明朗の波導大師と悪逆の去来大師 5

「クミちん……。ゴメンだのん……」

「……ゴメン?」

「クミちんは……、逃げてだのん……」

「いや、いやいや。なに言ってんのよ、アンタ……」


 ニクリは、懐に手を入れる。

 緩慢な動きからは少女の衰弱がうかがい知れた。


「これをお願いのん……」


 クミに押しつけられたのは、二枚の「相双紙そうぞうし」。血糊ちのりで赤く、べっとり染まった紙片だった。

 

「何のつもりよ、コレ……。ねぇ、ニクリ!」

「クミちんなら、この雷陣らいじんを抜けて出れるのん。あとはリィがひとりで倒すから、クミちんは……報せて。みんなにもこのコト、報せてだのん……」

「なに言ってんの、んもう! そんなコト、できるわけないでしょ!! しっかりしなさいってば!」


 叱咤しったしたクミは、涙目を敵に向けると、これもまた怒鳴り声で「シアラ大師」と張り上げる。


「勝負は着いたわ! そうでしょう?! これ以上はいいでしょう?!」

「……」

「捕虜にでもなんにでもなりますから、ちゃんと手当てしてあげたいの! このままだと、この、ホントに……」


 血流を抑えているとはいえ、巻いたばかりの布はもすでに鮮血が染みきっている。先ほどクミが一見したかぎりでは、傷口も深く、楽観しきれるものとは思えなかった。可能なかぎり早急に治療すべきである。

 だが、嘆願にもかかわらず、去来きょらいの大師が返すのは、クツクツと小馬鹿にするような笑いだけだった。


「シアラ大師、お願い! リィの手当てだけでも――」

「……言いませんでしたか? 後で劣勢になってからでは遅い、と。私は、おふたりを見逃すことはしない、と……」

「でも――」

「あなたがたにとっての生き死には、命の取り合いは、そんなに軽いものか?!」


 急な怒鳴り声に、ネコも少女もビクリと身震いさせられる。それでもなお、眼鏡がんきょう越しの目は冷ややかで動かない。

 「取りつく島がない」――クミは、思い知らされた。


「……魔名術を至高の領域まで高める道のり、そこにはふたつの障壁があると言われますが、ニクリ大師は当然、ご存知ですね?」

 

 平静さを取り戻したの問いかけに、ニクリは、いぶかしみつつも「『無為』と『作為』」と答えて返す。


「そう。『ありのまま魔名を響かせる』、『無為』。『意をって魔名を響かす』、『作為』……。『無為』などは、『段』と『段』の差異と言われることもありますが、いずれにしても具体性がなく、このふたつはすでに矛盾しているため、教練の多くでは古来の概念として簡単に触れるのみにとどまる……。さほど重要視されないものではありますね」

「な、なんの話? なんの話ですか、いったい……」


 まるで、説諭のようなことを始めたシアラは、困惑顔のふたりに「敗因の話ですよ」と言ってのけた。


「『無為』はともかく、ニクリさんには『作為』が圧倒的に不足している」

「リィが……、不足?」

「持論にはなりますが、『作為』とは、『自己の確立』ととらえています。挫折し、打ちのめされ、それでも克己し、経験と自信を得、それを何度も何度も繰り返し、身に着けた魔名術。それまでとは違った意趣で扱えるようになった魔名術。それこそが『王段の高み』……。ニクリさんにはそれが足りていない」


 説諭が続けられるが、クミらふたりは下手に動けない。

 ニクリの左手が封じられ、高位の波導はどう術を使うことができない。集中もたなくなってきたか、「雷陣らいじん」と「遮り」も薄まってきている様子。ふたりで、あるいはクミひとりが逃げ出したとしても、逃げ切れる目算は低い。

 「攻め」も「逃げ」もしきれないふたりは、黙って話を聞くよりほかになかった。


「あなたの姉であるニクラさんは、諸々もろもろ懊悩おうのうを乗り越え、精神的にも成長を遂げていました。今、この場で対峙したのがニクラさんであったなら、私ももう少し手間取ることもあったかもしれません」

「ラァならって……、どういうコトだのん?」

「少なくとも、ニクラさんならば、片方の腕を斬られようとすぐにもう片方で魔名術を放ってくる……。そうは思えませんか?」


 言われると、クミにも確かに想像できる。

 あの、負けず嫌いで短気な少女なら、美名との交戦の前例よろしく、ボロボロになっても抗い、なにかしら攻勢を掛けるのだろう――。


「ですが、ニクリさん。あなたはどうでしょう?」

「……」

「ヒトの顔色をうかがいながらの魔名術は、相も変わらず、持って生まれた才覚に任せるがまま。『史上最高の波導はどう大師』などともてはやされ、そこに甘んじ、私を生け捕りにするなどと妄信した」

「そんなコト……ないのん……」

「たかが卑小劣悪をひとり殺すことさえ躊躇ためらうのを、『勝てる自信がある』などとごまかし、大局の最善を取らずにいた」

「そんなコト、ないのん!」

「天真爛漫、自由奔放に見えて、実のところ、心の底では周囲やともがらを、自分のねえ様を……、あなたは見下しているのではありませんか?」

「そんなコト……。そんな……」


 少女は、敵から目を逸らしてしまう。

 ぎゅっと唇を結び、震え、静かに泣きだす。ポロポロと大粒で零す。

 その姿に胸が潰される思いのクミは、少女に代わるよう、シアラを睨み上げた。


「なんで、なんでそんなヒドいコト言うんですか?!」

「……最期の今とてそうです。クミさんを逃がすなどとやすい自己犠牲に酔いしれ、そこで終わっている。両足は健在なのに、いまだ立ち上がることさえせず――」

「もういいでしょう?! なんでそんな言い方するんですか?!」


 クミは、震えてきた。

 哀しいためではない。怒りがためである。


「シアラ大師だって、天咲あまさきではあんなにリィと……。リィだって、キョライさん、キョライさんって、あんなに……」


 直面する絶望的状況など、すっかり抜け落ちた。

 ただただ憎らしい。

 かつては抜群の連携を見せたはずのふたりが争った。血を流し、傷ついた。それでも足りず、相手は、少女を責め立てる。言葉でもっていじめぬく。いっさいの躊躇ちゅうちょも見せず、冷血に。

 そんなシアラに、怒りしかいてこないのだ。

 だが、「怒り」では、この危機はどうすることもできない――。


「これから私は、散々に斬ります」


 冷然と放たれた宣告は、不可解なものだった。

 

「この『』の『反写はんしゃ』は、相手に対し、自傷とまったく同じ傷を与えることができる特性です。これから私は、自らの腕を斬り、足を斬り、腹を斬ります」

「……」

「ですがそれは、『サ行・治癒力強化』を使える私には、たいした負傷にならない。です。ただ私の敵のみが、斬りつけられ、痛みを重ね、やがて、死出しでに至る……」


 言うごとに高く掲げられていく曲刀。

 その刀身は、青天に在るふたつの月のはざまに入り、まるで、みっつめの月であるかのよう、輪郭を光らせ浮かんでいる。

 日の光が加わり、刀がひときわ強く光ったそのとき――。


「クミちん、逃げてのん!」

「わッ?!」


 クミは、首輪を掴まれ、後方へ放り投げられた。

 ネコを守り、この場から逃がしてやることが、散々にけなされた少女の最後の矜持だったのだろう。

 そしてそれは、敵の凶刃が振り下ろされるのと同時であった――。


「ちょ、わ、ぷっ?!」


 ゴロゴロと転がっていくネコ。

 なんとか勢いが弱まってきて、クミがまず最初にしたことは、起き上がるのでも逃げ出すのでもなく、顔を上げることだった。たとえそれが最低最悪の光景だろうと、ふたりの顛末てんまつを確かめずにはいられなかった。

 しかし――。


「え……?」


 目を向けた先の光景は、少女が血祭りになっているのでも、敵の男が雷撃を受けているのでもない、まったく予想外のものだった。

 手前の波導少女は無事――なのだが、シアラの姿がない。

 シアラがいた場所、代わりに見えたのは、

 だいだい髪の少女が、


「え、ど……。ラァ? ニクラが来てくれたの?」

「違うのん。あれは……」


 ニクリが言いかけると、少女ふたりのあいだに突如、一本の棒が――いや、。果てしなく、天まで伸びる二本の棒が地面に突き立って現れた。


「やれやれ、間に合ったかの」

 

 呆然とするふたりに降り落ちる、しわがれ声。

 頭上を仰いだ少女とネコは、天高い棒の先、なにやら豆粒のように小さな影を見つけ、揃って顔を輝かせた。


「あ、ああ……、あぁ~……、んもう! 遅すぎ!」

「イバちん!」


 豆粒のような影は、次第に大きくなってくる。地上に近づいているのだ。

 だがそれは、落下というよりは降下。手前の棒が、影を乗せたまま、のだ。

 やがて、姿形がクミにも視認できるところまでくると、その影は――識者しきしゃの大師タイバは、杖先から踏み出し、地面へと降り立った。

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