幻燈大神の神言と放浪の名づけ師

「それは難儀だったねぇ」


 美名とクミとは教区館、幻燈げんとうの大師の執務室に赴いていた。

 仕事斡旋あっせんのあらためての礼と、その成果、そして、不穏な襲撃のことを報告するためだった。

 もうすっかり夜のとばりも落ちてしまっている。

 幻燈の大師、モ・モモノは、窓に映る「かさづき」を背にして薄く笑い、ふたりにねぎらいの言葉をかけた。


「『コ』の魔名術者ねぇ……。このヘヤの住人には、そんなのはいなかったはずだがねぇ……」

「クミを……、『客人まろうど』を狙ってたみたいでした……」

「ふぅん。クミネコをねぇ……」


 幻燈の大師は可笑おかしがるような目をクミに向ける。


「どこかで何か、悪戯いたずらでもしたんじゃないかい? クミネコは」

「しないわよ!」


 即座の反論に楽しそうな笑いをこぼし、モモノ大師はふたたび美名を見遣る。


「とにかく、クミネコのことは気を付けな。相手は単独か、どこかの手先か、判ったもんじゃない。まぁ、そんじょそこらの刺客じゃあ美名嬢には朝飯前だろうがねぇ」

 

 神妙に頷く美名に微笑みかける、幻燈の大師。


「アタシの伝手つてで、『コ』の襲撃者の方は探してみることにするよ。それはそれとして、明日には発つのかい?」

「はい」

「そうかい。じゃあ、今日はゆっくり休んで英気養っていくんだよ」

「そのことなんですが……」


 美名はクミと顔を見合わせてから大師に向き直る。


「今晩は町に宿をとろうと思うんです」


 幻燈の大師は青緑せいりょくの瞳を大きくして、「おぉ?」とうなる。


「そりゃまた、どうして? 部屋は用意してあるんだよ?」

「モモねえ様のおかげで実入りもたくさんありましたし、二日も続けてお世話になるのは忍びないですし、クミと話して、ヘヤの町の雰囲気を味わおうということになったんです」

「なんだい、なんだい。今宵こよいこそは美名嬢と同衾どうきん願おうとコッチは考えてたってのに……」


(それが一番の理由よ……)


 この案の推進者はクミだった。

 昨晩、しきりとふたりの寝室に顔を出してきた大師の態度から、彼女は何かしら、美名のを感じ取っていたらしい。

 幻燈の大師の方でも、「邪魔立て者」が誰であるのか、すぐに判った様子で、クミの方に恨みがましい目を向けてきた。


「まぁ、無理強いはしないのがアタシの主義だ。好きにしな」


 とは言うものの、彼女が落胆のこもった息をき、目を離してくれるまでの間、クミは生きた心地がしなかった。


「……明日、発つ直前にはまた顔出しなよ。ペッちゃんも呼んでおくからさぁ」


 大師の勧めに、美名たちはふたたびの来訪を約束する。

 そうして、ふたたびの礼と大師の安眠を祈る挨拶とを残して、美名とクミとは大師の部屋を辞していった。


「……さて、と」


 幻燈の大師は立ち上がると、背後の「重ね月」を見遣みやる。


「いい月だねぇ。黄金こがねと赤みがかったのとが……。アタシ好みだ」


 大師は壁際まで歩みを進めると、色とりどりの壁板の中からふたつだけある「黒」の羽目板を、その白んだ両の手で優しく押し込む。

 すると、ガタゴトと規則的な音とともに、大師の背後の寝台が独りでにその場所をずらしていった。それにつれて姿を現す、深淵がごとくの暗い穴。

 やがて、寝台が動きを止めた。

 四角に縁どられた下がり階段の入り口も、そのまったくのかたちさらし出した。

 幻燈の大師はふぅ、とひとつため息を吐くと、その穴に身を沈ませ、下方へと続く段々を降りていく。


 どれくらいの段数を降りたことだろう。

 ようやくに大師が下降を終えた先は、上下左右を石組みで囲まれた、薄ら暗い一本道であった。陰気と湿気しけりとが、幻燈大師の肌にまとわりつく。


「お部屋に引かれましたか、お気に入りのお嬢様は」


 大師が平たく湿った石畳の床を二、三歩進んだところで、背後から声をかけてきた者があった。


「悪かったねぇ、『カ行』の『段』サマをこんなトコロに押し込んじまうコトになっちまって」

「構いません。暗所は嫌いではありませんので」

「その陰鬱いんうつさ、アンタのお師さんにも分けてあげなよぉ」


 歩みを止めない幻燈の大師に追随する影は、総髪そうはつの男だった。

 目頭からまなじりまでが、瞑目しているかのように細い。同様に一線に結ばれた口元が、この者の生真面目さを表している。

 白い外套でスッポリと身を覆い、歩行には足音も、衣擦れの音も伴わず、静かなものであった。


「美名嬢たちは部屋を使わないってさ。アンタ、代わりにお使いよ。それを伝えにきたのさぁ」

「恐縮です」

「いいのさ。もついでだからねぇ」

「……よろしかったのですか? で。『客人』を手中にしておきたかったのでしょう?」

「それは下策げさくの方だねぇ。なるべくなら『美名嬢たちを引き離したくない』。『うそき』のアタシでも、それは本音さぁね」

「……たばかりごとなどせずとも、モモ大師様ならどうとでも運べましょうに……」

「『動力』と『自奮じふん』とは、どうにも直情気味でイケないねぇ……」


 幻燈の大師は立ち止まって振り返り、相手のまぶたの裏を見透かすような直視を投げる。

 泰然たいぜんとしていた総髪の男も、これには少しだけ口の端を動かす反応を漏らした。


「『嘘偽りのない居坂いさかは、よき世である』」

「……『神言録かみごとろく』の『幻燈げんとう大神語たいしんのご』ですか……。それが何か?」

「……判らないかい?」


 ニヤリとする幻燈の大師に、男はほんの少しだけ反発心を抱いた。


「『居坂は正直者で溢れた、素晴らしい土地である』……。この言を引いて、幾度と説教を頂いたことか……」

「……違うねぇ」


 幻燈の大師は、川辺の仕掛けに見事に女魚めうおが飛び込んだような、嬉々とした笑顔を浮かべる。


「『』、『幻燈』のかみさんの言葉ってところがきもなんだよ」

「……肝?」

「アタシの幻燈の神さんはこう言ってるのさ。『』……」


 男は虚を衝かれたように言葉を失った。


「嘘偽りこそが居坂が咲かす華。謀りこそが『幻燈』使いの躍動やくどうの場さぁ。『コ』の術者サマも、まだまだだねぇ……」


 薄く鋭い笑みを浮かべ、妖艶な「幻燈」の大師は、視線を変える。

 その先、彼女のすぐ右手、魔名術封じが施された鉄格子の向こう側――。


「なぁ、アンタもそう思うだろう? トジロ師……」


 青緑せいりょくの瞳が、白髪と白髭の、老年の男を冷ややかに見下ろす。


「コッチは美名嬢の焦がれる想いにまで謀ってきたんだ。いい加減、観念しておくれよ。に、アタシの『幻燈』を使わせないでおくれよ」


 相手も相手で、歯噛みして大師をめ上げた。

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