明朗の波導大師と悪逆の去来大師 3

「なに……? 何が起きたの?」


 ふいに、あっけなくも到来した決着。

 解答を求めるように見上げたクミに、ニクリ大師は、うんとうなずいて返す。


「ラ行・風韻ふういんを使ったのん」

「ラ行のフウイン……。それって……」


(ラァやゼダンが使うっていう……、確か美名も、一度、ピンチになったアレ……)


「でも、ちょっとだけ使したのん」

「使いやすく……?」

「風韻はグァンってなる音を聴かせないといけないんだけど、それを知られちゃったら破る方法はいろいろ考えつくのん。同じ風韻をぶつけたり、音そのものに雑音を混ぜたり……。この前、ラァがトジロちんに仕掛けたときもそうだったのんね」

「あぁ~……。あの、床をぶち抜いたヤツね」

「のん。だから、雷矢らいしに混ぜて、こっそり放ったのん」

「こっそり……?」

「風韻の『相手を動けなくする音』は、広くしなくてももっと狭い、のでいいのん。広いのをバァーンって大きく奏でるせいで『風』も出ちゃって、それでもバレやすくなるのん」

「う~ん……。『風』は、『衝撃波』みたいなモノってこと?」

「『しょおげきは』がリィにはわかんないけど、それだからリィは、『風』が出ないようにヒトの耳に聴こえないのだけにして、それで音も小さくできて、シアラちんの耳元に飛ばしたのん」

「はぁ~……」


(独特の説明であやふやだけど……、要は、魔名術をってワケか……)


 クミが居坂いさかに来てから、そろそろ一年ほどが経つ。暮らしぶりは慣れてきたものだが、「魔名術」の感覚では、どうにもつかめきれない部分が残る。

 そんなクミでさえ、あらためて痛感するのである。

 この愛らしい少女は、今まで出会ってきたどんな術者よりも(美名やモモノ――ともするとゼダンさえも超えて)破格の才能であることを。


(居坂でも、こういう場合、「末恐ろしい」……っていうのかしら?)


「……ともかく、宣言どおり、大勝利ってワケね?」

「のん!」

「それじゃ、シアラ大師には悪いけど、魔名術が使えなくなる縄ってヤツでグルグル巻きにして、『終わったよ』って知らせたり、美名やフクシロ様にも一報いれなきゃね」


 満面の笑みで「のん」と答えたニクリは、倒れ伏したシアラへ歩み寄っていく。

 だが、その途中で、少女の足がピタリと止まった。


「どうしたの……?」


 黒ネコが見上げれば、少女の顔からは晴れやかさが消えている。先ほど、魔名術の応酬を繰り広げていたのと同じ、戦意猛る眼差しに立ち戻っていた。


「呼吸の音が……のん」

「え……?」

「雷矢ッ!」


 ニクリが前触れなく放った矢が、地面に寝そべる赤毛に迫りゆく――だが、その閃光は、シアラに直撃する寸前で消え失せた。


「え? え? ど……、なに? なにしてるの……?」


 クミが慌てふためくに、視線の先、去来きょらいの大師がむくりと起き上がった。

 どうみても前後不覚などではない。敵はまだ、しっかりと動けている。


「そんな……、リィの魔名術が効かなかったの……?」

「……」


 立ち上がったシアラは、白外套がいとうの汚れを払い、乱れた髪をかきあげている。眼鏡がんきょうは、倒れた拍子に落としたのだろう。頬傷さえなければ涼やかとも言える相貌そうぼう、それも露わになっていた。


「ある程度……、ニクリさんであれば判りますが、クミさんは少し難しく……。もし、おかしな受け答えになれば、すみません。ようですので」

「何……? 何のことを言ってるの?」

「……シアラちんは、たぶん、で風韻から逃げたのん」


(美名と同じ方法? それって……)


 クミは、かつて銀髪の少女がニクラと争ったとき、どうやって風韻術から逃れたのか、聞き及んでいたことを思い出した――。


(そっか……。ワ行劫奪こうだつの「奪感だっかん」! 魔名がハ行去来のシアラ大師も、どういうワケだか劫奪を使えるんだったわ……)


 眼鏡を拾い上げたシアラは、几帳面に汚れを拭き取り、掛け直す。

 一連の平然とした振る舞いが、クミに不気味さを思い出させた。


「『みたち』……。いや、『ミナちん』ですか」


 劫奪で自らの聴覚を奪ったシアラは、どうやらニクリの唇を読んだらしい。


「そういえば、此度このたび、初出したらしい純粋ワ行のともがら……。ヨツホでクミさんと仲良さそうにされていた、あの少女の魔名が『ミナ』ということでしたね」

「私があなたを見かけたとき……、美名はその場にいなかった。別に、あのときより前か後、隠れて見てたんですか……?」

「モモノ大師やプリムさんが魔名を返上されましたが、ニクリさんや彼女があって、十行じっぎょう大師たいしの華やかさはむしろ増したと感嘆したものです。世代交代の時期、ということになりましょうか」


 少しばかり食い違いする答えのなか、シアラは、気だるそうに両耳を小突く仕草をした。段々と聴覚を取り戻してきているらしい。


「太古の風韻の術は、私も知ってはおりました。それをニクラさんが修得済みで、それならば当然、双生の妹であるニクリさんも使用できるだろうこと……。そして、ニクリさんなら、『ほぼ無傷のまま、相手を行動不能にできる』この術を使ってくるだろうことも予測に入れていました。ですから私は、攻勢をかけつつも『ラ行・拾音しゅうおん』を使い、異音にも気を払っていたのです」

「シアラちんが誰かから奪った……、輩の誰かを殺して手に入れた、ラ行の魔名でだのん?」


 ここにきてはじめて、嫌悪の色を滲ませる少女に、少しがあいてから、「そのとおり」との答えが返る。


「案の定、雷矢に紛れ、ごく小さな音を聴きつけた私は、すぐさま自身の聴覚を。身体の自由がすべて効かなくなる前に……。そうして、まんまと術中にはまったように見せかけ、油断して近づいてきたところに仕掛けようと画策しましたが……。ニクリさんが鋭かったか、私の落ち度か……、その両方でしょう。ともかく、見破られてしまった」


 シアラは、おもむろに辺りを見渡す。

 三者の周囲では、依然として「雷陣らいじん」の薄布が、パチパチと弾けた音を立てつつ、取り巻いていた。


「先ほどのような魔名術の撃ち合いをしても、らちが明かないのは明白。そうでなくとも、ニクリさんが本気になれば、私の劣勢は必然。ならばその前に、ひとつ、奥の手を披露します」

「奥の手……?」


 警戒する少女とネコの視界のなか、瞬時にして変化したもの。去来大師の手に握られ、発現したもの。

 「去来の何処いずこか」より呼び出されたらしき、それは――。


「あまり使いたくはなかったのですが……」


 それは、快晴下とはいえ、不自然なほど明瞭に光る、曲がりの強い刀剣だった。

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