角猪のアヤカムと水溜まり 3

ブフモォオォ!!


 ただの一頭を切り倒したからといって終わりではない。

 憤怒しているかのような角猪つのししの行軍は、先頭のものがいなくなったからといって止まることなどない。

 明良あきら一刀いっとうが皮切りになったように、麦畑からは次々とアヤカムが飛び出し迫り来る――。


ざんッ! らぁッ!」


 黒髪を振り乱し、白刃を薙ぎ回し、いきるアヤカムたちを瞬く間にさばいていく少年。


「何だ……。あの小僧は……?」

手司しゅしッ!」


 手下てかの叫びに、仮面兜は身構える。

 明良が舞うように跳躍する場の左右、麦穂のザワザワッとした音としなりが近づいている。

 「幾旅金いくたびのかね」の間合いの外から、角猪が迫り来るのだ。


「来たぞ! 全守衛手! 魔名を返すには早いぞ! 響かせまくれぇ!」


 ときの声を上げた守衛手の長は、相手とする角猪を瞬時に定める。

 直後、そのアヤカムが麦の中から飛び出して来た。


「正面には立つな!」


 手下に向けて自身が叫ぶ通り、角猪の突進の真向いから少し外れた位置に構えていた長は、アヤカムが脇を抜ける寸前、その毛むくじゃらの巨体を両腕で抱え込んだ。


ブフモォ!!


「ぐゥっ……!」


 アヤカムの突進は止まる。

 「自奮」で強化されていなければ、引きられるか、振り払われるかしていたであろうちからだった。

 守衛手の長はすかさず、角猪の「一本角」をガッシと掴む。


「角猪は角が弱点だ! 折れぇっ!」


 彼の言葉は正しい。

 角猪の「一本角」は武器であり、感覚器でもある。豚に似た大きな鼻は、実のところは「補助嗅覚器官」であり、角猪の「真の嗅覚器」は「一本角」の先端付近にある。

 これを失うと、アヤカムは向かう標的を定められず、狼狽えだす。居坂で山を歩く者、守衛職に就く者の常識であった。


「ふんっ!」


バキッ!


 守衛手の長は「膂力りょりょく強化」で増加している腕力をふるい、抱え込んでいるアヤカムの角をへし折った。

 この彼の行動は正しい――だが。


フモ、ブフモォオオオ!


「なんだと?!」


 腕の中の角猪の勢いに、弱まる気配がない。


「ど、どういうことだ?!」

「……『使役しえき』だ!」


 声のした方に仮面兜はおもてを向ける。

 黒髪の少年だった。

 角猪を縦横じゅうおう無尽むじんに切り捨てながら、跳び回りながら、明良が叫んでいる。


「この群れは『使役』の魔名術を受けてるッ! 角猪はヒトと会えばヒトを襲うアヤカムだが、こいつらにはその気配がない! ッ!」

「『使役』の術? 角猪の、この頭数をか……?」


 一般に、「アヤカム」への「使役」は高度であることが知られている。

 個体の大きさとヒトへの懐きにくさに伴って難しくなると考えてよい。角猪一頭でも「使役」の術にかけるのは簡単ではない。それが、この数である。


「『動力どうりき』に続いて、『使役』の大師でも来襲したというのか……?」

「……手司! 『使役』の『上書き』が可能な個体もいます!」


 「使役」術者の手下から、報せる声が上がる。


「脳天を叩け! 角の上あたりだ! 頭が要の生き物であることには変わりない!」


 躍動する明良からは叫びが上がる。

 守護手司はへし折った角を逆手に持つと、「ふん!」と威勢をかけ、腕の中の角猪の額を貫いた。

 悲痛な鳴き声を上げた角猪は、ジタバタと最後のあがきをした直後、ぐったりとしてちからを失くす。

 この場の指揮者は「よし」と意を決したように仮面を開き上げ、立ち上がった。


「……使役術者は後方から『上書き』ッ! 動力どうりきは足を折れ! 抜けてきた者を自奮じふんが迎え撃つ! つのでも千切って脳天にお返ししてやれ! 手の空いたものは『段』以上の幻燈げんとうつのってこい! 『希畔きはんの幻』でも見せてやれば一挙にくつがえせるかもしれん!」

「ハイッ!」

「少年におくれをとるなよぉ!!」

「うぉおぉおおっ!!」


 明良の剣閃の範囲を抜こうとするアヤカムは、瞬時にその身を切り裂かれる。

 使役の術を受けたアヤカムは困惑するように立ち止まり、後続の仲間の角に貫かれる。

 動力の術を前肢まえあしに受けたアヤカムは転び倒れ、後続の仲間の足蹴あしげにされる。

 幸運にもそれらを潜り抜けられたアヤカムは、自奮術者に力尽くで捕らえられ、角を折られ、仕留められてしまう。

 自奮の守衛手と明良とは、後衛からの他奮たふんの術を受け、従来以上の力を発揮できている。


(一頭も通さないッ!)

 

 ふるう技はそれぞれに違うが、この場の者の想いはひとつ。

 黒髪の少年と守衛手たちの護りにアヤカムたちが突っ込んでいく光景は、仮に上空から眺めたとしたら、黒い大蛇が壁にぶつかり、惜しむことなくその身を溶かしていくかのようであった。

 だが――。


「手が……重くなってきた……」

「いったい、何頭いやがるんだ!」

「弱音を吐くなぁ!」


 アヤカムの行列は、いまだ麦畑の奥の林から抜け切らないほど、全容が知れない。

 果てのない魔名術の連続に、護りの術者たちには疲労の色が見え始めた。


「守衛手として誓いの槍を立てた者が、あの少年のふるいに負けるなよッ!」


 そんな中にあって、明良の動きは時を経るごとに流麗になり、「幾旅金いくたびのかね」の白光は角猪を斬るごとに冴えわたっていく。

 黒髪の少年は、汗を散らしながら、あまつさえ笑みも浮かべているようだった。


(不謹慎だが……、この騒乱の渦中で俺は、自らの技の深化しんかを感じるぞッ!)


ともがらよ! ふるえぇぇぇッ!!」

「うぉぉぉおッ!!」


 守衛手の者たちに力が返ってくる。

 今や、畑の麦穂はほとんどが踏みしだかれて地に倒れており、群れる角猪の姿もより露わになっている。

 その群れが崩れる勢いが、増した。

 さらに、守衛手たちの背後に新手の気配が現れ来る――。


手司しゅし幻燈げんとう術者です! 『段』の議会員の方も来てくれました!」

「心強い! ヤツらに……、角猪たちに、、狂わせてくれぇ!」


 新手の助っ人。老若男女、合わせて十名弱。

 前掛け姿、白外套衣、まだあどけなさの残る顔――身なり風体ふうていも様々な幻燈術者たち。

 彼らはお互いに頷き合うと、麦畑に向けて平手を掲げる。


「マ行・夢映むえいッ!」


 即席の幻燈隊である。一般の住人も含まれている。当然、詠唱は揃わない。

 だが、立場は違えど、彼らは希畔の住人である。

 ししたちの心に見せる、『希畔の夢』のかたちは揃っていた。

 幻燈の魔名術を受けたアヤカムの群れは、突進を急転する。


「角猪たちが……」

「よし、目論見通りだ! ケダモノたちは、ぞ!」


 右へ、右へ、右へ……。

 鼻息を荒げ、角を振りながら、ただその場を右へ右へと回り駆けるアヤカム。

 麦畑を舞台にして、踊るように旋回し続けるししたち。

 林から続けて飛び込んでくる角猪も、燃え盛る炎を抜けたあと、幻燈の術範囲に至っては回り出すのだった。

 やがて、大蛇の尾は遂に晒され――アヤカムの群れは、その全てが麦畑の内に収まった。


「……皆、退がれぇ! 少年もだ! 全員が退避次第、動力、火を再度放てぇ!!」

「カ行・焔矢ほむらや!」

「ありったけ撃てェぇえェッ!!」


 火矢が飛ぶ。

 麦畑が燃える。

 幻燈に踊り狂いながら、その身を焼かれゆく角猪たち。


(ひとりの奮いをゆうに超える、みなの魔名、か……)


 肩で息をきながらの明良は、自分でも知らず、誇らしげに微笑みを浮かべて、その光景を見つめる。

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