老練な識者大師と明朗の波導大師
天空より現れたタイバがどこか険しい顔をしているのが気に掛かるが、それをひとまず置き、クミは辺りを見回してみた。
荒野然としたオンジの跡地にある姿は、ネコと少女と老人と、それらのもうひと組。あとは、先ほどの戦闘の名残、いくつかのすりばち穴の底、アヤカムの死骸だけである。他に見当たる者はいない。シアラの姿がないのだ。
そうやってキョロキョロしているクミに、タイバ老師は、懐から小箱のようなものを取り出し、「ほれ」とぞんざいに投げて寄越してくる。
「なに、これ……?」
「塗り薬じゃ。
「でも、そんなのんびり……」
「シアラなら問題ない。はよう手当てせい」
「う、うん……」
「何、何の音……?」
「
「あ、そうか……。あの大きい鏡って……」
大きい鏡――。
クミがニクリに放り投げられ、シアラが刀を振り下ろした瞬間、場に忽然と現れたのは「鏡」であった。
事態急変の混乱のなか、クミはロ・ニクラが現れたものと勘違いしたが、なんのことはない。ネコが見た
そして、タイバの言葉によって、その鏡は壁のように取り囲み、シアラ大師を
「あんなに大きそうなもの、どこに隠し持ってたんですか?」
「あれは、もとは鏡ではない。大気と雲の水分から作ったものじゃ」
「へぇ……」
「
「急に……?」
「何かしらの遺物であろうあの刀を取り出し、自らの手首を斬る間際、彼奴は、斬る手首でなく、ニクリを見とった。おおかた、
「はぁ……。なるほどね……」
そこでいったん途切れてしまうと、タイバの雰囲気はまたも話しかけにくいものに戻ってしまう。ニクリもその空気にあてられたか、ひと言も発さない。
気まずい空気のまま、薬を塗り終え、あらためて巻き布をすると、クミは、あえてあっけらかんとして「はい、オッケーよ」と完了を告げた。
「それにしても、タイバ大師がちゃんと戻ってきてくれて、助かりましたよ」
剣呑な雰囲気を変えるべく、明るい口調ではじめるクミだが、見上げた老大師の顔はやはり険しい。
「あはは」と空笑いを
「自分だけそそくさと空に昇っていっちゃったときは、さすがにちょっとショックだったけど、タイバ大師が逃げるはずない。私たちを見捨てていっちゃうようなヒトじゃない。どこかで様子を見てくれて、危ないときはきっと助けてくれる……。そういうヒトだって、私もリィも、信じてましたよ」
「……買い被りじゃな。それに、本来なら、儂の助けなぞいらんかったはずじゃ」
地面にトンと
「ニクリよ。お前様、ふざけとったか?」
「……」
「ちょ……、タイバ大師?」
「相手がシアラ程度であれば、ハ行
「そんな言い方……。タイバ大師もそんな言い方、ヒドいですよ!」
「ヒドいも何もあるか!」
ニクリを見定めたままの一喝に、ネコも身を震わせてしまう。
そして、ようやく理解したのだった。
タイバのさきほどからの不機嫌は、これが理由――ニクリの戦い様、不甲斐なさに怒りを感じていたのだ。
「儂はの、お前様らを置いてひとり逃げることになんら恥じるものはない。自らの判断と行動に、疑うものなどないからじゃ」
「……」
「ニクリよ。お前、儂の門下にこい」
脈絡のない言葉に、目を伏せるばかりだった少女も思わず顔を上げる。
幼さの残る
「リィが……、イバちんの弟子になるってことだのん?」
「そうじゃ。面倒と思い、これまでは門下に誰ひとり取ってはこなんだが、お前様のような甘ったれがこれからの
「でも……、リィはナ行じゃないし、第九教区の州連合成立のお仕事が……」
「うだうだ言い訳するな。魔名
しばし見つめ合ってから、少女はまたも顔を落とし、小さく「のん」と答える。
だが、見上げるネコからは彼女の様子が
彼女は、またも涙している。
しかし、これまでとは違い、涙粒は輝く。少女の心情を映したかのよう、優しく暖かく光っている。
(そっか……。リィだって、まだまだこれからなんだよね……)
もはや、剣呑な雰囲気など、かすかにも残っていない。
誰も語らず、海辺の跡地は静か。
穏やかな時間が流れだす――かと思われた次の瞬間、少女の顔が勢いよく上げられた。
ハッとした形相で目を向けるのは、クミでもタイバでもなく、その先――
少女のただならない様子に、他のふたりも不穏さに襲われる。
「どうしたの……? リィ」
「まさか……」
「音が……してないのん。『カンカン』って音が……」
三人は、一気に警戒の感を取り戻す。
ニクリの言葉が正しいのなら、囚われのシアラは囲いのなかから脱け出す試みを止めたのだ。
何のためか。
無駄と悟り、あきらめたのか。
もし、そうでなかったら――。
ニクリは立ち上がり、タイバは杖を
(……あきらめたの? あきらめてくれてるんだよね?)
その願いもむなしく、静かな場には「ガン」と大きな打突音が響き渡る。
三人の鏡像を引き裂くように入れられた亀裂。まもなく、壁は音を立て、崩れ落ちていった。
姿を見せたのは、無論、
その右手に握られていたのは、最前までの曲刀ではなく、子どもの背丈ほどはある長さの刀身――輝く大剣だった。
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