神衣の禁術と大師共闘 9

 この発光は新たな攻勢かもしれないと警戒した美名は、視界が飛んだまま、後ろへと飛び下がった。気付けば、すぐ近くにハマダリンの影がある。


「リン様! これは……? プリム様は……?」

「心配ない。ヤツの気配はすでに消えている」

「消え……て……」


 果たして、まばゆい光は発したときと同じ、前触れもなく収まると、他奮たふん大師の言葉のとおり、セレノアスールの町を脅かしていた巨大な影は消えていた。

 パチパチと瞬きして目を慣らすと、美名は眼下の瓦礫がれきの山のうえ、倒れ伏している裸体を見つける。大師の制止の声も聞かず、少女は飛び降りていった。


「プリム、さ……ま……?」


 降り立って駆け寄った美名は、ひと目みて感じた異様さに立ちすくんだ。


 ソ・プリムは元の「ヒトの大きさ」になっており、相貌や体格も、美名の記憶にあるとおり、「プリム大師」そのままに戻っている。両の手を失って出血も多いが、息遣いの気配はしっかりとあり、すぐに絶命にいたる様子ではなかった。

 だが、

 彼女の口元には締まりがなく、目もうつろ。すぐそばに立つ少女の姿は、当然、視界に入っているだろうが、少しも視線を寄越してこず、一心に星空を眺めているかのよう。

 戦意どころか精神さえ失ったかのような空虚の姿――。


 ハッとして我を取り戻した美名は、自らの襦袢じゅばん袖を破り取ると、プリムの横にしゃがみこんだ。

 手首付近の血管を抑えつつ、切断面に破り布を当て、縛り上げる。

 その応急手当のあいだもプリムは腕や表情を弛緩させたまま。ふくらかな体躯に生気が通う気配は一切なかった。


「プリム様……。今……、手を……探してきます……」

「……こ、こっき……」

「え?」


 なにやらつぶやいたようだったので、美名はプリムの口元に顔を近づけていった。


「プリム様、なんです? なにを仰りたいんですか?」

「こっき……せ……。よ……」


 プリムの声はあまりに小さく、断続的。

 美名はさらに顔を近づけた。


「こっきせ……」


 それを最後に、プリムは囁くことを止めてしまった。


「プリム様……?」

「『克己こっきせよ。なによりもまず、それが求められる』」


 かけられた言葉に振り返ると、すぐ後ろにハマダリンの長身があった。

 胸には「手のひら」をふたつ抱えている。


自奮じふんの魔名が『克己の定めにさえ打ち克つ』とあだ名される所以ゆえん、サ行大神たいしん神言かみごとのひとつだ。確か、プリムが好んでいたはず。美名は、『神言録かみごとろく』の暗誦あんしょうは苦手だったのかな?」

「あ、私はその……、魔名教学を受けてなくて、『神言録』もほとんど知らないのです……」

「……そうか。ニクリといい、美名といい、型破りな人選が続くものだな」


 可笑しそうに微笑むと、ハマダリンは自らもかがみ込み、プリムの手首へと平手をかざす。すると、当て布の暗赤色の広がりが止まった。このまま――「断手だんしゅ」のまま、他奮の大師は「治癒力強化」を施したようだ。きっと、布の下の切断面では、赤みも残さず新たな皮が張ったのだろう。


「リン様。手を元に戻してあげることは……」

「それはできない。教区長の立場としてだけでなく、私的な感情においても」

「……ですよね」


 傷が癒えて出血が止まっても、プリムは呆けた様子のまま、空を見ていた。

 その姿がなぜだかとても哀しくて、少女はひとつ、涙を零す。


「プリム様は……。どうなってしまったのでしょうか?」

「……」

「少し経てば、元に……。気を取り戻すでしょうか?」


 ハマダリンは、少女が予想したとおり、首を振って否定する。


「今は平常に戻ったようだが、先ほどまで、プリムの体温が異様に高かったのを、美名は気付いたか?」

「……はい」

「『かぜの病』や『たいの病』には高熱を伴うものがある。経験則により、発熱の多くは平癒に向けての兆候と考えられているが、高まり過ぎた体温は精神を阻害する」

「高い体温が……、自分の体温が、プリム様の心を壊したのですか?」


 ハマダリンは、おもむろにうなずいて返す。


「『躯動くどう強化』や『膂力りょりょく強化』には体温上昇の副作用がある。ならば、あらゆる『強化』術を高い効果で集約させる『神衣かむい』……、特に『神衣の究極』では、この体温上昇作用も顕著となるだろう」


 美名は、クシャでうろ蜥蜴とかげと対峙したときのことを思い出した。

 あのとき、死にゆくユリナから「躯動強化」を受けていた美名は、その体温上昇の副作用がため、洞蜥蜴の標的となったのだ。


「『神衣の究極』での体温上昇は、ほかの強化術などとは比較にならないほど甚大じんだいで悪作用となった。大きくなってからのプリムは、狂乱とも違う、まともな自我さえ感じられなかったな。ああやって、発動直後から術者の精神が壊されるのが『神衣の究極』、自奮の熟達者のあいだで『禁術』として伝えられてきたものかもしれない」

「……」

「すでに異常な精神状態だったプリムは、タガを外してしまい、自滅必至の『禁術』を使ってしまった……。先ほどのサ行大神の神言だけを残して、プリムの心は絶えたんだ。もう、戻ることはないだろう」


 美名は、サ行の神言と似たような言葉を自身が叫んでいたことを思い出した。その直後から、巨人プリムの様子が少しばかり狼狽うろたえるようになったことに思いを馳せた。

 あのとき、自身の言葉はプリム大師を揺さぶっていたのだ。巨人は、りどころとしていた神の言葉をが吐いたことに、壊れかけた精神を動揺させたのだ。

 もしかしたら、あのとき、プリム大師を救う手立てがまだあったのかもしれない。美名の瞳からまたひとつ、涙が落ちる。


「泣くな、美名」


 ハマダリンの凛然とした声が少女をいさめた。


「罪を犯した者のために涙を流してしまえば、被害に遭った者たちにはどうしてやったらいい?」

「リン様……」

「このような姿になりはしたが、プリムには罪を償ってもらう。みなの前で、今回の件、正当に贖罪しょくざいをさせる。罪を償ったあとであれば、いくらでも泣いてやるといい。そうでなく、今、泣きたいのなら、涙を流さず、心のうちだけに留めておけ」


 美名は、そう言うハマダリンの横顔のなか、プリムを憐れむ心情を垣間見る。

 ふたりがどういう関係であったか、美名には想像もつかない。だが、長年のあいだ、同じ大師職にあった者同士。自分などよりさらに思うところはあるだろう。

 少女は涙を拭い、他奮の大師に笑いかけた。


「やっぱり……。リン様って似てます」

「……またそれか」

「ふふ。ぶっきらぼうだけど、本当はとっても優しい……」


 照れてでもいるのか、大師は片眉をひそめると、「行くぞ」と言って立ち上がった。


「消火や逃げ遅れた者の救助、避難済みの者らの確認……。采配を取らねばならない。疲れてるところすまないが、美名はプリムをおぶって……」


 そう言いかけて、ハマダリンはが近づく気配を感じ取った。

 美名もまた、の接近に感づけたが、ちょうど、プリムの腕を肩に回して抱え上げようとしていたところだったので、迎撃対応ができたのは他奮大師ひとりだけだった。

 上方からのは、飛び向かってきながらハマダリンの剣閃を巧みにかわし、プリムの頭に急接近する。そして、瞬きよりも短いあいだ、また急上昇して飛び去っていった。

 飛来したモノはなんだったのか。何をしていったのか。

 先に気付いたのは、のいちばん近くにいた美名だった。

 

「そんな……。プリム様?」


 プリムの脳天から血が垂れ、鼻筋の横をつぅと流れていく。

 赤い血が流れて入った口唇こうしんに、呼吸の気配がなかった。


「プリム様、プリム様ッ?!」

「……やられた!」


 ハマダリンは飛び去って行った影を追い、飛び出す。

 足蹴りを重ね、全速で向かう。

 しかし、相手のほうが格段に早かった。どんどん影は小さくなり、夜空に溶けこんでいってしまう。


「……クソォッ!」


 大師は姿か、もう一度、目を凝らす。


(やはり……、あれは「飛雨ひゅうせき」……。レイドログのところの!)


「プリム様ぁ~ッ!!」


 少女の悲痛な叫びが木霊する。

 「ギィギィ」と、勝ち誇るような鳴き声が遠ざかっていく。

 セレノアスールの災厄を引き起こしたのは、自奮の大師だけではなかった。タ行使役しえきの大師、レイドログも今回の件に関わっている。それも、おそらくは首謀。美名が注進してくれたとおりだった。

 いったい、この町に――居坂いさかに今、何が起きようとしているのか。

 事態の混迷さに、ハマダリンは歯噛みするほかなかった。

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