夜が明けた町と客人ふたり 4

「私の旅路は、居坂いさかで歩むものだ。これまでも、これからも」


 ハマダリンのまなこが、クミの色違いの双眸そうぼうとらえる。


「私が『客人まろうど』だとして、なにかしら責務があるか? なさなければならない使命でもあるのだろうか?」

「それは……、ないと思います」


 「ない」とは言いつつ、クミは、「客人の変理へんり」のことを思い出した。

 どうやら、ハマダリンは「変理」のことを知らないらしい。教主だけに伝えられてきたという話であるから、それも当然だろう。

 もしも、大師が問いかける「使命」というものが「客人」にあるとしたら、それは「変理」以外にない、とクミは思う。あの「ふざけた神サマ」の目的は、神世かみよから連れ出してきた「客人」に「変理」をなしてもらうことだったはずだ。

 しかし、「変理」をなすための大鏡は、半年前、天咲あまさきの地下塔で埋没してしまい、今はもう使うことができなくなっている。それ以前に、「ふざけた神サマ」の思いどおりになるのは、クミにはとても

 いずれにしろ、「変理」はもはや不可能である。わざわざ告げる必要もないかと、クミはもういちど、「ありません」とだけ言った。


「ならば、ヨ・ハマダリンはなんら変わることはない。もとより、『客人』としての知識や幸福を与える力など、持ち合わせてはいないのだ。これからの私は、私を育ててくれた居坂に尽くし、美名とクミとに救われた旅路をまっとうするのみ。ともがらに対して、『私は客人きゃくじんだ』などとおごるつもりはない」


 厳然と言い放ったハマダリンだったが、ふと、柔らかな瞳になると、黒ネコのクミを見てくる。


「申し訳ない、クミ。今の言葉は、君をおとしめたわけではない。私の気の持ちようの話だ」


 クミは、「はい」と頷いて返す。


「判ってます。その想いは一緒ですから。私も、いつかいなくなるつもりとかじゃなくて、ネコの姿だけど、この居坂でみんなとおんなじように生きてくって、もう、ちゃんと決心できてます」

「そうか……。立派な先達せんだつがいるのなら、私も心強い」


 居坂で生きる決心を新たにして、客人ふたりは微笑ほほえみ合う。


「いやぁ~……。でも、さすが十行じっぎょう大師たいしってカンジですね。もう少し動揺させちゃうかなと思ったんですけど、あっさり飲み込んで、あっさり決めちゃうんだもの」

「あっさりとは言ってくれるが、これでも充分、驚いたものだ。君たちが現れてからというもの、良くも悪くも新鮮だ。年甲斐もなく刺激されているよ」


 「そうですね」と可笑しそうに同調するのは、ルマ執務部長。


「クミ様を止めにかかるリン様のあんな姿……。初めて見ました。新鮮です」

「……ヤヨイたちには告げ口してくれるなよ」


 神妙な様子の他奮たふん大師がよほど可笑しかったのだろう、ネコとルマのふたりは、小さな幕舎の外に少し漏れてしまうほどに笑えてしまう。

 そこで、つと、ハマダリンの顔色が変わった。


「それにしても、私が『客人』だとして、ひとつ、思い当たるコトができた」

「……なにか、『神世』のことを思い出したんですか?」


 大師は、「いや」とかぶりを振った。


やまいのことだ」

「病って……。あ、大師がかかってた病気のコト?」

「そうだ。『かぜの病』のなかに、新地しんち病というものがある。伝染する疾病しっぺいのひとつだ」

「新地病……? 大師の病気が、その新地病だったんですか?」


 「そうじゃない」と、ハマダリンは否定する。


「七百年ほど前、東大洋とうたいよう上に新海しんかいという島嶼とうしょ群が発見されたのが新地病の発端になる。その新しい島々では、もっとも大きな島を住居圏として、住み着いていたヒトたちがいた。魔名教会どころか、大陸との交友もなく、独自の生活様式を営んでいたのだ」


 そこで、なにかに気付いたように、クミが「あ」と声を上げる。


んですね」

「……どうしてそう思う?」

「新大陸発見のとき……、あ、いや、これもまた『神世』の話なんですけど、新しい土地を見つけて、そこに訪れたヒトが、現地のヒトが免疫めんえきをもってない病気を持ち込んじゃったってハナシを聞いたような覚えがあって……」


 クミの話に興味がそそられたのか、ハマダリンは「そうか」と目を輝かせ、身を乗り出すようになった。


「『免疫』とは、『神世の知識』……。治療に関わる用語かな? どういうモノなんだ?」

「あ~……。なんて言うんでしょうね……。ヒトが、病気に対抗するためのちからを自然と備え持ってるというか……、備え持つようになるというか……。そんなカンジでしょうかね」

「それは、親から子へ受けつがれるものかな? 同じ病に二度目は罹らない、罹りづらい、のような?」

「はい……。たぶん、そういうふうなヤツです」

「なるほど。そういった抗力がある可能性は、ひとつの仮説としてあったが……。『免疫』か……。『神世』にならい、そう名付けてみよう」

「あの……。で、その新地病が、リン大師の病気とどういう関係で……」


 請われたハマダリンは、考え込むような様子から戻り、続ける。


「新地病は、その『新大陸発見』とやらの。病を持ち込んだのではなく、だ」

「あ……。そういうコトか!」


 大師の言わんとするところを察したクミは、勢いあまって大声を上げる。


「リン大師は、大師の身体が……、『神世から来たヒト』が免疫を持ってない、ってことですね!」


 クミの推察に、「そうだ」と頷くハマダリン。


「『私が客人』だと仮定すると、疑問だった点にも説明がつく。症状は伝染する型の『風の病』そのものであったのに、他の者にはうつらなかったこと。病を貰った美名が、あっという間に快復したこと。病自体がなんなのか、他の罹患りかん例が見つけられなかったこと……」

「それは……、リン大師だけがひとり、から……」

「そのとおりだ。私がさいなまれた病は、遥か遠い昔、ものだったのだろう。あの病に抗する力……『免疫』は、当代に至るまで、脈々と受け継がれてきたのだ。しかし、『客人』がゆえ、私はみなが持っている『免疫』を持ち合わせていなく、発症した……」

「はぁ~……。いやぁ、そうです、そうです。きっと、そのとおりですよ……。なんか、ズバッとハマった気がして感心しちゃったわ……」


 長いため息を吐くネコだったが、つと、「ン?」と首を傾げる。


「ちょっと待ってよ……。その仮説も合ってるとすると、リン大師は身体ごと、そのまま居坂に来たってことでしょ? それで、なんで私はネコなわけ? なんで私は自分の身体じゃないの? しかも、オスだし……。ひいきじゃない?」

「いいじゃないか。いつまでもその愛らしい姿でいてくれ、かあ様よ」

「ちょっと、年上のヒトにまでそう呼ばれるのは……。あ、でも、『ヒコくん』の件からすると、『日本』では私のほうが年上ってことになるのか……。いや、でも、居坂では大師のほうが……。う~ん……、ややこしい……」


 机の天板にぶつけてしまいそうになるほど首を傾けるネコに、ルマと目線を交わし、苦笑した大師は、「さて」と言って席を立った。


「話し込みが過ぎたな。歌劇や私の近親のこと、治療概念、他にもさまざま、『神世』のことを聞いてはみたいが、今だけは状況が悪い。また、あとで頼むよ。クミ母様」

「はいは~い。こっちはフクシロ様への連絡、また頑張ってみます」


 思わず、ハマダリンに関する様々のことが明らかとなった時間ではあったが、大師にはまだ、重責が多くある。収拾をつけねばならないことが山ほどある。

 幕を開け、幕舎から出ていこうとするハマダリンであったが、その背中にはふいに、「待ってください」との声がかけられる。

 ルマ執務部長である。焦ったような声音で、見るからに血の気の引いた表情。

 ただ事ではない様子にきびすを返してきた大師、そして、すぐそばの黒ネコに示すかのよう、ルマは手元の「神代じんだい遺物いぶつ相双紙そうぞうし」を指差した。教主フクシロとの連絡に使っていた遺物である。

 三人で覗き込んだ紙片は淡く光って、以下のような文を記していた。


『クミ様がお伝えしたい報をうかがう前に こちらからまず伝える無礼、お許しください。

 これより先に書くことは ハマダリン大師とクミ様、美名さん、代筆を務めてくださってるルマさん以外、他言無用でお願いします』


「え、え……。なにこの前フリ。怖いんだけど……」

「クミ。プリムのことやセレノアスールの被害のことは、前もって伝えてあるのか?」

「いえ、いえ。『伝えたいコトがあるんで応答してください』としか……」


 問答するあいだにも先の文は消え、あらたな文字が現れる。


『大都帝国の領内で 大規模な武力攻勢がありました』


大都だいと帝国……」


 その字面でクミが思い浮かべるのは、当然、明良あきらのことである。ゼダンを見張るため、かの国に身を置いている大事な仲間のことである。


(まさか……、明良があんな物騒な連絡くれたのは、この「武力攻勢」ってのに関わってるんじゃ……)


 目を見開いて当惑するクミを余所よそに、神代遺物はなおも続けてくる。


『それだけでなく 小豊囲が陥落させられた報も 今しがたありました』


「しょう……とよ? これ、なんて読むの……?」

小豊囲ことい……。第三教区の教区都だ……」

「第三教区……? それって、もしかして……」

「ああ。サ行自奮じふん大師……、プリム管轄の教区。この第八教区のすぐ隣だ」


 三人のあいだに、不穏の気配が張り詰める。

 第八教区の教区都セレノアスールは、というのに、なぜ、そのプリムの本拠が陥落などということになるのか。

 不可解に混乱するばかりのふたりを置いて、ハマダリンだけがひとり、これから続くであろう文面を予期して、固唾かたずを呑む。


『小豊囲を軍事占領したのは レイドログ大師です 第三 第四教区を併合した地域を教会から離し 独自領有を一方的に通告してきました』


(こういうことか、レイドログ!)


 不可解であったレイドログの目的を、ハマダリンは確信する。

 レイドログの目的は、セレノアスールが本命でなく、小豊囲であった。第八教区でなく、レイドログがより広く接している、第三教区だった。プリムは、信心を利用され、のだ。

 もっとも警戒すべき戦力であるプリムをたぶらかし、本拠から離れさせ、セレノアスールを襲撃させる。プリムが負けてもよし。勝ったとしても、本拠から離れ、戦闘後のいくらか弱っているプリムであれば始末しやすい。どちらにしろ、レイドログはプリムの直轄地を簒奪さんだつできて、あわよくば、セレノアスール――第八教区と、新帝国のせいで情勢不安定な大都大陸をも視野に入れられる。

 ゼダンの先例に追従したのか、奸計かんけいはなはだしい、私欲野望の発露である。


(外道……。憎むべき外道だ、レイドログッ!!)


『両件について できるだけ速やかに 十行会議で対策を協議したく』


 少し前まで和やかな雰囲気でさえあった幕舎内は、冬の夕刻間際、凍てつく空気で満たされていった。

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