追跡者と物淋しい岬 2

「『エマエマ』……。トジロ様の娘さんの名前、あるわね」

「こんなに多くのヒトがいっぺんに……。のせいで魔名を返しちゃったかもしれないのんね……」

 

 岬の先端、十字墓標に刻まれた魔名は百を超える。

 クミとニクリは、まるで、三十年前の悲劇が昨日のことであるかのよう、ひとつひとつの魔名が彼女らの知己ちきであるかのよう、居たたまれない気持ちで見入っていた。

 その背後に、絨毯じゅうたんを畳み、小脇に抱えこんだタイバが立つ。


「そこの小山が住民らの合同墓のようじゃな。残った縁者は少ないじゃろうに、存外に手入れされとる」


 一同は、小山の前に移動してくる。

 識者しきしゃ大師が見たとおりで、小屋ほどの大きさに盛られた墓は小綺麗な様子。雑草が生えることもなく、海風にさらされる場所だろうに崩れていない。ただひとつ物哀し気なのは、小さな献花台のうえ、色あせた一輪花が残されていること――。


「シアラ大師かレイドログ大師がお供えしたものかしらね……」


 クミは、背筋を伸ばすと、小さなあしを顔の前で合わせて目をつむる。

 いったい何を意味するのか判っていない様子だが、そうせずにはいられないとでもいうように、ニクリもまた、同じ所作をとった。

 朝の光が差し出すなか、そういう時間が少しばかり流れたのち、三人は場所を移し、岬のふちで眼下を見下ろす。


「あれがオンジ……。オンジ場所じゃ」


 見下ろす景色は、湾曲した海岸線。その背後では草木もまばら、禿げた箇所が多く見える野原が広がる。ところどころに崩れた石組みや漁船の残骸が見え、かつてこの地にヒトが住んでいたことをかろうじて察することができる。だが、これがなおさらのわびしさを感じさせもした。


「……ヒトが隠れられそうな場所はなさそうね」

「『指針釦ししんのこう』の赤色は『三七八二三』じゃ。二日前に確かめたとおりであれば、目的の相手まではあと二里にりほどは離れていよう」

「二里ってぇと……、一里が二十ちょうで、一町が大体二百メートルだから……あと八キロは離れてるってことね」

「なんじゃい、クミ様よ。お前様も居坂いさかに来てずいぶん経つだろうに、まだそんなことも判らんでいるのか」

「慣れ親しんだ感覚を変えるのって、結構ムズカシイのよ。時間も曜日も、いまだにピンと来ないし……」

「……ふむ。まぁ、いずれにせよ、ずばりオンジにいるというわけではないようじゃ。ほれ、ここにいても目立つ。ひとまずは降りていこうぞ」


 老大師の呼びかけで、クミらはオンジの跡地に向かうことにした。

 

 合同墓が置かれた岬は、オンジ跡そのものからは少し離れ、高い場所にある。オンジに降りるには、もう長いこと使われていないのだろう、整備されずに荒れた道を迂回していかねばならなかった。


「ひゃんっ?!」


 枯れ枝をパキンと割る音とともに、クミが頓狂とんきょうな声を上げる。

 丸々とした肢で口元を抑えたネコは、ひと呼吸おいてから「ごめん」と謝った。


「もしかしたら聞かれてたりするかもなのに、音立てちゃったよ……」

「ダイジョブだのん、クミちん。さっきから、足音は聞こえないように、リィたちの姿も見えないように、魔名術を使ってるのん。今のもゼンゼン響かせてないのん」

「へぇ……。さすがはラ行波導はどうの大師ね。『最強』だなんて言われるだけあるわ」

「のん! ワルモノを見つけても、リィがすぐにしびれさせてやるのん!」

「それなんじゃがの、ニクリよ……」


 先行くタイバが背中のまま、神妙な声を出す。


「いや、最強の嬢ちゃん大師だけじゃないぞ。クミ様もじゃ」

「……なに? どしたの、タイバ大師?」

「お前様ら、妙に張り切っておるが、今回はよほどのことがない限り、手を出すでないぞ」


 予期せぬ言葉に、「え?」と、ふたりの歩みが止まる。


「手を出すなって……、どういうコト?」

「イバちんがひとりで捕まえるのん?」

「そうではない。今回は物見ものみに徹すると、そう言うておるのじゃ」

「のん……?」


 首を傾げる少女らに振り返ることもせず、タイバは歩を進めていく。


「敵の全容はいまだ不明瞭のままじゃ。辿り着いた先、敵方が十数人もいたらどうする? そのひとりひとりが大師ほどの力量であれば、どうするんじゃ? わしらのこの探索もバラまかれたエサに食いついてしまっただけで、罠がないとも限らん」

「そんなことないのん。ドロボウの血は、やっとの想いでみんなで見つけられた手がかりだのん。罠なんてこと、あるわけないのん!」

「それだけを言うとるんじゃない。万全を期すべきじゃ、と言うておるんじゃ」


 ここではじめて、タイバが振り返ってくる。

 その双眸そうぼう老獪ろうかいさを宿し、さとすように少女らを見上げている。


「いくらお前様がラ行波導の至高だろうと万能ではない。どこぞのともがらと違い、不死たりえん」

「むむ……」

客人まろうどのクミ様とて同じことじゃ。この場で解決しようとはやるのではなく、今後のための情報収集……。今回はこれに徹しよ」


 少女らは黙り込んでしまったが、ややあって、「そうね」と同意するのは小さなネコである。


「タイバ大師の言うとおりだわ。今までさんざん振り回されてきたんだもの、石橋を叩いて叩いて叩きまくって、それでも渡らない。そんくらいじゃないとアブナイのかも……」

「クミちん……」

「今回の第一目標は、敵のアジトを突き止めること。多くは望まないようにしましょ。それで、あとでグンカさんや美名たちも合流して、万全の状態にして、備えもして……。それで捕まえることにしようよ」


 ややあって「のん」と答えはするものの、その表情、沈みようから、少女大師が不服気味であることは見て取れた。

 クミとて本心では、この場での解決ができるものならそうしたい。さんざんに振り回してくれた相手を降伏せしめたいと思っている。

 だが、タイバ大師に忠告され、その考えをあらためることができたのは、クミ自身にそのようなちから、力量がないという自覚があり、なおかつ、危険性を念頭に置き、物事を考えるクセが身に備わっているからである。悪く言ってしまえば、打算的な物の考え方だった。

 しかし、年若く才気あふれる波導大師にこの考え方は欠けている。いや、欠けるといっては適当ではない――必要なかったのである。才気あふれるがゆえ、これまでの少女には、事を慎重に運ぶ周到さは無縁であったのだ。


(だからって、責められるもんでもないよね……。私がリィや美名の頃なんて、大したコト考えもせず、ただただ学校に行くだけだったんだから……。悪いコトを許せないって想いは、それ自体、大切なモンだし……)


 それからは交わす言葉も少ないまま、やがて一同は、オンジ跡地に辿りつく。

 高台の岬から見た以上に土地は荒れ果て、海からの風が冷たかった。廃墟ともいえない寒々さむざむしさに満ちる場所である。


「ヒトが住んでたなんて、信じられないね……」

「この地が故郷の者にとっては、耐えられ……」


 不自然なところで言葉が切れたので、クミは老大師を見上げた。


「どうしたの、タイバ大師?」

「『三七八二三』……。これは……変わっとらんぞ……」


 放心して大師が見つめるのは、手元の「指針釦」。

 それでクミも、彼が口走った「変わっていない」が、遺物の光のことだと判った。


「色が変わってないって……。それが、どうしたっていうの?」

「先ほどの墓からここまで、直線にして二町はあるはずじゃ……。なのに、色見いろみの数値が少しも変わっとらん……。


 そこでクミは、不思議な感覚に襲われた。

 背筋をなぞるような怖気おぞけが走る。


(なんだろう、このカンジ……。


 そのもとは、タイバ大師と交わした内容ではない。

 今、見ている光景である。

 そうと気付いたとき、クミは、違和感の原因がなんであるか、ハッキリとさとった――。


「タイバ大師……。?」

「……『しまった』とは、なんのことじゃ、クミ様?」

「絨毯よ。私たちが乗ってきた絨毯、?」


 

 瞬きほどのほんの一瞬で、タイバ大師が小脇に抱えていたはずの「空飛ぶ絨毯」――それが消失したことに、クミは気付いたのだ。

 防寒帽のすき間から、タイバは脂汗を流す。


「しまっとらん。儂は、絨毯には何もしとらんぞ」

「え……?」

「ぬかったか……? この色は、『三七八二三』は……、よもや、……。敵はすでに……、墓のところからすでに、儂らのすぐそばにいたのか?!」


 タイバがそう言った直後、三人の態勢がグラリと揺れる。

 のだ――。


「な、何よコレ?!」

流砂りゅうさじゃ!」

「地面に呑まれてくのぉん!」


 すりばち形に流れだした地面に足をとられ、一行は、大きく態勢を崩される。立っているのもままならない。


「きゃっ?!」


 一番はじめに身動きを奪われたのは、小さなネコ。

 体の軽いクミは、土砂の流れにコロコロと身を転がされ、中心へと落とされていくのだった。

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