古からの港町ヘヤと教区館特務部附名手 3

「トジロ様は確かにいらしておられましたが、今はどちらにいらっしゃるか……」

「……そうですか」


 様々な「」、様々な「しゅ」の窓口が並ぶ、広大な間。

 問い合わせる魔名教徒、応対する魔名教会員、自身の順を待ちながらの井戸端会議――それらの喧騒の中にあって、美名は「附名手ふめいしゅ」の窓口前で息をく。

 問い合わせ者のそんな落胆の様子に、担当の女性窓口員も戸惑った顔になってしまった。

 美名の肩の上のクミも、シャランと首輪を鳴らして顔をしかめる。


(また、すれ違ったのかしら……)


「……どこに……」


 つい口を開きそうになったところを、黒毛のクミは踏みとどまる。


「……ン?」


 に、目を向けた担当員だったが――。


「ど……こ、こに、にゃ、にゃあ……」

「……?」


 おかしな鳴き声の黒毛の獣に、首を少しかしげただけで、担当員はふたたび美名に目を戻す。


(こんなところで「客人まろうど」云々がまた始まると、厄介なことになるかもしれないからね……。それに……)


 クミは、短髪の少年の憂う顔を思い出す。


……か……)


 ところは教区一帯の魔名教の総括、教区館である。

 どう転ぶか予想ができないからと、教区館においては努めて口を利かないと、クミは美名に宣言しておいた。

 それがために、出しかけたつぐんだのだ。


(焦れったいわね……)


「……確かに、二日前にはいらしたのですよね?」


 クミに代わるかのように、美名が担当員に訊ねる。

 相手は「はい」と頷いた。


「十四人のともがらのお子に、魔名を授けてくださいましたよ」

「……その後は?」

「教区館長を訪ねていかれて、その後は存じ上げません」

「教区館長……。マ行の大師たいし様を……」


 美名は頭をひとつ小さく振ると、下がっていた視線を戻す。


「今後の『オ様』の来訪予定とか、決まっていたりしますか?」

「明確に定まっているのは、十六週後の『幻燈げんとう大祭たいさい』の日ですね」


 窓口でよく問われることなのだろう、担当員は即答した。


「他は、特別定まった来訪予定はありません」


 そう言うと、女担当員は背後――同僚を気にするような目線を流して、「だって」と声を潜める。


「『オ様』って気まぐれな方ばかりなんですもの。今回のトジロ様も、突然にいらしたのですよ」


 しおれた美名を取りなそうとしてなのか、もとから話好きなのか、少しくだけた調子になって担当員は言った。

 そんな彼女に、美名はえくぼを作った微笑みだけを返す。


「……どうされます? 『名づけ』の優先予約の手続きをなさいますか?」

「十六週後……ですよね……」


 ひとつの季節を全くに跨いでしまう期間である。

 ヘヤに長逗留するつもりがなかった美名は即答できずにいた。


「他に『未名みな』の子が三十人以上いて、もしかすると『大祭』の日にも『名づけ』を頂くことはできないかもしれませんが……」

「……マジか!」

「ッ?!」


 思わず声を上げた黒毛の獣に、今度こそは目を大きく見開き、注視する窓口担当員。


「え……? しゃ、しゃべった?」

「ま……、マジカ、マジカ、マジカにゃぁ……」


 肩の上のクミを見遣り、美名は噴き出す。

 当然、相棒のとぼける様子が可笑しくて、である。


「……こういう鳴き声の動物なんです。この子は」

「ああ……。よく『客人』と間違われる、鸚鵡おうむどりのようなものなのですね……」


(予約しても『名づけ』を受けられるかどうか定かじゃない……。ホントに『オ様の順番待ち』だよ、これはもう!)


 クミは「マジカ」と鳴き声を挟みながら、いつか美名に言った覚えのある自身の言葉を思い出して、ひとり憤る。


「……予約は少し考えてみます。それとは別に、『仮名かな』を頂くことはできますか?」


 少し元気を取り戻したらしい美名は、担当員ににこやかに微笑みかけながら、そう訊いた。


「『渡名とめい』の希望ですね。ええと……」


 担当員が手元の帳面を手繰たぐる。

 まもなく、「大丈夫です」との快い声。


「半刻ほどお待ちいただけたら、今しがた『段上げ』儀礼の最中の『ウ様』が対応できますよ」


 美名とクミは顔を見合わせる。そうして、笑みを交わした。

 美名は「美名」を――クミに名づけてもらった名を、「仮名」にすることも望みであった。ひとまずは「名づけ」を置いて、彼女は「仮名」を貰うことにしたのだ。


「お願いします!」

「マジカ!」


 落胆から一転して、嬉々となった銀髪の少女とその友人に、「ふふ」と笑みを零す女担当員。

 その笑顔には、彼女たちの嬉しさが伝播した様子がありありと見て取れた。


「では、手続き致します。よい『仮名』が響きますよう」

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