目つきの悪い少年と冷息吹の洞蜥蜴 3
「クミッ!」
倒れこんだクミに、身を
(息苦しさが……強まった?)
美名は急いでクミを抱え上げると、今度は身を起こす。
(立つと……まだ少し楽だわ。位置が低いと息苦しくなるの?)
「クミ、クミ! 起きて!」
風雪激しい中ではあるが、美名は小さな友人を天に捧げるように掲げ上げた。クミを高い位置に上げなければ、と美名は直感したのだ。
甲斐あって、美名の身体はピクンと反応を見せる。
「ン、ん……」
「クミ!」
「み……な……?」
「大丈夫? クミ」
「だい……じょうぶ……って……?」
「クミ、そこで苦しくない?」
「……う、うん」
「お願いだから、私から落ちないでね! 肩から下にも降りないで!」
「落ちない……よ」
クミが爪を立て、掴む力が強まってくる様子なのを肩で感じると、美名は少年が消えた先――クシャの木柵内へと立ち入っていく。
「私……、どうなってたの?」
「私が地面にクミを下ろしたら、急に倒れちゃったの……。ごめんね……」
「倒れた……?」
「もう、クミだけ引き返してもらうってわけには、行かなくなっちゃったみたい……。クミの背丈の位置は息苦しくなって危ない……」
「私の、背丈の位置は、空気が……薄い? いや……、空気より重い……」
うわごとのように何をかを考えているクミに、美名は「走ってもいい?」と訊く。
すでに村内の敷地には入っているはずだが、少年も、
「だいぶ……良くなってきたから。もっとスピード上げていいよ」
「『スピード』って……走る速さのこと?」
「そう」
相棒からの了解を得た美名は、徐々に足を早め、駆け足になっていく。
「さ、寒い……」
「言わないでよ! 私も寒さを思い出しちゃったじゃない!」
美名は手足を露出させた寝間着恰好のままである。粗目の雪が吹きつけられ、元より色白の肌が血の気を減らして白みを増している。
不意に、美名はその白んでいる足を止めた。
「誰か……いる……?」
風雪の音。
断続的に聞こえる「オォン」という地響き――少年が言うには、洞蜥蜴の鳴き声。
それらとは別の、小さな声を美名の耳は聴き取った。
「……どうしたの? 美名」
「シッ。クミ、ちょっと静かにしてて……」
「う、うん……」
細い糸を、そこにあることを確かめながら進むように、美名は声のする方へと歩み寄る。
「……しんよ」
(こ、この建物は……)
風雪の中から現れたのは、美名も見知った建屋、クシャの魔名教教会堂だった。視界の悪さのため、その全容を見て取ることはできないが、板戸の「聖十角形」の紋章でそう判別がつく。
だが――。
「ひ、ひどい……」
教会堂は無残に打ち壊されていた。
扉のある木壁も半分はゴッソリ倒壊してしまっており、屋根もなく、教会堂内は吹き
美名に聴こえる声は、教会堂内部からのようだった。
「やぎょうの……たいし……」
美名は胸の高さほどの教会堂の壁を飛び越えた。
教会堂の内部、雪がうっすらと積もった板床の上に着地した美名とクミは、その光景に息を呑む。
「こ、こんな……」
「ヒトが……」
一体、何人のヒトがそこにはいたのだろう。美名とクミには判別がつかない。どの人体も、五体満足ではなかったのだから。
目を見開き、まつ毛に白雪を張り付かせ、時が止められたように固まったいくつもの顔。
腕が、足が、あるべきところになく、散在する
わずかな出血のあとに凍り付いたのであろう、うす紫色が痛々しい、それらの断裂面。
そんな光景が、教会堂内部には広がっていた。
「
折り重なるような肉塊の山に、クミは直視ができない。
美名は頭をひと振りして気を強く保つと、耳をそばたてる。
「ま、魔名よ……」
「ッ!」
声がする方へと美名はさらに歩を進めた。
「まだ生きてるヒトが……!」
だが、声の主と思われるヒトの傍までようやくに辿りついた美名は、その希望を打ち砕かれた。
「……ゆ、ユ様……?」
声の主は、美名の新しい敬慕の対象となったばかりの、「ヤ行
しかし、彼女は昨日の晩に美名の熱傷を手当てしてくれた左の平手を、腕ごと肩口から失っていた。
左わき腹から右の腰、それ以降の下半身がグチャグチャに潰れて凍り付いてしまっている。
蒼白の顔に白い雪が積もり始め、紫色の唇からは赤い血が滴り落ちる。
どう足掻いても彼女が助かりそうにないことは、美名にもクミにも一目で知れた。
「ユ様!」
「……あ、あ。……あな、たは……」
震えるように瞳を動かして美名を捉えたヤ行の魔名術者は、凍えた口をまったく動かさず、喉奥からの声を出す。
「しっかりしてください! しっかり……」
例の息苦しさに襲われるのも忘れて、美名はその身を屈め、ヤ行魔名術者の頬に両手を添えた。
「つ、冷たい……」
「……ウッ!」
位置が低くなり、息苦しさを覚えたクミは、美名の頭の上に跳び移る。
美名は息苦しさには構わず、深紅の瞳に涙を浮かべながら、ヤ行魔名術者の頬をこすってやった。
美名から零れる涙はパリパリと音を立て、彼女の頬を流れ落ちることなく、即座に固まっていく。
「や、やぎょう……」
「……ヤ行?」
ヤ行魔名術師は、残る右腕を微かに震わせ、その手の平を傍らの美名の足に添えた。
それは非常にゆっくりとした動作で、厳かな儀式であるかのようだった。
「やぎょ、う……くどお……きょう、か……」
ヤ行魔名術師が言い終わる。
と、美名は気付いた。自身の凍った涙が、再び涙となって頬を伝わりだしたことを。
クミは気付いた。自らの足の下――美名の頭部が、熱気を帯びてきはじめたことに。
「これは……」
美名がつぶやく。
「『ヤ行』の……『
「ヤ行・躯動強化」とは、「ヤ行他奮」の魔名術のひとつで、他者の身体能力を向上させる効果がある。筋力、走力、跳躍力……、身体動作を全般的に高めるのに伴って体温が上がるという副次的な効果もあった。
「こ、これで……やぎょうのたいし、んに胸をはって……、魔名を……、かえせ、る……」
(『ヤ行の
クミも涙を浮かべながら、眼下のヤ行魔名術師を見つめる。
死の際で、両の頬に美名の手をあてがわれ、彼女は安堵したように穏やかな笑みを浮かべていた。
「に……」
「……ユ様?」
「にげ……」
その言葉を最後に、ヤ行魔名術師の口からはかすかにあった吐息の気配が消えた。
薄茶色の瞳からは輝きが消えた。
彼女の旅路の行く先は消えてしまった。
「……ユ様ぁ!」
落涙激しく、美名はヤ行魔名術師を起こそうとでもするかのように彼女の頬をこすりつづける。
ふたりを眼下にし、クミの色違いの双眸から涙が落ちる。
彼女の涙は黒い毛にまとわりついて固まった。
そのことにも気づかないほど、クミの身中には例の息苦しさとは別の、喉が詰まる感慨と、やるせなさが溢れていた。
(こんな往生際で、「ヤ行他奮」の魔名術者として、「他者を
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