追跡者と物淋しい岬 3

「ひぃい?! なんかいるぅ!」


 転げ落ちつつもクミは、すりばちの底に見つけた。

 土砂が流れこむ中心にいるのは、牙か、つのか、まるで鎌のような形状の部位をもたげ、落ち来るネコをいまや遅しと待ち構える異形いぎょう――。


馬喰うまはみじゃっ! 捕まってはならんぞ!」


 馬喰とは、昆虫に似た形態のアヤカムである。

 本来はこの地よりはずっと南方に棲息せいそくする種であり、砂礫されきの土地に潜んではこのような罠を仕掛け、じっとしている。そこにかかった生き物を捕食するのだ。

 体長はクミ――ネコとさほど変わらぬ程度だが、その名にあるとおりで、ヒトだろうと馬だろうと、自らより大きい獲物も難なく捕らえ、食べてしまう。それを可能とするのは、捕獲した生き物に注ぎこむ消化液。これを体内に入れられたら最後、生き物は内より溶かされ、吸われてしまうのだった。


「捕まるなって言われても! 無理ぃ!」


 必死に這い上がろうとするも、黒ネコのあしは砂を滑るのみ。

 馬喰の鎌がネコに迫る――寸前、大師ふたりがほぼ同時に動いた。


「ナ行・硬化こうか!」 


 まず、識者しきしゃ大師が唱える。その魔名術の対象は、流砂であった。

 傾斜は残るが、地面は瞬時にして固められ、踏ん張りがきくようになる。

 だが、小さなネコは落ちきる寸前であった。

 いくら足場が整ったとはいえ、崩れた体勢を立て直すには間に合わない。もはや、アヤカムの口吻こうふんは眼前。客人まろうどは、餌食えじきと成り果てる――。


「クミちん、ごめん! 雷槍らいそうッ!」

 

 これを防ぐべく放たれたのが、波導はどう大師の「雷電らいでん」。

 不安定な足元のため、手を伸ばすことも魔名術の狙いを定めることもできずにいたが、足場が安定するやいなや、ニクリは波導術を撃った。

 しかし、これにも問題があった。

 捕らえられる直前だったため、標的にすべきアヤカムとのあいだ、クミの身体が立ち塞いでいたのだ。

 それでもニクリは、「雷電」を撃った。


「うひゃぁ?!」

「――ぎピッ?!」


 光と轟音の雷撃に焦げ果てたアヤカムは、奇怪な声を上げ、撃滅された。

 しかし、雷の槍に貫かれたはずのクミは、まったくの無傷である――。


「ビックリしたぁ……って、キモッ! 近くで見るとこのアヤカム、キモい!」

「クミちん! 捕まってだのん!」


 「クミに魔名術は効かない」――。

 ニクリは、小さな客人まろうどのこの性質を瞬時に思い出し、それを利用したのだ。生半可な魔名術であれば、クミに当たった時点でかき消えたであろうが、「雷電」は、波導大師の強力な武器。ネコになんら負傷を与えず、減退することなく通過していった雷撃は、その先のアヤカムに命中したのである。


「……ありがと、ふたりとも。助かったよぉ」

「やれやれ、世話の焼ける……」

「さ、昇るのんよ」


 差し伸べられた手にあしを預けるクミ。

 だが、顔を上げたところでギクリと身が強張こわばってしまう。

 見上げた先の光景は、ニクリの顔とタイバの姿。その奥に人影があったのだ。すりばちの上から三人を見下ろす影――。


「残念です、クミさん」


 影は、自らの顔付近に手を持っていくと、なにやら所作をしてみせる。


(あれって……、メガネ……?)


「あのまま落ちて神世かみよに帰っていれば、これからの惨状、見ることはなかったでしょうに」

「あなたは……」


 陽の光の角度も高まり、もう少しで影の顔貌かおかたちが明らかとなる。

 だが――。


「『炸化さくか』ッ!」


 タイバ大師の詠唱があり、直後、爆音と噴煙が巻き起こった。

 クミの視界は一瞬にして遮られ、傍にいたはずのニクリの姿も見えなくなってしまう。


「イバちん、『爆炸はぜ』を使ったのん?!」

「手応えはない! お前様はクミ様を連れ、早う上がれい! もたついておると次が来るぞい!」


(「次」……? 今のアヤカムも、の仕業だったってこと?)


 事態の急変に追いつけないクミ。だが彼女は、ふいに抱きかかえられたようだった。

 一瞬、焦りはしたものの、鼻先で感じるのは慣れ親しんだ匂い。ニクリのものである。視界が通らず、身体も浮かされ、状況を掴みきることはできないが、クミは今、ニクリに保護されているようだった。


「リィ、ちょっと! 今、どうなってるの?!」

「掴まってて、クミちん! 今、上ってるところだのん! 近づけないように『波導の遮り』も作ってるのん!」

「波導の遮り……?」


(それって……やっぱり……)


 まもなく、上下の揺れもしなくなった。

 土煙が濃いなか、ニクリは、地上に上りきることができたらしい。


「タイバ大師、ダイジョブかしら……」

「足音はしない……けど、呼吸はあるのん。、近くにいるのん……」


 波導術で位置関係を把握できているようだが、ニクリに動き出す気配はない。視界不良で漠然としたこの状況、彼女とて、軽々に動くべきではないと判断したようだ。

 そうこうするうち、爆発で巻き上げられた土煙も落ち着いてくる。

 開けてきた視界の五歩ほど先、直前と変わらぬすりばち穴の縁の位置に、これも直前と変わらぬ立ち姿で相手はいた――。


「キョライさん……。いえ、シアラ大師ね……」

「……のん」


 長身瘦躯そうくに赤毛の長髪。白衣をまとって、眼鏡がんきょうを掛けた姿。頬に入った縦傷と左手のふだがこいがどことなく不安の感をあおる男――。

 少女とネコのとがめるような視線を受けたホ・シアラは、それでもなお、口元に微笑をにじませていた。

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