老練な識者大師と悪逆の去来大師 1

「やはり、タイバさん……か……。逃げたと見せかけ、姑息こそくはかったと……」


 識者しきしゃの老人に一瞥いちべつをくれるシアラだが、疲弊ひへいの色は濃く、余裕さは露とも残されていない。肩で息つき、汗だくの相貌そうぼう、鏡の囲いを打ち壊すのに相応の労力を要したと見える。

 脱出の要となったのは、間違いなく、手に持つ大剣であろう。


(なに、あの剣……? 美名のかさがたなくらい、大きな……)


 シアラの剣は、長さや幅はクミが考えたとおり、「嵩ね刀」に似通うが、刀身が妙に輝いて見える。違いとしては、剣先が欠けているのもあった。一見してひどく荒れた折れ口なので、ともすると、今この時、囲いを破壊するために破損したものかもしれない。

 あれも神代じんだい遺物いぶつなのかと思いめぐらしていると、すぐそばのタイバが「バルデの四器しき」とつぶやく。


「……ぬかったわい。彼奴きゃつは確か、長剣大剣のたぐいを得意とするソウゲン派の覚えがあった……。福城ふくしろから盗られていった『玉世喜たまのよのよろこび』……、バルデの名作を自らの得物としおったか」

「バルデ……」


 千年前の名工の魔名が端緒となり、クミの記憶が呼び起こされる。

 宵闇に刀身を光らせ、舞うように敵方を払っていく女剣士の姿。

 セレノアスールで見た歌劇、「散華さんげの前に」のひと場面――。


(そっか……。……。今持ってるアレじゃなくて、。リィに傷を負わせた、あの、ひどく曲がった剣。アレって、リン大師が持ってた剣と瓜ふたつだったんだわ……)


 シアラが「神代じんだい遺物いぶつ」の曲刀を取り出したとき、自らが感じた既視感の正体に今さらになって気付いたクミだったが、それとは別のところ、もうひとつ重要なことも思い出しかける。

 それは、刀ではなく使い手。

 ヨ・ハマダリンについてである――。


(リン大師……。リン大師……? そうだ……、……)


 クミに瞬いた閃き。

 「ヨ・ハマダリン」。

 クミとの彼女なら――ヒトの姿の客人まろうどである彼女なら、この不毛な争いを止めることができるかもしれない。大鏡が健在の今、「客人の変理へんり」でシアラ一派の悲願を叶え、暴虐をめさせることができるやもしれない。

 だが、ネコがその閃きに思い至るやいなや、事態が動いていた――。


「ニクリ! 例の『雷電らいでんの囲い』を展開せい! 片手でもやるんじゃ!」

「の、のん!」


 識者の大師ノ・タイバは、鉄杖てつじょうを手に取り、シアラへと向かっていく。

 指示を受けたニクリも、ネコの前に立ち、「雷陣らいじん」と「遮り」をふたたび形成する。

 「閃き」について語る暇なく、戦端はふたたび開かれてしまったのである。


「今度はあなたが相手か、老大師……」

「不服か?! 若造めが!」


 駆け迫るタイバと、迎え撃つシアラ。

 鏡の残骸がキラキラと輝くなか、大剣と杖とが火花散らし、しのぎを削る。


「ひよわなご老体で、剣闘を仕掛けますか?!」

「お前様に間合いを与えては、また、何をしでかすやもしれんのでな!」

「なるほど、賢明だ!」

「老体とみて侮るでないぞ!」


 肉迫しての打ち合い。

 相手の大剣は見るからに殺傷力が高そうだが、間合いを詰めたなかでは取り回しに不利がある様子。小器用に振り回され、打ち据えられるタイバの杖に対し、シアラは防戦一方を強いられている。


(か、勝てそうに見えるけど……。でも……)


 「変理」のことを告げたほうがよいか。

 だが、このまま打ち倒せるのなら不要になるか。

 いや、放っておけば、タイバがシアラの命を奪ってしまう結果にもなりかねないのでは。

 それ以前、ハマダリンに「変理」は為せるのだろうか。確証はあるか。

 約束したうえで反故の結果にしてしまえば、事態はより悪化するのではないか。


 クミがさまざまに思惑を巡らすあいだも応酬は激しく重ねられていく。 

 加えて、そばのニクリから「クミちん」と声がかかった。


「ゴメンだのん。クミちんを抱き上げるのは、今、出来ないのん」

「あ、ああ、うん。ダイジョブよ。リィのふところには、ひとりで上って入るから……」

「そうじゃないのん……」

「え……? ひっ?!」


 クミのすぐ横で地面が破裂する。ニクリの雷撃が穴を開けたのだ。

 ふいの魔名術に驚いたネコは、態勢を崩し、コロコロと転がり落ちていってしまった。


「ぷっ……。わぷ、ちょっと、リィ?!」

「クミちんは、そこに隠れててのん。リィも黙ってないから……」


 穴の底から見上げた少女の顔は、ただならぬ決意にあふれている。

 クミは、「ああ、そうか」と感じ取った。

 負けず嫌いの気質は、ニクラだけでなく、双生そうせいの妹であるこの娘にもしっかり宿っているのだ。


 一方、肉弾戦の場――。


「老人が、まとわりつくな!」


 シアラが吠え上げるも、タイバは臆しもせず、乱打を浴びせかけていく。

 やはり、手数の多さにおいて、優劣は明白。


「それだけ疲労があれば、お前様も……ジジイと変わらんて!」

「……ぐっ?!」


 タイバのひときわ大きなひと振りに、シアラは剣の腹で応じる。

 大師ふたりの戦慄わななく相貌が、お互いに噛みつかんばかりに近づいた。


「……くっ、ぬ……。タイバ……」

「……う……ぬ?」

「老齢のにわか仕込みが……、通用すると思うな!」

「……がっ?!」


 老師の腹部に蹴りが入り、突き飛ばされてしまう。

 鋭い蹴撃しゅうげきは重かった。二、三歩たたらを踏み、タイバの体勢は大きく崩れた。

 開かれた間合い、大剣にとっては絶好の間隔――。


「死に去れッ!」


 巨大な岩石が落ちるように振り下ろされた「玉世喜」――だが、その一刀が老師に届くことはなかった。

 去来きょらいの大師に迫ったのだ。


「ッ?! ハ行ッ!」


 迫ったものは、雷光。

 まっすぐ直上より襲い来た雷撃ではあるが、赤毛の頭の寸前、「何処いずこか」の暗闇に呑まれていく。

 シアラは、に気付き、対処するため、攻勢から守勢への急転を余儀なくされたのだ。


「……ニクリさん」


 目を配すと、波導の少女が平手を向けている。

 その眼に先ほどまでの戦意を取り戻し――いや、それ以上の闘志をたぎらせ、睨みを据えている。


(……あれほどに打ちのめし、正中せいちゅうも潰したはずが……)


「どこを見ておるッ?!」

「ッ?!」


 余裕を与えず、老大師の猛打が再来。

 シアラはまたも、守勢に徹さざるを得ない。

 

「お前様……、起こさなくてよい子を起こしたな」

「くっ……」

ばくにつけ、などとはもう誰も言わんぞ……。お前様のみちきは、わしに叩き殺されるか、かの才覚に焼き殺されるか、その二択しか残されておらん!」


 得物を叩き、ジリジリとせめぎ合うかつての同格、タイバとシアラ。

 ふたりは、お互いを射殺さんばかり、猛る眼光をぶつけるのだった。

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