少女と母娘 6

 美名と美幸が風呂に入っているあいだ、洗い物をする久美の思い悩みはまだ続いていた。

 

(このまま美名ちゃんが帰れなくて、「こっち」に居続けることになったら……。警察……? 児童相談所……?)


 生々しい考えに、久美はため息をついてしまう。


(……それが美名ちゃんのためになるのかな……。私に後悔はないのかな……?)


 洗い物を終えてソファに腰を下ろし、少し顔を上げると、久美の目線上にはちょうど、白木しらきの神棚がある。

 昨今は神棚を置かない家も多いが、二年前、この家を建てる際、普段は主張の少ない夫、幸宏ゆきひろが、強く意見を通したのがこの神棚であった。


 その理由は、四年前までさかのぼる。

 四年前。

 久美が大病のため、生死の境を行ったり来たりしていたとき。

 久美の夫、幸宏ゆきひろは、赤ん坊の美幸を連れて、いろいろな神社じんじゃ仏閣ぶっかくを巡っていた。久美の回復を祈って、ご利益を頼り、様々な神域を訪ね歩いていた。まだまだ赤ちゃんの美幸の体調を崩さないように気をつけつつ、健康長寿の御利益があると聞けば、どんな時でも、どんな場所でも訪れた。

 久美が何度目かの昏睡に入り、今度は助からないと告げられてからは、周りの者が心配になるほど、鬼気迫る様子で神社に通い続けた。


 それは、奇跡だったと医者は言った。


 二週間もの昏睡から何の前触れもなく目を覚ました久美。

 以降、久美の病状は一気に快方に向かった。一か月もしないうちに太鼓判を押されて退院できたのだ。


 久美は信心深いほうではない。幸宏ゆきひろも元々はそうであったようだ。

 けれど、久美の快復を機に、幸宏は信じるようになった。

 神様が妻を救ってくれた、と信じたのだ。


(助けてくれる、神様ねぇ……)


 久美が眺める、白木しらきの神棚。

 毎朝、さかきを取り換え、お神酒みきと米と水を捧げ、扉を開けて拝んで、また閉める。

 美幸も、信仰心ではなくて単なるまねっこだろうが、幸宏と並んでふたりで手を合わせる朝の光景。

 久美にはもう、見慣れた光景――。


「あはは」

「美名お姉ちゃん、アワアワ~!」


 廊下を伝って聴こえてくる、ふたりの笑い声。

 沈んだ様子のまま風呂に向かった美名だったが、声からすると、少しは元気を取り戻した様子。

 美幸は人見知りがちだけど、一度慣れてしまえば人懐っこくて愛らしい子であると、親の欲目ながらに思っている。そんな愛娘のおかげだろう。

 そして、美幸がこんなにずっと上機嫌な日もなかなかない。


「美名お姉ちゃん……か……」


 もう一度、久美は神棚を見上げると、「よし」とつぶやいてスマートフォンを手に取った。


 *


 朝食を終えてから、久美と美幸、美名は、三人揃って児童公園に来ていた。


 なじみの遊び友達がいた美幸は、その子どもたちに美名を自慢したあと、子どもたち同士の遊びに夢中になっていった。

 美名は、遊具から少し離れたところ、子どもたちの危険にならないような場所でひとり、剣を振っている。

 昨夜、美幸が寝ついてからは庭先で、加えて早朝も、ひとりで「帰る方法」を試していたようだけど、今現在もそれが成功している様子はない。


「美名ちゃん、ちょっと休みなよ。昨夜も遅くまでやってたんだし」


 ベンチに座って美名と美幸を視界に収めていた久美が、声をかける。

 顔を向けてうなずき、肩を少し上下させてやってきた美名は、久美の隣に座った。


「はい。これでオッケーよ!」


 久美は美名に、剣のさやを渡す。

 剣の抜き口のところで、「ナコちゃん」と「ヒコくん」の人形が仲良く並んで揺れた。


「わぁ、ありがとうございます」

「これで、どんなに動き回っても落ちないわよ。たぶん!」

「こんなに可愛い根付ねつけ……。ふふっ」


 愛し気に眺めていた美名だったけれど、まばたきをすると、ふいに「ヒコくん」人形だけを取り外す。


「あら? 気に入らなかった?」

「あ、いえ……。この子は贈り物にしようかなぁ、と……」

「へぇ~……」


 久美の顔が、ニヤつきはじめた。


「誰に贈るの?」

「えっと……、私のともがらに……」

「クミさん?」

「違います……」

「ふぅん……。男の子ね!」


 少し頬を赤らめて、うつむく美名。

 それが、久美の推理が的中したことを示している。


「まぁ、お年頃だからねぇ。こんなに可愛い美名ちゃんだもの、カレシのひとりやふたり、いたっておかしくないわよねぇ。健全、健全!」

「……そういうトコロ、久美さんはクミとそっくりです……」


 口をとがらせる美名にふっと笑って、久美は彼女の汗ばんだ手をとった。

 顔を上げた美名に、「やっぱりキレイな目だな」と久美は見惚みとれてしまう。


「……美名ちゃんさ。『美名ちゃんの世界』に帰れるまで、ずっとウチにいていいよ?」

「……え?」


 急な話に驚いたためか、美名はパチパチッとまばたきをした。

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