夢乃橋事変の少女とネコ 6

(「十行じっぎょう大師たいし」……、識者しきしゃの大師ッ! 多彩に魔名術を駆使して、一片いっぺんの隙もないッ!)


 石畳いしだたみにぴっちりと周囲を取り巻かれながら、美名は歯噛みする。

 「かさがたな」を振るい回す余地などないことは、先ほどの体験ですでに知れたこと。柔らかくなるのとは対極の識者術、もしくは、グンカが最前に助け出してくれたようなでももたない限り、この獄から脱出することは適わない。


(私のせいだわ……。思い出の場所だから壊されたくないだなんて……迷ってたせいで……!)


「さて……。ささいな邪魔も入ったが、これでゆっくり仕事にかかれるわい」


 頭上に聴こえるタイバ大師の言葉に、美名の歯噛みは激しさを増す。


「……こんな、こんな……、私……」


 悔恨に震える美名だったが、気が付いた。

 柔らかくはなっていても、石造りの床の質感はそのままで、どこかひんやりとしている。そんな中にあって、自らの手が熱を帯びている。誰かに握ってもらってでもいるように、じんわりと温かいのだ。


「手……? 私の……手のひら……?」


 少女は直感した。

 この窮地きゅうち。ニクラの時と同様の窮状きゅうじょう

 ここに至って、彼女の平手が事態を打開しようとしている。少女のワ行の魔名が、


(きっと今、私の魔名は、私の心に応えようとしてくれてる……。自分の手のひらも見えないこの状況だけど、きっと今、「劫奪こうだつの光」をまとってる!)


「……ワ行ッ!!」



 「爆炸はぜ」で破壊するべく、欄干らんかんに手のひらを添えていたタイバは、叫ぶような声を聞いたような気がして振り返った。

 二か所の「爆炸」の跡の他は、橋の光景である。

 邪魔者であった美名たちは橋の内部に埋まるようになっているため、さっと見渡した程度では、大きく違和感のある光景ではない。

 しかし――。


「むっ……?! 彼奴きゃつらの沈みの穴……」


 橋の床の一部――「軟化なんか」と「弾化だんか」の絶妙な複合術をかけた一帯には、彼女たちが沈んだ形跡、彼女たちの頭頂を見せた「穴」があるはずである。

 だが――。


はどこへ行った……?!」


 少し離れた位置のタイバが目を凝らして今、認めるのは、ネコが入っているとおぼしき小さな穴。大柄な男が入っていると思しき大きな穴。――。

 ふたつの穴の傍にあったはずの、


「お嬢ちゃんは……、?」


 その当惑の直後、タイバは背後からの気配を感じとった。

 目を向け、顔を向けるより先に、直感が働いた大師は、手にしていた杖を背後に回す。流れるようなその所作が彼の身をたすけた。


「ぐォうッ?!」


 瞬時に防衛の魔名術を施した杖を間に挟んでなお、重い一撃が大師を襲った。

 勢いで吹き飛ばされ、コロコロと橋の上を転がっていく老大師。

 彼に猛打を与えたのは、、二色髪の少女の大剣であった――。


「クミ! グンカ様ッ!」


 ふらふらと、少し覚束おぼつかない様子ではあるが、美名は宙を飛翔して、ふたりの「穴」に向かう。何のよしであろうか、彼女は鼻孔から血を吹いていて、その紅い雫玉が余韻のように飛翔の尾を引いている。

 グンカが沈む「穴」の上空で制止すると、美名は平手をかざした。


「グンカ様ののは、取り返しがつかなくなる危険もある……。服よ……、重くされてる外套衣だけ……。響いて、ワ行ッ!」


 美名の詠唱に応じ、平手が「黒光こっこう」を放った。

 直後、「穴」を脱してグンカが飛び上がってくる。


「美名お嬢様?!」


 すぐ傍らに浮いていた美名に驚きの目をみはり、つづけて、遠目にうずくまっている識者大師に目をり、ふたたび美名に目を戻す。


「突然、『重化じゅうか』が元に戻ったのは、まさか、あなたが……? それに、そのお姿……、『浮揚ふよう』を……」

「クミをお願いします! クミには魔名術が効かないんで、抱え上げるしか……。私はまだちょっと慣れてなくて、空中だと踏ん張りが利かないんです」

「……承知」


 グンカの手によって「穴」から援けだされたクミは、「ぷはぁ!」と深呼吸をする。


「ありがとうございます! ……呼吸しづらいったらなかったわ、この石造りのプール……」


 小言を言うネコを肩に乗せ、動力どうりきの男は美名に顔を向ける。


「撤退しましょう。お嬢様」

「……」

「私には何がなにやらですが、美名お嬢様も自身で空を舞えていて、タイバ大師の注意も外れている今、撤退も適いましょう」

「えっ?! 美名、それ、自分で飛んでるの?!」


 諭すようなグンカ。驚くクミ。

 美名はひと呼吸置いてから、ふたりに首を振った。


「撤退はしません」

「美名……」

「私の心が『違う』って言ってます……。タイバ様に……、強大なあの方に、『全力でぶつかっていけ』って、叫んでるんです……」


 美名の言葉にクミは呆れるように瞬きをするが、動力の術者はフッと微笑んで頷いた。


「……素晴らしい意気です。我が師ギアガンは、ヒトが大きく成長するとき、そこにはまず、乗り越えるべき壁が現れるのだ、とよく仰います」

「壁……」


 グンカは美名から目線を外し、遠目のタイバ大師に目を遣る。美名もクミも、同じく目を向ける。

 美名に立ちはだかった強大な壁、小柄の老人タイバは、杖をつきながら起き上がったところだった。


「私も……、美名お嬢様が壁を乗り越えるのに、ひと役買ってもよいものですか?」

「……お願いします!」


 起き上がった老大師ノ・タイバは、少女たちの方に顔を向けて来た。猛打を受け、転がった衝撃はいくらか残っている様子だが、その立ち姿の威圧に衰えはなく、目には怒りさえこもっているようだった。

 宙に浮かぶ美名とグンカは、ひとりは大剣を構え、ひとりは平手をかざして、そのめつけを真っ向から受け止める――。

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