明朗の波導大師と悪逆の去来大師 5
「クミちん……。ゴメンだのん……」
「……ゴメン?」
「クミちんは……、逃げてだのん……」
「いや、いやいや。なに言ってんのよ、アンタ……」
ニクリは、懐に手を入れる。
緩慢な動きからは少女の衰弱が
「これをお願いのん……」
クミに押しつけられたのは、二枚の「
「何のつもりよ、コレ……。ねぇ、ニクリ!」
「クミちんなら、この
「なに言ってんの、んもう! そんなコト、できるわけないでしょ!! しっかりしなさいってば!」
「勝負は着いたわ! そうでしょう?! これ以上はいいでしょう?!」
「……」
「捕虜にでもなんにでもなりますから、ちゃんと手当てしてあげたいの! このままだと、この
血流を抑えているとはいえ、巻いたばかりの布はもすでに鮮血が染みきっている。先ほどクミが一見したかぎりでは、傷口も深く、楽観しきれるものとは思えなかった。可能なかぎり早急に治療すべきである。
だが、嘆願にもかかわらず、
「シアラ大師、お願い! リィの手当てだけでも――」
「……言いませんでしたか? 後で劣勢になってからでは遅い、と。私は、おふたりを見逃すことはしない、と……」
「でも――」
「あなたがたにとっての生き死には、命の取り合いは、そんなに軽いものか?!」
急な怒鳴り声に、ネコも少女もビクリと身震いさせられる。それでもなお、
「取りつく島がない」――クミは、思い知らされた。
「……魔名術を至高の領域まで高める道のり、そこにはふたつの障壁があると言われますが、ニクリ大師は当然、ご存知ですね?」
平静さを取り戻したの問いかけに、ニクリは、
「そう。『ありのまま魔名を響かせる』、『無為』。『意を
「な、なんの話? なんの話ですか、いったい……」
まるで、説諭のようなことを始めたシアラは、困惑顔のふたりに「敗因の話ですよ」と言ってのけた。
「『無為』はともかく、ニクリさんには『作為』が圧倒的に不足している」
「リィが……、不足?」
「持論にはなりますが、『作為』とは、『自己の確立』と
説諭が続けられるが、クミらふたりは下手に動けない。
ニクリの左手が封じられ、高位の
「攻め」も「逃げ」もしきれないふたりは、黙って話を聞くよりほかになかった。
「あなたの姉であるニクラさんは、
「ラァならって……、どういうコトだのん?」
「少なくとも、ニクラさんならば、片方の腕を斬られようとすぐにもう片方で魔名術を放ってくる……。そうは思えませんか?」
言われると、クミにも確かに想像できる。
あの、負けず嫌いで短気な少女なら、美名との交戦の前例よろしく、ボロボロになっても抗い、なにかしら攻勢を掛けるのだろう――。
「ですが、ニクリさん。あなたはどうでしょう?」
「……」
「ヒトの顔色を
「そんなコト……ないのん……」
「たかが卑小劣悪をひとり殺すことさえ
「そんなコト、ないのん!」
「天真爛漫、自由奔放に見えて、実のところ、心の底では周囲や
「そんなコト……。そんな……」
少女は、敵から目を逸らしてしまう。
ぎゅっと唇を結び、震え、静かに泣きだす。ポロポロと大粒で零す。
その姿に胸が潰される思いのクミは、少女に代わるよう、シアラを睨み上げた。
「なんで、なんでそんなヒドいコト言うんですか?!」
「……最期の今とてそうです。クミさんを逃がすなどと
「もういいでしょう?! なんでそんな言い方するんですか?!」
クミは、震えてきた。
哀しいためではない。怒りがためである。
「シアラ大師だって、
直面する絶望的状況など、すっかり抜け落ちた。
ただただ憎らしい。
かつては抜群の連携を見せたはずのふたりが争った。血を流し、傷ついた。それでも足りず、相手は、少女を責め立てる。言葉でもって
そんなシアラに、怒りしか
だが、「怒り」では、この危機はどうすることもできない――。
「これから私は、自らを散々に斬ります」
冷然と放たれた宣告は、不可解なものだった。
「この『
「……」
「ですがそれは、『サ行・治癒力強化』を使える私には、たいした負傷にならない。すぐに治すからです。ただ私の敵のみが、斬りつけられ、痛みを重ね、やがて、
言うごとに高く掲げられていく曲刀。
その刀身は、青天に在るふたつの月のはざまに入り、まるで、みっつめの月であるかのよう、輪郭を光らせ浮かんでいる。
日の光が加わり、刀がひときわ強く光ったそのとき――。
「クミちん、逃げてのん!」
「わッ?!」
クミは、首輪を掴まれ、後方へ放り投げられた。
ネコを守り、この場から逃がしてやることが、散々に
そしてそれは、敵の凶刃が振り下ろされるのと同時であった――。
「ちょ、わ、ぷっ?!」
ゴロゴロと転がっていくネコ。
なんとか勢いが弱まってきて、クミがまず最初にしたことは、起き上がるのでも逃げ出すのでもなく、顔を上げることだった。たとえそれが最低最悪の光景だろうと、ふたりの
しかし――。
「え……?」
目を向けた先の光景は、少女が血祭りになっているのでも、敵の男が雷撃を受けているのでもない、まったく予想外のものだった。
手前の波導少女は無事――なのだが、シアラの姿がない。
シアラがいた場所、代わりに見えたのは、波導の少女。
「え、ど……。ラァ? ニクラが来てくれたの?」
「違うのん。あれは……」
ニクリが言いかけると、少女ふたりのあいだに突如、一本の棒が――いや、この棒も二本である。果てしなく、天まで伸びる二本の棒が地面に突き立って現れた。
「やれやれ、間に合ったかの」
呆然とするふたりに降り落ちる、しわがれ声。
頭上を仰いだ少女とネコは、天高い棒の先、なにやら豆粒のように小さな影を見つけ、揃って顔を輝かせた。
「あ、ああ……、あぁ~……、んもう! 遅すぎ!」
「イバちん!」
豆粒のような影は、次第に大きくなってくる。地上に近づいているのだ。
だがそれは、落下というよりは降下。手前の棒が、影を乗せたまま、シュルシュルと縮まっていくのだ。
やがて、姿形がクミにも視認できるところまでくると、その影は――
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