転呼者と復讐者 4

「クシャで、教会堂師の不手際ふてぎわがあったのですよ。ご存知ないですか?」

「教会堂師……」


 明良あきらは、小さな黒毛のネコ――クミから、チラと聞いた覚えのある話を思い出した。

 「クシャの件」の前日、人身売却に手を染め、私腹を肥やしていた教会堂師を、美名とクミとが捕らえたという話――。


居坂いさかじゅうに張り巡らされている『波導はどうの網』に引っかかったのです。教会堂師の姑息こそく卑小ひしょうな悪事が露見した、とね」

「で、では……」

「……が、クシャの惨劇のもとです」


(そんな……。クシャが災禍に見舞われたのは……アイツらの……)


 思いかけて、明良は首を強く振った。


(いいや、違うッ!! 悪いのはその堂師ッ! そして、コイツらだッ! アイツらの善意が……、正しい心が悲劇を生んだなど、あってはならないッ!)


 明良は考えた。

 もしも、このことを美名に伝えるときが来たら、強くそう言ってやろうと。「自分のせいでは」と、きっとアイツは気にするだろうから、と。

 いや、「もしも」などでなく――。


(この場を切り抜け……、きっと、ふたたび、会ってみせるッ!)


 明良の胸中が、ふたたび猛り始めた。

 この窮地の打開を、探り始めた。

 そうしてつと、を思い出す。


(……マズい。もしかすると、もうそろそろアイツが……)


 「だが」と、少年は考えを巡らし始める。

 を契機として、この場を切り抜けることはできないか――。


(……できる……。できうるぞ。俺が、しくじりさえしなければ……)


 明良の腹は決まった。しかし、

 いずれにせよ、大師に魂胆こんたんを悟られてはいけない。少しでも疑念を起こさせてしまえば、ともすると、心を読む『幻燈げんとう』を仕掛けられる可能性もある。

 ひとまず明良は……


「……までもう少しという時に、魔名教の醜聞は控えたい、という上の意向があり、クシャには私が出張ったわけです」

「大事な時機……?」


 正直、明良にとっては大師の悦に入った語りなど、もうどうでもよい。悟られないようにだけ、話を合わせている。合わせながら、耳を澄ましている。

 明良はただ、見出した「光明」をうまく通すことにだけ、集中しはじめていた。


「そうです。これから居坂で、面白いコトが起きるのです」

「面白いコトだと……?」


(ひとつめの懸念……。は来てくれるかどうか……。危険な目に、遭わせてしまいやしないか……)


「歴史的な事変になります……。福城ふくしろ戦禍せんかが起こる。魔名教がのですよ」

「魔名教が、変わる……?」


 言葉を淡々と繰り返しながら、明良は少女の姿を思い浮かべる。

 息呑むように見上げてきた、年上の少女の顔を思い描く。


(アイツは……きっと来てくれるッ!)


 段取りは言ってある。

 あとはそのとおり、即座に退がってもらえば、彼女の身は安全圏まで至るはずである。

 たとえ、しくじろうが、死が確実だろうが、シアラ大師に食いついてでも、彼女を……。

 

(いや、そんなことを考えるのもダメだ。必ず成し遂げるッ! 俺も、アイツも、無事にコトを終えるッ!)


 根拠のない気概だったが、明良の決意と覚悟を一層深めるのには、それで十分じゅうぶんであった。

 こうして、ひとつめの懸念は拭った。

 そうしてから、つと、大師の言に思考を移す。


(魔名教が変わる……?)


「ずいぶんと……色々教えてくれるんだな……」


 気がそぞろなことを悟られまいと返した言葉は、いくらか大師の調子を上げる効果があったようだった。

 明良を見下ろす彼の喜悦が、深まっている。


「……こうまで話すのには当然、狙いがあります」

「狙い?」

「このままでは、アキラさんはふたつにひとつです。今ここで死ぬか、私に付き従うか……」


(またか……)


 心中で一笑に付した明良は、に関連する、ふたつめの懸念を考え始めた。


「正直、アキラさんがここまで上がってくるとは、思いもしませんでした。『かえり』としての私の目論見もくろみは、大成したのです」

「目論見……?」


(ふたつめの懸念は……、動力どうりきの大師と、ヒミだ……)


「私の『去来』を破るすべを持ち、私に覚悟を決めさせてくれた……。どんな悪逆あくぎゃくを行おうが、そしりを受けようが、この旅路に邁進まいしんするという、覚悟を……」

「覚悟……」


(貴様の悪逆のため、誇りをけがされた、このふたり……)


 明良は背中と腕に感じる冷たさに、思いを馳せる。

 明良を抑える彼らのむくろの哀しさに、心を痛める。


「私は、『去来』を裂く術の正体を知りたいのです。加えて、アキラさんの力量も、アキラさん自身も、失うには惜しい。どうですか。私に従う気は、少しばかりもありませんか? 歴史の変革を、見届けたいとは思いませんか?」

「……」


(この「光明」にすがれば、俺は間違いなくコイツらを足蹴にすることになる。すでに痛めつけられた彼らの魂を、ひと度とはいえ、さらに痛めつけることになる……)


「……応じてくれるなら、命は当然のこと、アキラさんの魔名をお返ししましょう」

「魔名を……?」


(許してくれるだろうか? ギアガンとヒミは、俺の行為を……)


 祈るように胸を詰まらせた明良は、閉じている片目のまぶたの裏に、確かに見た。

 豪快に笑う動力の大師。

 対照的に、薄っすらと、しかし優しく笑う麗人れいじん


(その笑いは、許してくれると……受け取っていいのか?)


 幻は、笑いながら消えていった。


 ――ふたつめの懸念は、拭われた。

 そうして明良は、開いていたもう片方の目を――閉じる。


「……魔名を返せるか、試したことはありません。もしかすると、返せないかもしれない。ですが、アキラさんが一緒に来てくれるというなら、『劫奪こうだつ』の研究をして……」

「いらん」


 少年の強い言葉が、大師の誘いをさえぎった。


「貴様の汚い手垢てあかまみれた魔名など、いらん。当然、貴様に従うなどということも、一切あり得ん」

「……」

「確かに、俺のこれまでは、貴様に踊らされたとおり、復讐だけで進んできた。魔名を取り戻すために、旅してきた。だが、これからは違う……。いや、すでに違っている」


 明良は地面に近いがための、強い土の匂いを大きく吸い込み、吐き出した。

 それで、体の隅々に至るまで、大地の活力を得たかのように感じた。

 

「……俺はもう、魔名を取り戻すことに固執してはいない。復讐だけに囚われていない。俺は、俺の『明良あきら』の名に恥じぬよう、光に照らされた旅路を、胸を張って行く。俺のともがらと共に、よき旅路を歩いてゆくんだ。貴様と出会えて、俺もそう覚悟したんだよ」


 少しの無言のあと、シアラ大師は「残念です」と嘆息たんそくいた。


「本当に……残念です……。そのまばゆい旅路は、ここで終わりなんです。その瞑目めいもくは、死出しでの覚悟となったのです。アキラさんに、魔名よ……」


 大師の言葉の途中だった。

 もうそろそろと耳を澄ませていた明良は、確かに聴き取った。

 小さく、少しだけ遠くの音。木板が叩かれるような、コンコンとふたつ鳴らされた音。


(……「光明」が来たッ!)


 当然、その物音はシアラも聴きつけている。

 大師はバッと顔を上げる。

 視線を向けた先は、地上三階。大窓が割れている明かりの漏れた部屋。ふたりが先ほどまで争っていた、大師の執務室だった。

 だが、事態の変化を待ち構えていた者、虚をかれた者とでは、行動の早さが断然に違っていた。

 大師の視界の中、少年の姿が跳び上がっていく。


「何だとッ?!」


 大師は目線を下に戻す。

 そこでは、動力の大師とその一番弟子のむくろが地面の上に崩れ落ちていた。

 彼らに抵抗することをあれほど躊躇ちゅうちょしていた少年は、大師と女とを振り払い、足蹴にして、跳び上がっていったのである。


「ま、まさか……」

はなてッ! そして、すぐにこの場を去れッ!」


 少年の叫びに、大師はまたも顔を上げた。

 明良は「幾旅金いくたびのかね」を誇るように掲げ上げ、空にいた。

 その直後である――。


「なっ?!」


 昼の陽光などとは比べものにならないほどのまばゆい光が「幾旅金」から放たれたかと思うと、シアラ大師の視界の、すべてのものの輪郭りんかくが飛んだ。

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