大洋と宵の口の船出
(まったくの時間の無駄だった!)
山中にただひとりということもあり、
バリ大師の小屋を発ってからすでに半刻以上。
だが、彼の苛立ちはいまだ落ち着きをみない。歩くたびにジクンと
(魔名を返上した者があるだと?
手元の「
彼の心中の騒がしさは、大師の態度や無法な言葉のせいだけではない。たびたびに遺物に書き込んでも、相手――美名からの返事がないことも大きいのだ。
「……ヤツの占いなどあてにならない! 無難に海を渡りきり、そのことを明かしてくれる!」
次第に歩調を早めながら、明良は下山を急いだ。
*
「しかし、ほんに俺はのんちでええがなん?」
「ああ……。大丈夫だ。船の操法と航路は教えてもらえた
桟橋の上で夕日に照らされ、厚ぼったい唇をへの字に曲げ、「さあかね」とマオは心配そうである。傍らでガドオも同じように口をひん曲げる。
その並び立つ姿はやはり、親子の
入り江の段状集落、トバズドリに戻ると、明良のため、船出の準備が整えられていた。宣言していたとおり、マオは船の点検や食糧の積み込みをまめやかに、速やかに終えていたのである。
急ききって船に乗り込む明良だったが、当然とばかりに自身も乗り込んできたマオ。
明良はほとんど力尽くで彼女を下ろすと、「ひとりで行く」と断言した。
「……しょんで日も暮れんじゃが。アキラは船、
「船、船……、そうだな。俺には操船の心得はない」
「んだら?
褐色の
「俺はすぐに発たねばならん」
少年の頑固さに、マオはしぶしぶとではあるが、船の操作を教えてくれた。
そうこうしてる間に、海と空は茜色に染まりきっていたのだ。
桟橋にかけられたくくり縄を外しながら、明良は「そうだ」と何をか思いついたようだった。
「言っておくことがある」
「なん?」
「バリ……、『バンリ』だが……。あんな者との関係は
大師
ふたりに反発されると覚悟しつつも進言した明良だったが、意外にもマオは、そしてガドオも、噴き出しておかしそうにするのだった。
「わぁっは、はぁ……。あん方、おもしぃ方じゃったが?」
「……『おもしぃ』が判らんが、不愉快なヤツではあった」
「なぁ? えれえんで
「だ。オラんが、しゃんとじゃ。バンリ様、とろがぁでしんなじゃ」
「ほん! わぁっはぁ!」
母子ふたりの
しかし、笑い合うふたりは――いや、集落の住人は皆、そうなのだろう、「バンリ様」をおおらかに受け入れているよう。決して、あの
(この海のように大きく、なんとも清々しいやつらだな……)
「不測にもこのトバズドリの島に落とされ、よかったと思えるのは……。自分の不甲斐なさ、小ささを痛感したことと、お前たち……、マオとガドオに会えたことだ」
「なんじゃ、ええなん? アキラ」
「いや……、何でもない」
ふっと鼻で笑って、明良は船に乗り移る。
「では、俺は発つ。色々と世話になった」
「たいぎくね」と答えるマオ。
「なん」と短く笑うガドオ。
「着いた先で頼みはするが、最悪の場合、船を返せんかもしれん」
「なんって。せん、使わんかったじゃが。とろなんで、
「すまん。いずれ必ず、あらためて礼に来る」
「ようよう、戻りちゃれ。アキラ」
このトバズドリの別れの挨拶だろうか、刻一刻と進む夕闇のなか、「ようよう!」と手を振って送り出してくれる母子の影に、明良も手を振る。
大洋に呑まれるように、日輪は沈みゆく。
明良は夜の海原にひとり、
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