目つきの悪い少年と冷息吹の洞蜥蜴 2

「クミ、私から降りて!」


 木立をかわし、銀髪を走らせながら、美名が叫ぶ。


「リントウさんのところに戻って! お願い!」

「クシャがえらい目に遭ってるっていうなら、私にも一宿一飯の恩義があるよ!」


 小さなクミは、風のように駆ける美名から振り落とされないよう、申し訳ないとは思いつつも彼女の寝間着に爪を立てる。


「本当に、うろ蜥蜴とかげだとしたら……」


 しがみつきながら、クミは慄くように呟く美名の顔を見上げた。

 畏怖、逡巡、危惧、焦燥――。

 そんな負のるつぼのような表情を、彼女の愛しい友人は浮かべている。


(洞蜥蜴……? 美名がこんなになってる……。どんなアヤカムだっていうの?)


 突如、クミは風を感じはじめた。

 そして、冷感も。

 疾走による風とは別のものだ。木々の合間を縫うようにして、ふたりが向かう先から吹き荒んでくる。

 間もなく、ふたりの視界が白けてきた。


「ふ、吹雪……?!」


 彼女たちの頭上に雲はない。にもかかわらず、何者かが巨大な腕でかきまわしたような、暴風雪がふたりの行方を阻みはじめた。


「やっぱり、こんな吹雪……。うろ蜥蜴とかげッ!」


 風と寒さでいくらか速度は落ちたものの、美名は走り続け、間もなく林を抜けた。

 美名とクミが出た場所は、クシャの村里をとりまくように耕されている畑の中。クシャに向かうゆるやかな丘を、風雪に耐えながら駆け上がる。

 白い景色の中、視認できる先は短い。

 畑からであればクシャの遠景を望めたはずだが、今は吹雪で遮られてしまっている。この一帯すべてが晴天下の暴風雪に見舞われているらしかった。


「うぅ?!」


 ふいに、美名の懐でクミが唸る。


「なんか……息苦しい、気がする……」

「……私もよ! クミ、引き返して!」

「いやだってぇの!」


 美名は突如出現したに危うくぶつかりそうになり、足を止めた。

 村の防備のための木柵。


「クソッ! 全然……、見えない!」


 悪視界のために、視認できたときには木柵に近づきすぎていたのだ。

 雪が周囲で吹き荒ぶ中、美名の紅の瞳が前後左右の様子を窺う。


(避難しているクシャのヒトがいてもいいはずなのに、ひとりも……、!) 


オオォォン、オオォォン


「なに、この音……?」


 猛り狂う風。身体に叩きつけられる雪の塊。

 それらとは別種の、哀しく叫ぶような異音がかすかに耳に届く。


「ヤツの鳴き声だ」


 ふいの声に美名が振り返ると、立ちすくむような人影が美名たちの背後にいた。

 先ほど林で出くわした少年だった。

 当人の姿は吹雪で霞むほどだというのに、手に提げ持っている、反りのある刀が際立って白く光っていた。


「そんな……私に、いてこれていたの?」

「……どうやら、お前はアイツの主人ではなさそうだな。こんなに接近したら自分の身が危ういだろうに、『絶息ぜっそくれい息吹いぶき』をめさせない」


 美名の問いを無視してそう言い放つと、少年は小さくため息を吐いた。


「この場を去った方がいい。できるだけ早く。できるだけ遠くに、だ」


 そう言うと少年は美名とすれ違い、クシャの村内に向かって歩みを進める。

 その肩口を、美名は掴んで止めた。

 少年は肩に置かれた手を見、美名を見る。切れ長の目が美名に据えられた。

 間近でみた少年の瞳は、案外に綺麗に澄んだ青灰色なことに、クミは意外に思った。


「何をしている。この手を離して、早く逃げろ」

「アンタ、何を知ってるの?! 何が目的なの?」


 ひとつ瞬きをして、またもため息を吐くと、少年は美名の瞳をじっと見つめる。


「俺が知ってるのは、この洞蜥蜴には『使役しえき者』がいるということ」

「『使役者』……? 誰かが、『タ行』の魔名術者が、クシャを襲う目的で洞蜥蜴を放ったとでも言うの?」


 少年は小さく頷く。


「洞蜥蜴はここよりずっと北方の、『氷山こおりやま』の洞穴深くに棲息するアヤカムだ。こんなところに自然に現れるわけがない。お前の言う通り、


 少年は「俺の目的は」と続ける。

 その青灰色の瞳が少しかげったように、美名とクミには見えた。


「その使役者と、アイツを……、あの洞蜥蜴を殺すことだ!」


 美名の手を振りほどいた少年は、木柵を白刃で切り倒し、クシャの内部に向けて駆け出していった。


「ちょっと、アンタ?!」


 見送るなどという暇もなく、少年の姿は吹雪にかき消される。


「なんなの、あのヒスなカンジ……。あ、ちょっと?」


 呆れるような声を出していたクミは、自身の身体が持ち上げられるのに驚く。美名が自身の懐からクミを引きはがしたのだ。

 そのまま、クミの身体を地面に降ろしてやる。


「クミ、戻って。もうかなり危ない……」

「だからぁ。何度言わ、せ……」


 抗う言葉の途中でクミには勢いがなくなり、美名を見上げる黒毛の小さな頭がグラリと揺れた。


「クミ……? クミッ?!」


 美名の呼びかけに応じることなく、小さなクミは、氷雪の上で力無く倒れてしまった。

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