白の町と書店 3

 セレノアスールは比較的に歴史の浅い町である。


 千年前の教区制当初、第八教区の教区都は「セレ」という町に置かれた。その町はセレ半島の突端、海岸間際にあった港町である。大陸を代表する巨大な湾の入り口にあり、湾に出入りする海流の複雑さのためか、漁獲も豊かで栄えた町であった。

 しかし、もとからの土地の地盤が弱かったのだろう。波の侵食のため、海岸線が時代を経ていくにつれ、町に近づいてきていた。海の接近は、六百年ほど前にはついに、町域ちょういきの寸前に及ぶまでになった。

 このままでは、セレの町は海に沈む。

 防波石を講じようにも、地下から土地が削られるようで、一時しのぎにしかならない。内陸に町を拡げても、海岸線の接近と町の拡大、この先ずっと、同じことを繰り返す羽目になる。

 様々に議論が重ねられたが、最終的にはセレの放棄が決定された。


 代わりに新しく造られた町がセレノアスールである。セレから歩いて半刻ほど内陸に入ったところ、侵食に強いと目された岩盤の土地に、漆喰しっくいの壁で統一された町が造られたのだ。

 以来、「セレの明日あす」を名に冠された町は、セレから引き継いだ海の恵みと、今や目前まで迫った海と、白亜はくあで織りなす景観。そして、新たな町の特色である「歌劇かげき」を軸に、さらなる繁栄を続けていた――。


「それで、どうするの? しばらくこの町にいるの?」


 階段を一段ずつ、確かめるように昇りながら、小さなネコは少女を見上げる。

 坂の多いセレノアスールでは、こういった階段造りの通りが多い。斜面に沿って建ち並ぶ店屋街を、美名とクミは歩いていた。

 折からの雪は町をほんのりと白く覆っただけで、ひとまずは落ち着いている。上空では暗い雲が垂れこめ、日も落ちる間際だろうが、積雪の白さと町並みの白壁のため、町自体がほのかに明るんでいた。


「そうよ。頑固なヤ行の大師様が折れてくれるまで、イヤってほどに通い詰めるわ」

「美名も充分、頑固よ。年明けには明良と会う約束、してるんでしょ?」

「してるよ」

「間に合うの?」

「確か、この町から、東大洋とうたいようを回って大都だいと大陸に行く船があったはずだよ」

「すぐ着くものなの?」

「乗ったことはないけど……、二、三週くらいじゃないかな?」

「じゃあ、あんまりのんびりしてらんないじゃない。年が明けちゃうわ」

「う……。ワ行大師としての仕事だから、こっちも大事よ。明良なら謝れば判ってくれる」

「愛想尽かされても知らないわよ。そうでなくとも、遠距離は難しいっていうし? 大都にも可愛い子、いるだろうし?」

「うぅ……」


 しょんぼりしてしまった美名が立ち止まったので、クミも足を止めると、ここまで登って来た道をそれとなく振り返ってみた。

 色違いの双眸そうぼうに映るのは、白壁の並びと暗い色の海。そして、海に張り出すように建っている、石煉瓦れんが造りの教区館――。


「変な造りの町よね。あの教区館、一番下に建ってるから、町のどこからでも屋根が見えるんじゃないかな……。それに……、のよね」


 目を戻すと、今度のクミは、自分たちが立ちすくむ坂道の通りと店屋の並びを眺め渡す。


「ヒト通りがあんまりないし、たまにすれ違っても、足元が危ないのは判るんだけど、皆、下ばっかり向いてる。なんだか、これだけ大きい町なのに、っていうか……」


 などと勝手な感想を述べるネコだったが、相方が応えてくれないので見上げてみると、二色にしき髪の少女は「神代じんだい遺物いぶつ相双紙そうぞうし」を取り出して見つめていた。まるで、その紙片を通じて、「よきヒト」の姿を見出そうとしているかのよう。


「……美名? 気にした?」

「……」

「ごめん、て。ダイジョブよ。アンタたちは全然、ダイジョブ。おしどり夫婦も真っ青のベストカップルよ」

「……オシドリのオスは、たくさんのメスと卵を作るんだけど……」

「え? あ……、そうなの? 居坂いさかではそういう鳥が『おしどり』なの?」

「……」

「それより、ほら。目的の本屋、行ってみましょ。ほら、ほら」


 そう言ってはぐらかすと、クミは慌てたように階段を昇りだす。

 口をへの字に曲げ、不機嫌を露わにさせながらの美名も、ネコのあとに従った。


 まもなく、坂が終わる間際、日除ひよ雨除あめよ雪除ゆきよけのほろを張り出した小店舗にふたりは辿り着いた。

 夜の到来も間近だが、軒戸のきどが開いていることに、少女は「よかった」とつぶやく。


「いつかの万物よろずもの屋みたいに、なくなってはないね」

「まぁでも、魔名教の情報網にもひっかからないんだし、ゆかりがあった他の場所の例を思い返してみても、ここにも先生の手がかりはないんだろうなぁ……」

「クミは、なんでそういうコトばっかり言うかなぁ……」

「ごめん、て!」


 不服の美名を置いて、幌下ほろしたに身を進めるクミ。

 店先からは、雪降りのあとの清新な空気に混ざって、古びた紙と墨の匂いを感じる。ふぅ、とネコが息を吐くと、その小さな吐息も店内へと吸い込まれるかのようであった。

 足裏の雪汚れを敷き布でぬぐってから、クミ、続けて美名、ふたりは店内へと入っていく。

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