大師の昏倒と慮外の潜入 2

(どうしよう……。勢いこんできたけど、迷っちゃった……)


 大都だいと王宮殿の外郭がいかくは、市街地と同様、防衛を重視した古来の建築様式をそのまま維持してきたものであり、死角の多い、入り組んだ造りになっている。

 明良あきらのあとを追ってきた美名は、初見では難解なこの迷宮に見事にまってしまい、廊下の真ん中で立ち往生していた。


(ヒトに訊こうにも、通りかからない……。誰も使わない道なのかしら)


 前にも後ろにも、右手にも先は続いている。三方の先でも少ししたら曲がるようで、視線は通らず、道標になるようなものも見当たらない。

 だが、そうやってキョロキョロしているうちに、ふと、「右」に行く気になった。


(なんだろう……。誰かに教えられたみたいな……、不思議な感じ……)


 疑問ではあるが、自身の直感であると信じ、少女は右手へ歩を進めていった。


 *


「――警備上、重点的に確認すべき箇所は以上だ。隊員の勤仕の傾向もさきほど伝えたとおり」

「は、はい……」


 警護隊の待機室内。

 担当であった門の守りからアナガを引っ張ってきた明良は、彼をこの部屋に連れ込み、隊の後事こうじの相談をしていた。


「隊長職の後任はインダになるだろう。アナガには、今話したことを踏まえて忠勤に励み、折を見て、ゼダンの信頼を得てほしい」

殿上てんじょうの信頼をって、どうやって……?」


 及び腰になっているアナガの手に、少年は紙片を握り込ませた。


「……これはいつもの……、よきヒトからのふみではありませんよね……?」

「警護隊の改善策だ。訓練や巡回の効率化、人材登用基準の明確化、装備の軽装を図っての経費削減案……。まだ煮詰めきれていないものばかりだが、どれも公費の軽減につながりうる」

「ふわぁ……。明良隊長、そんなこと考えてたんですね」

「これを元にしてアナガからも提言すれば、ゼダンも悪い顔はしないはずだ。いずれ、隊の重役を任されもするだろう」


 改善案の紙片を授け終えると、明良は、おもむろにアナガの両肩に手を置いた。

 この半年での少年の成長は、アナガの背丈に迫るものになった。それでもまだ少し見上げるようにしなければ、相手と面と向かうことはできない。


「アナガ。君は、善良なヒトだ」

「……え? 何を……いきなり言いだすんですか」


 たじろぐ相手に、少年は、ふっと笑ってみせる。


「こんなに生意気な餓鬼がきに分け隔てなく接してくれ、おかしな頼みも聞いてくれた。他愛もない冗談を言って、親しんでくれた。アナガには感謝してもしきれん」

「は、はぁ……」

今生こんじょうの別れになりはしまいが、最後にもうひとつだけ、頼まれてほしい。大都を守ってほしいんだ」

「それは……、警護隊の身のうえですから……」


 「いや」と明良は、首を振る。


「外敵だけを言っているんじゃない。内部の脅威からも」

「内部……?」


 明良は、置いた手に力を込める。


「魔名返上の危険をおかせとせがむわけではない。権威や権力に怖じず、正しいと思うコト、正しいと信じるコト……。言葉を発してほしい。アナガ自身の善良さに照らし、悪いコトは悪いと糾弾する。そういった役を担う者が、今の大都には必要になっているんだ」

「それは一体、どういう意味で……」


 アナガが困惑の顔になったところ、待機室の戸がコンコンと叩かれ「明良、いる?」と訊ねる声があった。

 少年にとっては聞き間違えるはずもない、美名である。


「……どうしてここが……」

「あ、合ってた……。入ってもいいかな?」


 戸板越しに入室許可を請われるも、明良は、意表をつかれたように茫然とするばかり。彼よりも先にアナガが「どうぞ、どうぞ」と答えた。

 それを受けて戸を開き、顔を覗かせたのはやはり二色にしき髪の少女である。


「もしかして、邪魔しちゃった?」

「あ、いや……。まぁ、まだ……。いや、もう……」

「隊長。お話は、一応全部終わりましたよね?」

「あ、ああ。そうだな。一応は」

「なら、私は役務に戻ります」


 意味ありげにふたりに目を配せると、アナガはそそくさと戸口へ向かう。

 だが彼は、きょとんとする美名の前で立ち止まると、少年に振り返った。


「さっきのこと……。私なりに頑張ってみます」

「……そうか」

「あくまでも、私なりに、ですよ。そこのところ、あまり期待しすぎないでくださいね」

「ああ、頼んだ」

「それではぁ~……、ごゆっくりぃ」


 ニヤけ顔で目配せすると、アナガは待機室を出ていった。


「やっぱり……、邪魔した?」


 後ろ手で戸を閉めた入れ違いの少女は、おずおずと訊ねる。

 少年は、目を閉じて眉間にしわを寄せながら、「いや」と首を振って返した。


「……待たせてしまっていたか? すまんが、まだ、荷物をまとめて……ッ?!」


 歩み寄っていった美名は、ふいに明良の両の手を取った。


「ちょ、おい。な、な……? 美名?」

「いいから、少しだけ黙ってて」


 言われた明良は、困惑も極まるとばかり、目をしばたたかせることしかできない。

 一方の美名は、身じろぎもせず、握る手に力を込めた。ただ黙って――。

 そうやって静かな時間が少しばかり流れたあと、「ね」とえくぼを浮かべ、少女が相手を見上げる。


「明良、焦ってない?」

「焦ってとは……。何が……?」

「いろいろなところでいろいろなことが起きてて……、焦ってない?」


 問いかけてくる赤い瞳の真意を測りかね、またひとつ、少年は瞬きをする。


「私は焦ってるよ」

「……」

「早く解決しなきゃ。全部、好転させなきゃ……。クミたちには成果があったみたいだけど、私たちのほうは、ゼダンはあんなだし、霧のなか、坂道を歩かされてるみたいに辛い……」

「美名……」

「だから、少しだけ、こうさせていて」


 それきり、少女は黙った。

 少年も、黙ることで応えた。

 握られる手では、ほんのりと力が込められた様子。それを美名は嬉しく思う。だんだんと緩やかになっていく相手の脈動が自分のそれと重なっていくようで、温かな気持ちになっていく――。

 やがて、どれだけの時が経ったのか、美名は「ありがと」と呟いて、手を離した。


「うん。ダイジョブ。落ち着けた」

「……そうか」


 にっこりと微笑む少女に、少年は「すまん」と小さく詫びた。


「どうやら、心配をかけたようだな……。すまなかった」

「うん。気負い過ぎず、真っ直ぐに。私たちの旅路は、そうやっていこう」

「……ああ」


 表情から少し険がとれた様子の明良に、二色髪の少女はえくぼを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る