劫奪者と使役者 4

 室にひとり残った去来の大師、ホ・シアラは、ほう、と息を吐く。


「……健闘してくれましたが、『かえり』には成りきらずか……」


 どこか物寂しげにふっと小さく笑うと、気を取り直すように眼鏡の大師は顔を上げた。

 直後、ハッとして何かに気付いた様子を見せるシアラ大師。険しい顔つきを取り戻して室の入り口――閉め切られている木製扉に目をる。

 それが合図であるかのように、扉板が軽快に叩かれた。


「……大師、いらっしゃいますか?」

「……はい。おりますよ、ジギタさん」

「なにやら物音がすさまじいようなのですが、どうかなさいましたか?」


 赤髪の大師は、執務室をサッと見渡す。

 動力大師とその女弟子の頭部が浮かび、明良あきらとの攻防で本棚は倒れ、本はぐちゃぐちゃの山となり、なにより、室の半分以上の天上と壁が

 この場を一見でもされたら、生半可な「どうかなさった」でないことは明らかである。

 大師は扉へと顔を向け直した。


「……いえ。失念して、本棚を倒してしまっただけです。自分で直しますので、心配無用です」

「……そうですか。失礼しました」


 どんなに心が波立っていようと、平静を装うことに慣れている大師は、扉の向こうの相手を穏やかな声色で納得させた。

 コツコツと、執務室から遠ざかっていく足音――。


(とどめを刺しにいくことより先に、ここをべきですね……)


 シアラ大師は、チラリ、と横目を流す。

 その視線の先は、床に散らばった本の山である。明良の剣閃によりズタズタに斬り裂かれた、もはや紙屑の山である。


(時を戻せたなら……)


 赤髪の大師は、薄くなってきた夕焼けの光の中で、またも自嘲するように笑った。


 *


「ふ、ふざけるなぁああぁッ!!」


 明良は叫んだ。

 四方八方、色も何もない、空間の中。


「これで終章だとッ?! 終わりだと?!」


 ブンブン、と「幾旅金いくたびのかね」を振り回す。

 もちろん、何をかを斬る目的も、斬った感触もない。八つ当たりであった。

 しばらくそうして、無為な斬撃を飛ばしてから、黒髪の少年は刀を地面に突き立てた。

 だが、果たしてそこに、地面など存在するのであろうか。「幾旅金」は、時を止められたかのように、何もない空間に浮かんでいるだけのようにも見える。


「まさか……」


 明良にはそら怖ろしい考えが浮かんだ。


「俺はもう、のか? この状況は『ハ行去来きょらい何処いずこか』などでなく、俺の魂の旅なのか……?」


 黒髪の少年はうつむき、力無く座り込んでしまった。

 それもまた、地面など見当たらないがために、どこか胸がざわざわとする、不快な感覚だった。

 

「死んでいるのだとしたら……。フンッ。まさしく『終わり』か……」


 少年は哀しい笑いを零した。

 思い返せば、不遇な旅路であった。

 始まりは、魔名も記憶も、何もないところからだった。

 どこに身を置いても、どんなヒトと接しても、どこか拭えない「ここじゃない」感覚――。

 失ったものを取り戻せば、それも消し去れると考えていた。


「……結果、俺が消えるというわけか……。物淋しいこの場所が、俺のついの居場所か……」


 顔を上げて、明良は周囲を見渡す。

 まったくの暗黒の空間。

 ヒトも木々も、地も空も、ささやかな風さえもない。なにも無い。

 あるのはただ――。


「……お前は、こんな場所でも白光りするんだな……」


 ただ、「幾旅金」の刀身だけが、冴えた光を放つ。


「物に語りかけるようになったのは、しん御終おしまいの証なのかもな……」


 自嘲して口角を上げながら、明良は相棒の刀身を見つめる。

 白光りの中に、救いを求めるように――。


「……違う」


 少年は呟いた。


「『救い』などというものは、求めるものじゃない」


 呆けたように、静かに、言葉を連ねる。


「……『ふるい』の結果が、傍目はためからは『救い』に見えるだけだ……」


 呟く明良は、ふと、白刃の中に影を見た。

 小柄な少女と小さなアヤカムが、こちらに背を向け、むつまじく並び歩くような、ぼんやりとした影だった。


「……『居場所』などというものは、与えられたり、取り戻したりするものじゃない。絶えず、自ら作り上げていくものだ……。俺が見てきた数多あまたともがらたちはみな、日々の稼業に、自らのために、家族のために、誰かのために……懸命に魔名を響かせていた……」


 少年は立ち上がる。

 立ち上がって、「幾旅金」の柄を握る。


「……俺はアイツに約束した。『使役しえき者を捕らえる』と。偉そうに言ったんだ。『俺のあとを追ってこい』と……」


 刀剣を振り上げる。

 白光りが際立つ。


「……その結果がこんな場所じゃ、俺のともがらに合わせる顔がないッ!!」


 明良には確信などなかった。

 そうすることでこの窮状を打開できるなどとは、考えてさえもいなかった。

 ただ、無心。

 無心で、「幾旅金」を振り下ろしていた。渾身の全身全霊を捧げて。


幾旅いくたびたちィッ!!」

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