追跡者と物淋しい岬 2
「『エマエマ』……。トジロ様の娘さんの名前、あるわね」
「こんなに多くのヒトがいっぺんに……。誰かのせいで魔名を返しちゃったかもしれないのんね……」
岬の先端、十字墓標に刻まれた魔名は百を超える。
クミとニクリは、まるで、三十年前の悲劇が昨日のことであるかのよう、ひとつひとつの魔名が彼女らの
その背後に、
「そこの小山が住民らの合同墓のようじゃな。残った縁者は少ないじゃろうに、存外に手入れされとる」
一同は、小山の前に移動してくる。
「シアラ大師かレイドログ大師がお供えしたものかしらね……」
クミは、背筋を伸ばすと、小さな
いったい何を意味するのか判っていない様子だが、そうせずにはいられないとでもいうように、ニクリもまた、同じ所作をとった。
朝の光が差し出すなか、そういう時間が少しばかり流れたのち、三人は場所を移し、岬の
「あれがオンジ……。オンジだった場所じゃ」
見下ろす景色は、湾曲した海岸線。その背後では草木もまばら、
「……ヒトが隠れられそうな場所はなさそうね」
「『
「二里ってぇと……、一里が二十
「なんじゃい、クミ様よ。お前様も
「慣れ親しんだ感覚を変えるのって、結構ムズカシイのよ。時間も曜日も、いまだにピンと来ないし……」
「……ふむ。まぁ、いずれにせよ、ずばりオンジにいるというわけではないようじゃ。ほれ、ここにいても目立つ。ひとまずは降りていこうぞ」
老大師の呼びかけで、クミらはオンジの跡地に向かうことにした。
合同墓が置かれた岬は、オンジ跡そのものからは少し離れ、高い場所にある。オンジに降りるには、もう長いこと使われていないのだろう、整備されずに荒れた道を迂回していかねばならなかった。
「ひゃんっ?!」
枯れ枝をパキンと割る音とともに、クミが
丸々とした肢で口元を抑えたネコは、ひと呼吸おいてから「ごめん」と謝った。
「もしかしたら聞かれてたりするかもなのに、音立てちゃったよ……」
「ダイジョブだのん、クミちん。さっきから、足音は聞こえないように、リィたちの姿も見えないように、魔名術を使ってるのん。今のもゼンゼン響かせてないのん」
「へぇ……。さすがはラ行
「のん! ワルモノを見つけても、リィがすぐに
「それなんじゃがの、ニクリよ……」
先行くタイバが背中のまま、神妙な声を出す。
「いや、最強の嬢ちゃん大師だけじゃないぞ。クミ様もじゃ」
「……なに? どしたの、タイバ大師?」
「お前様ら、妙に張り切っておるが、今回はよほどのことがない限り、手を出すでないぞ」
予期せぬ言葉に、「え?」と、ふたりの歩みが止まる。
「手を出すなって……、どういうコト?」
「イバちんがひとりで捕まえるのん?」
「そうではない。今回は
「のん……?」
首を傾げる少女らに振り返ることもせず、タイバは歩を進めていく。
「敵の全容はいまだ不明瞭のままじゃ。辿り着いた先、敵方が十数人もいたらどうする? そのひとりひとりが大師ほどの力量であれば、どうするんじゃ?
「そんなことないのん。ドロボウの血は、やっとの想いでみんなで見つけられた手がかりだのん。罠なんてこと、あるわけないのん!」
「それだけを言うとるんじゃない。万全を期すべきじゃ、と言うておるんじゃ」
ここではじめて、タイバが振り返ってくる。
その
「いくらお前様がラ行波導の至高だろうと万能ではない。どこぞの
「むむ……」
「
少女らは黙り込んでしまったが、ややあって、「そうね」と同意するのは小さなネコである。
「タイバ大師の言うとおりだわ。今までさんざん振り回されてきたんだもの、石橋を叩いて叩いて叩きまくって、それでも渡らない。そんくらいじゃないとアブナイのかも……」
「クミちん……」
「今回の第一目標は、敵のアジトを突き止めること。多くは望まないようにしましょ。それで、あとでグンカさんや美名たちも合流して、万全の状態にして、備えもして……。それで捕まえることにしようよ」
ややあって「のん」と答えはするものの、その表情、沈みようから、少女大師が不服気味であることは見て取れた。
クミとて本心では、この場での解決ができるものならそうしたい。さんざんに振り回してくれた相手を降伏せしめたいと思っている。
だが、タイバ大師に忠告され、その考えをあらためることができたのは、クミ自身にそのような
しかし、年若く才気あふれる波導大師にこの考え方は欠けている。いや、欠けるといっては適当ではない――必要なかったのである。才気あふれるがゆえ、これまでの少女には、事を慎重に運ぶ周到さは無縁であったのだ。
(だからって、責められるもんでもないよね……。私がリィや美名の頃なんて、大したコト考えもせず、ただただ学校に行くだけだったんだから……。悪いコトを許せないって想いは、それ自体、大切なモンだし……)
それからは交わす言葉も少ないまま、やがて一同は、オンジ跡地に辿りつく。
高台の岬から見た以上に土地は荒れ果て、海からの風が冷たかった。廃墟ともいえない
「ヒトが住んでたなんて、信じられないね……」
「この地が故郷の者にとっては、耐えられ……」
不自然なところで言葉が切れたので、クミは老大師を見上げた。
「どうしたの、タイバ大師?」
「『三七八二三』……。これは……変わっとらんぞ……」
放心して大師が見つめるのは、手元の「指針釦」。
それでクミも、彼が口走った「変わっていない」が、遺物の光のことだと判った。
「色が変わってないって……。それが、どうしたっていうの?」
「先ほどの墓からここまで、直線にして二町はあるはずじゃ……。なのに、
そこでクミは、不思議な感覚に襲われた。
背筋をなぞるような
(なんだろう、このカンジ……。何かが今、ガラっと変わった)
その
今、見ている光景である。
そうと気付いたとき、クミは、違和感の原因がなんであるか、ハッキリと
「タイバ大師……。しまった?」
「……『しまった』とは、なんのことじゃ、クミ様?」
「絨毯よ。私たちが乗ってきた絨毯、どこにしまったの?」
消えていた。
瞬きほどのほんの一瞬で、タイバ大師が小脇に抱えていたはずの「空飛ぶ絨毯」――それが消失したことに、クミは気付いたのだ。
防寒帽のすき間から、タイバは脂汗を流す。
「しまっとらん。儂は、絨毯には何もしとらんぞ」
「え……?」
「ぬかったか……? この色は、『三七八二三』は……、よもや、最接近の色……。敵はすでに……、墓のところからすでに、儂らのすぐそばにいたのか?!」
タイバがそう言った直後、三人の態勢がグラリと揺れる。
足元の地面が滑り出したのだ――。
「な、何よコレ?!」
「
「地面に呑まれてくのぉん!」
すりばち形に流れだした地面に足をとられ、一行は、大きく態勢を崩される。立っているのもままならない。
「きゃっ?!」
一番はじめに身動きを奪われたのは、小さなネコ。
体の軽いクミは、土砂の流れにコロコロと身を転がされ、中心へと落とされていくのだった。
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