日の防備と警戒強化を強く公示するべき(暗に、それでもって襲撃計画を中止に追い込むべき)」、「それで叛徒はんとらがふたたび消息不明となろうとやむを得ない」との主張である。

 配慮としては当然のことであり、決して無視は出来ない意見であったため、「決着論」と「回避論」とに分かれた議論は長く続いた。

 だが、それを終結させたのは「決着論者」のなかでも雄弁だった少女。「身中しんちゅうの論敵」、「弁論家」の異名も板についてきたロ・ニクラである。


『確かに、犠牲は出てしまうかもしれない。それで事態が収拾できたとしても、教会は、人々の旅路を軽んじたとして非難の的にされるかもしれない。現に、今の段階でも「教会本部の内輪うちわめ」や「不徳の大師を登用した失態」なんて声が聞かれるくらいだしね。でも、今回をやり過ごしたとして、また別の惨事が引き起こされる懸念は? そのとき、今以上に対策を練れる機に恵まれると思う? 私は思わないね。小豊囲こといやセレノアスールの前例をみても、きっと予測不能だよ。手立てさえ打ちようがない。今回しかない。たとえ予測が外れる結果になろうと、今回を逃す手はない。被害は最小限にするよう、最大限の準備をすればいい。そのうえで出してしまう犠牲は、教会が最大の礼を尽くし、償うほかにない。この機を見逃す理由としてともがらを持ち出すことこそ、よほど旅路を軽んじていると、そう理解するべきだよ』


 多少言い負かされた格好にはなったが、こうして、魔名教会本部も「決着」を対応方針としてまとまったのである。

 それでは、具体的にどのように準備を進めるかというと、おおまかにいえば以下のとおりと決まった。


 ・襲撃が危惧される都市の首長と、防衛を担う長に個別に接触を図り、協力を仰ぐ。

 ・「環季節」当日の警戒態勢、避難の想定、指示系統強化、工作などを前記の者らと打ち合わせ、準備する。

 ・対象都市の周辺においても有力者に連絡をつけ、当日の人手確保、調整を図る。

 ・福城や遠隔の大都市から、対象地の規模に応じ、応援を手配する。

 ・以上、どれにおいても大々的に動くことをしない。敵方の内通者、あるいは被使役者の存在が危ぶまれるからである。


 以上を見て判るとおり、「環季節」当日の作戦自体は単純である。「敵が現れたら囲って捕らえる」。だが、守る対象が人里ということもあって、必要な人手も並大抵ではない。勝利のための準備は、水面下ですでにはじめられている――のだが、目下、襲撃対象の最有力である希畔では、少しばかり別の事情があった。


「さて……。どうやって希畔にか?」

「やはり……、ニクラの波導はどう術しかないのでは? 姿を隠せるだろう?」

「それにしたって『抜け穴』がないとすぐに見つかるよ。私自身が提唱した『遮壁しゃへき防護策』が邪魔になるとは、皮肉よね。そこを切り抜けてもおおっぴらには動けないだろうし。今、希畔の防壁の内側では教会員への風当たりが強いって言うよ」


 希畔は、今現在、「魔名教会の権威が及ばない町」と化していた。

 当然といえば当然である。

 魔名教会の名代みょうだいともいうべき教区館長――去来きょらいの大師が、半年以上も教区運営を放り投げて行方知れずになっていたばかりか、不名誉極まる「叛徒」として知れ渡ってしまった。以前はホ・シアラを担ぎ上げていた希畔の町は、一週前に「叛徒公告」があって以降、教会への不信感で溢れかえっているのだ。

 教区館は暴動の的になりかねないと閉鎖を余儀なくされ、一般教会員のなかには絶え間ない非難に耐えきれず、町を出ていった者も少なからずいるという。

 こういうときこそ一致団結すべきとは月並みな意見だが、この「反魔名教会運動」を主導している(と目されている)のが希畔の統治機関でもある「議会」なのだからこれまた厄介である。議会宛てに符丁連絡を送ってもまともに応じない。議会からの指示のもと、町に出入りする者は何者であろうと検査。それも魔名教会員と判れば、より厳密な検査を強いられる。町なかでは、守衛手とは違った独自の自警組織が作られ、物々しい様子で巡回が行われているらしい。こうまでしておいて、希畔議会は教会に対し、あからさまな不満を込めて「希畔や第六教区を見捨てるつもりですか」などと一方的に連絡してくる始末なのである。

 今の希畔は、魔名教会に非協力的。一連の事態決着のために必要不可欠な「希畔との協力体制」は、今や最難関の課題と言っても過言ではない。

 その難関、協力体制を構築するため、先遣としてやってきたのが明良とニクラのふたりなのである。明良は、「いくらか土地勘もあり、首脳陣とも面識があるから」と、ニクラは「偉そうに言った手前もあり、自ら動かないと示しがつかない。妹の不始末も挽回する」と意気込み、ふたりがふたりとも自ら進んで手を上げたのだ。

 だが――。


「明良くん。君が言っていた『首脳陣との面識』とやら、使えないの?」

「見知った議会員の誰かに接見するにも、せめて素性の確かな者が橋渡しにいないとどうしようもない。まさか、門前で俺たちを検閲する役人全員、通りがかる住人全員、『わか選別』にかけるわけにもいかないだろう?」

「なるほど。たいした人脈ね……」


 「ハンッ」と鼻で笑って小馬鹿にするニクラだが、そんな相手を、明良はあらためて眺めてみる。

 福城で顔を見て以降、彼女には落胆したり、心配げな様子だったりがない。いつもと変わりない――どころか、いつにもまして気力みなぎる感さえある。

 


(コイツが「烽火ほうか」にくみした真意には、ニクリ大師への嫉妬があったと聞いた覚えがあるが……。美名のあの様子を見たあとだと、なおさら薄情に見えてしまうのは仕方のないことか……?)


 なんだか苦いものを噛まされているような気分でいると、少女が、「なに?」と厳しい目を向けてくる。


「なにか言いたいことでもあるのかな?」

「いや……」

「……まぁ、言いたいことなんて、おおかた判るけどね――」


 ふいに言葉が途切れ、ニクラは身動きを止めた。


「……どうした?」


 明良の問いかけに、「静かに」と仕草で答え返す少女。それから例の、耳に直接語りかけてくる声で「誰か近づいてくる」と教えてきた。


「近づいてくる……。ここにか?」

「しゃべらないで」

「む……」

目方めかたは低そう……。子どもか女ね。歩調に警戒の気配はない。まっすぐ、この小屋に向かってくるよ」


(子どもか……女……)


「私たちの姿は『曲光きょくこう』で隠す。小屋に入ってくるか、私たちがいることに勘付くようであれば、『風韻ふういん』で捕らえる。いいね?」


 言うや否や、ニクラの姿は小屋の景色に溶けこむように消えてしまった。おそらく、明良自身の姿も「光を曲げて」隠されたのだろう。

 ともかく、この不測事態に対処せねばならない。「風韻」であれば(多少の吹き飛ばしはあるが)身体の自由を奪うだけである。相手の殺傷を気に掛ける必要もない。ニクラは見えているのかしれないが、明良は、おもむろにうなずいて返した。

 まもなく、明良にも判る距離まで気配は近づいてくる。

 戸口のすぐ外。

 接近者は間違いなく、小屋に入ろうとしている――。


「開けたら撃つ。耳をふさいでて」

「……」


 やはり、なんの警戒もない様子。ガラガラと軽快な調子で戸が開かれた。

 接近者の相貌は、外光の影となって判別できないが、陰影によって浮き彫りにされた身体の輪郭。背丈。「ン?」と茶の匂いが立っているのをいぶかしむ声――。

 少年は、「撃つな」と叫んで立ち上がった。


「顔見知りだ、撃つんじゃない!」

「え? え?」

「ちょっと、明良!」


 誰もいないはずのあばから声がする。それも二種類。

 希畔の魔名教会員ル・ミンミは、直面している状況の不可解さにあんぐりと口を開け、戸口に立ち尽くすばかりであった。

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