明朗の波導大師と悪逆の去来大師 6

 何が起きたのか。

 両者から十数歩離れたところにいたネコと少女。一瞬の出来事があまりに不可解すぎて、彼女らは声も出せずにいた。

 仕掛けたのはタイバであり、ニクリであったはずだ。相手の大剣は飛ばされていき、鉄杖てつじょうがシアラの脳天を叩いた。雷が胸を貫いていった。

 それなのに、なにか閃光のようなものが走ったかと思うと、無惨な姿をさらしたのは老大師のほう。鮮血をまき散らしたのは、タイバであった。


奸物かんぶつめが!」


 小柄の老人は、蹴り飛ばされ、地面を転がり、そこらじゅうに開いていたアヤカムの穴のひとつへ落ちていく。

 その一連においても、転がされるのに受け身を取ったり、なにかしら踏ん張りをきかせたり――タイバにそのような動きはいっさい見られなかった。、少女らの視界から消えたのだ。


「……イ、イバちん……?」

「ウソ……だよね……。ね?」


 遅れてやってきた身震いに襲われつつ、クミは、異様を見た。

 視線の先で立ちすくむシアラ。

 彼の顔面、頬の傷をなぞるように赤筋が垂れている。

 血だった。

 返り血にしては位置が高すぎる。あのれは、シアラ自身の出血なのだろう。タイバの一撃は当たっていたのだ。その量からして、並々ならぬ威力であったように見える。元々の頭髪の色と相まり、長身のてっぺんに赤一色の塊がただひとつ乗っているかのよう、不安を催させる。

 だが、そこからさらに視線を落としていったところで、クミはぎょっとした。

 まずは、胸。

 シアラの左胸に。場違いに爽快な青さの空の色が覗けるほど、大きな――。

 そして、腕。

 右ではない。シアラの左の腕――左の手首から先は、札囲ふだがこいのはずである。明良あきらによって断たれた平手。札囲いの布の先には何もありはしないはずだった。

 だが、

 まるで鎌を手にもつかのよう――いや、鎌よりももっと曲がりの強い、半円の何か。あまりに白々と輝く異形が、シアラの手首からえていた。


(あれ、何? ああいうの、フック船長とかなにかのキャラで見たこと――)


 異様極まる姿にクミの毛が逆立ち始めたところ、男の姿がふっと消える。


「……え?」

雷矢らいしッ!」


 ネコが呆気あっけにとられた声を上げるのとほぼ同時、少女大師の魔名術詠唱があった。ニクリは、シアラの姿が消えるやいなや、背後に平手を回し向け、クミの頭上をかすめるような雷撃を放ってきたのだ。

 だが少女が狙ったのは、ネコの頭上ではない。

 ニクリとクミのあいだ、割り込むようにふいに出現した人影である。

 瞬間、クミは察した。


(あ、のね――)


 シアラは、敵である自分たちが呆然とした機を見逃さず、奇襲を仕掛けてきた。「何処いずこか」を伝い、少女の背後を取ろうとしたのだ。

 だが、ニクリはそれを察知し、すぐさま迎撃した。

 クミは、この一瞬をそのように理解した。

 雷の迎撃を食らい、地面に倒れこんできた人影。

 その顔を見るまでは――。


「ひゃっ?! えッ?! ?!」

「え?」


 ニクリが振り返る。

 背を天に向け、足元に倒れていたのは小柄の人物。防寒帽を脱ぎ落とし、禿頭とくとうを晒した姿。

 服が血で染まっていたが、ある一点では焦げ跡が目立つ。ちょうど左胸の裏側に当たる位置、指先ほどの大きさの黒焦げた跡――。

 少女の背筋が凍った。

 あれは、

 突然の気配出現をシアラの奇襲と思い、魔名術を放った。

 ――。


「集中を切らしましたね」

「のッ?!」


 少女に痛みが走る。

 右の肩口に押し入ってきた刃。

 。現れた敵が、背後から凶刃を突き立てたのだ。

 少女を傷つけた武器は、これまでの大剣でも曲刀でもなく、短刀――福城から盗まれた「神代じんだい遺物いぶつ六指むつおよび」――。


「リィーッ?!」

「か……、あ、ク……」

「……っと、。ニクリさん」


 それは、異様な状況だった。

 シアラが小刀を抜き、妙に落ち着いた声音を出すと、ニクリはのだ。、刺されたばかりだというのに、抵抗も狼狽もせず、間合いも取ることさえせず、少女はただ、敵対者の傍らにて直立しているのだ。


「何……? 何なの? ね、リィ? リィッ?!」


 呼びかけにも応じない。

 愛らしい大きな瞳は、まったくのうつろのみを映す。

 わなわなと震えながら、クミは、長身を見上げた。


「何したの……。リィに何したのッ?! タイバ大師にも何したのよッ?!」

「ニクリさん。クミさんをお連れしてください。騒がれるのも億劫おっくうなので、口元も塞いで……」


 少女が動いた。

 ネコの避難のために自ら開けてやった穴に近付いてくると、手を伸ばす。狼狽うろたえて困惑するばかりのクミは、身をよじって逃げる間もなく、抱え上げられてしまった。それは、普段、ニクリが抱擁してくれるときとはまったく違った強さ、まさしく「拘束」だった。


「ね、リィ?! リィってば……ちょ、ン~ッ?!」

「行きましょうか」

「ン……、ン! ンむ、むぅッ?!」

「今の経緯が気になるようでしたら、道すがら、お話しします。クミさんを連れては『何処か』を使っての短縮移動もできませんから、随行ずいぎょうの仕上げに遅れかねない。日にちを指定して別れたばかりで、あの悪趣味のケダモノにもとやかく言われたくはありませんから……」


 話しつつ、シアラの身なりはどんどん綺麗になっていく。

 髪の乱れや土埃、浴びた返り血に自らの出血跡。ハ行去来きょらいの魔名術で消し去っているのだろう。まるで、今回の決闘がなかったことにされていくようだった。

 そして、その「後始末」は、ニクリも同様。

 刃を受けたばかりの肩口からは血の染みが取り除かれ、のぞき見えていた傷口も塞がっていく。クミが巻いてやった左手の布も消えてなくなり、なんら傷痕も残さない華奢きゃしゃな腕が露わにされた。


「クミさん。覚悟しておいてください」

「む……、ンむ!」

「あなたが知る『遡逆そぎゃく』の詳細。私がなすべきことを邪魔しようとする魔名教会側の動き。タイバさんが口走っていた、とやら……。すべてを話していただきます」

「む~ッ!!」

「お話しいただけず、クミさん自身にも生きて残す価値がないと判れば、残念ですが、私は、あなたをも神の御世みよにお返しせねばならない」


 シアラは、少女とネコの背後、倒れ伏すタイバを見下ろす。

 この騒ぎにあっても微動だにしない老人。

 寄り添って転がる鉄杖。

 すぐ下の地面は彼の血を吸うためか、黒々と色を変えていく――。


「ああはならぬよう、ご協力をお願いします」


 眼鏡がんきょう越しのシアラの目は、ただただ冷めきっていた。

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