劫奪者と使役者 3

(斬撃を飛ばす間もない!)


 落下する明良あきら

 その直下、空中に浮かぶ、去来きょらい大師の手首。

 彼の魂を余すところなく捕えようとでもするかのように、五指ごしを拡げて待ち構えている。

 すぐ足元のそれをめ下ろしながら、に向けて突き立てるように、明良は「幾旅金いくたびのかね」を伸ばした――。


幾旅いくたびせんッ!!」

「ッ?!」


 「幾旅金」が旋回する。

 渾身の振り回しは増幅され、明良の頭上、唸りを上げる白円はくえんとなる。

 すると、明良の落下は止まった――どころか、少しだけ上方に浮き戻ったのだ。

 掴み損ねて握るようになった大師の拳を蹴りつけ、明良は壁に向かって跳ぶ。

 つづけざまにその壁を蹴りつけ、大師の身体目掛けて跳び下りる。


幾旅いくたびつきィ!!」


 いくつもの鋭利な剣突きがシアラ大師を襲う間際、またもその姿は消失した。

 執務室に着地した明良は、歯噛みする。


「……らちがあかないッ!!」

「それは、私も同感です」


 大師の姿は、執務机の傍にあった。

 ちょうど、「何処いずこか」から覗いているような動力どうりき大師の顔と、ヒミの顔とに並ぶような位置。去来大師を加えて、まるで、揃えたように並ぶ、三つの顔である。


「まさか、その遺物にそんな面白い使い方があったとは。誰に教わったのです?」


 「知らん」と叫び返して、黒髪の少年は、その青灰色せいはいしょくの瞳で長躯の大師を睨みつける。


「まるで、『飛車とびぐるま』を見ているようでしたよ」

「子どもの玩具さえも、外道には惜しい!」


 叫びながら、明良は「幾旅金」を握り直す。


(攻め手に欠けるのは、こっちもだ……。どれもこれも、避けられてしまう……。あとは……)


 明良は悟られぬよう、瞑目めいもくしたままの動力大師とその弟子の顔に目を遣った。


(アイツらにきつけられて得た、「幾旅のたち」か……? だが、それも正面きってでは避けられてしまうだろう……。それに、単に「ち切る」だけの「裁」が、アイツに通用するか……?)


「……思ったより手こずりますね。私の執務室もボロボロだ。柔軟さでいえば、アキラさんは動力大師の一番弟子を凌駕していますよ」


 去来の大師は冷淡な笑みを零して、両の手を掲げ上げた。


「……ですが、もうそろそろ御終いにしないと、この騒動に無関係の者が集まってきましょう。無闇に耳目じもくを集めるのは避けたい。奥の手を出します」


 「奥の手」を宣言した大師の妖しい平手のうごめきが、まるで獲物を定めた蛇の鎌首のように、明良には錯覚させられる。


「ハぎょ……」


 それは、突然であった。

 身構えていた明良も、一瞬、何が起こったのか判断できかねた。

 シアラ大師の詠唱は止まり、蠢いていた平手も止まり、大師の息遣いさえも止まったのだ。

 まるで時を止められたかのような去来大師の停止姿。

 そのもとがなんなのか、壁さえも消し去られ、より多く室内に差してきている暮光ぼこうゆがみによって、明良は悟った。


「こ、凍っている……?!」


 大師の長躯ちょうくは、厚い氷に閉じ込められていたのだ。

 そして、「氷」といえば……。


「あ、アキラさん……」


 宙に浮いているような頭のひとつ、動力大師の弟子、『段動力』の『氷の使い手』、ヒミがうめき声を上げる。

 明良はその顔に目を向ける。

 瞑目めいもくしたまま、色白なまま、喉の奥から絞り出しているかのような声音だった。


「無事か?!」

「……すみません。しくじりました……。ですが、今なら。とどめを……」

「消え去ることができるコイツには、剣撃は……」

「『去来』魔名術での『消失』は、『魔名術』で構成された囲いをけることはできません。たとえ、『何処いずこか』の異空間を伝っていったとしても、です……」


(……そうか。だから、ギアガンは『智集館』を土壁で囲ったのか!)


「今なら逃げられません。ですが、間合いが遠い剣では、氷の囲いが斬り裂かれる瞬間に逃げる間を与えるかもしれません。ですから、最接近して、最速のひと振りでとどめを……」


 ヒミの声に導かれるようにして、明良は氷漬けのシアラ大師に歩を近づける。

 間近で見ると、内部の大師は完全に身動きが取れないようであった。

 グリグリと、眼鏡がんきょうの奥の瞳だけが動いている。

 明良を見、動力の大師の生首を見、ヒミを見ている。

 困惑と焦燥の色が、瞳を充たしていた。


「……『劫奪こうだつ者』と『使役しえき者』のことは有耶無耶うやむやのままだが、終幕だ」


 明良は去来大師の目前で、「幾旅金」を上段に構える。


「……ホ・シアラ。すまないが、ここまでされて、危険な物を貴様に感じて、生かしておくほど俺は寛容ではない。次こそは、よき旅路を歩んでくれ」


 黒髪の少年は、なぜかしら口惜しい気持ちを押し込めるように、柄を握る手に力を込める。

 だがその途中でつと、心中に響きはじめた違和感――「とある言葉」が明良には気になり始めた。


(『アキラ……さん』?)


 ヒミの、喉奥から絞り出したような声。

 「アキラさん」と、いましがた、自らを呼んだ音。

 違和感の正体は、それだった。

 声音は間違いなくヒミの物なのだが、


(アイツは俺を……『明良』と呼んでいたぞ?)


 先日、早朝に訪ねてきた動力大師とヒミとに、お茶を供しながら、明良は説明したものだ。

 自身の「明良」という名を。彼らは「ア・キラ」という「魔名」で勘違いをしているのだ、と。

 そうして、動力の大師は「明良」と、その弟子は「明良様」と彼を呼んでくれるようになった。その説明以前も含めて、ヒミに「」で呼ばれた記憶は、明良には存在しない。


(呼び名が……こんな場面で、変わるものか?!)


 当惑していた明良は、気付くのが遅れた。

 目の前の氷の囲いが、一瞬にして消え去ったことを。

 その機を知っていたかのように直後、ホ・シアラの平手が迫り、明良の腕を鷲掴みにしたことを。


「ッ?!」

「……これが、ギアガン大師さえもだまおおせた、奥の手です」

「なんだと?!」

「……ハ行・収命しゅうめい


 大師の手を振り払ういとまもなく、明良の姿は暮色ぼしょくの執務室から消え去ってしまった。

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