世間知らずの教主と世間ずれした識者の大師 1

(ううむ……。ちょっと、気まずい……)


 主塔の「内証ないしょう室」、小さなネコは肩身の狭い思いであった。

 卓の上に座るクミの対面には、教主フクシロ。茶を飲んで素知らぬふうを装っているが、チラチラとクミをうかがって気にしている様子なのは隠しきれていない。

 この室にいるのはふたりだけ。

 美名とクメン師は、魔名教本部に詰めている「段」の附名ふめい術者を訪ねるため、室を出て行ったのだ。


(……まぁ、大勢でぞろぞろ出てっても、あのニクラのせいで、外では込み入った会話もできないだろうし、「名づけ」の本チャンは戻ってきてこの場でしてくれるって言うし、仕方ないんだけどさぁ……)


 クミはつと、教主の顔を見上げてみる。

 幻燈大師モモノと血縁だというからなるほど、どことなく面影がある。しかし、大師よりかはいくらか眉尻が下がっていて、それが彼女の楚々そそとした印象を高める。小鼻もふっくらとしていて、女性らしい丸み。これは、まだ幼さが残るためかもしれなかった。

 彼女は少し狼狽をして、目を泳がせている。どうやら、小さなネコの視線が自身に注がれていることが、よほど気になるらしい。


「あの……、クミ様、お茶では……お気に召しませんでしたか?」

「あ……。え?」


 自身と、目の前の茶が入った小皿を交互に見遣るのを見て、教主はそれに気を揉んでいたのか、とクミは気が付く。


「そんなことないですよ。なんか、ネコってあんまり水分とらなくてもいいみたいで、さっきご飯食べてきましたから、そのときの水で充分なんです」

「そうですか……」


 そうしてまた、ふたりの間に沈黙が落ちる。

 その静けさにバツが悪く思い、クミはチロチロと舌を出して茶を飲んでみた。見上げたわけではないが、じっと注がれる視線の気配を頭のてっぺんに感じるクミ。


「……ぷ、はぁ。おいしいですねぇ。ジャスミンティーみたい……」

「……お飲みになる様子が、可愛いものですね」


 教主がふわりと笑う。

 その様はどこかクメン師に通ずるものがあって、クミは、もしかすると彼もモモ大師の一族なのかな、と思い至った。


「アヤカムというのは、そうやって水を飲むものなのですか?」

「え……? 私はアヤカムじゃぁ……って、まあ、ところどころでアヤカムとは名乗ってますけど、アヤカムじゃありませんよ」

「あら……? すみません……。『人語じんごかいすアヤカム』が『客人まろうど』様だと教えられていたものですから、私はてっきり、クミ様のようなお姿の生き物が『アヤカム』なのだと……」

「ン……ンン?」


 ふたりの会話に、不調和の気配を感じるクミ。

 まもなく、その原因が判った。


「教主様って……、もしかすると、『アヤカム』がなんだか、お分かりになってない……?」

「え……。あ、はい……。その……恥ずかしながら……」


 クミは驚いた。

 居坂に住むヒトは、「アヤカム」と隣り合わせで生きているといっても過言ではない。

 野外での人身被害や農作物被害。それらを除くための狩猟。

 革や毛皮、肉といった、利用。

 「四つ目」などのしつけやすい、「使役しえき」しやすい種類に限ってだが、訪れた村々で愛玩あいがんとされている姿もクミは幾度も見ている。

 子どもたちはクミを見たらまず、「アヤカムだ!」と騒ぐ――見知らない生き物に対してはとりあえず「アヤカム」と呼び掛けるのが居坂の子どもであると、クミは学んでいる。

 それほど、ヒトとアヤカムは密接であった。

 そしてアヤカムとは――特定の種別の動物を指す言葉ではない。


「……私はほとんど、福城を出た事がないのです。どころか……、教会区と神殿区の外にもあまり……。ですから、アヤカムについても、教典の内容や皆の話に出てくる、間接的なことしか知らず……」

「……はあ。箱入り娘なんですね……」


 言ってから、クミはハッとした。


(……うわ。私、どんだけ不敬な発言よ……)


 恐る恐る教主の様子をうかがうが、本人はただ、「やはりそうでしょうか」と気を沈めているばかり。クミの言をとがめるようなつもりは微塵みじんもなさそうだった。

 だが、その様子がなおのこと、クミの反省の感を強くさせる。


「あの……。ごめんなさい……。バカにしたわけでは……ないんです……」

「いえ……。大伯母様にもよく言われるのです。『塔なんかに閉じこもってないで、広い居坂を見てきなよ』って……。ですが、教主の務めは『主塔にいること』が第一……。そんなことはできません。それでも大伯母様は『そんな務めなど放って脱け出せばいい』と笑うのですけれど……」

「ふぅむ……」


 クミにはひとつ、合点がいく。

 教主フクシロのどこかはかなげで、しおらしい雰囲気。それは、彼女自身の元来の性質も大きいのだろうが――。


(このは……世間慣れしてないのね。悪い意味ではないけど……んだわ……)


 それが正しいコトなのか、間違ったコトなのか、教主という大役の詳細を知らぬクミには、判じ得ない。

 ただ――。

 もしも、この楚々とした少女が魔名教の教主でなく、一介いっかいの町娘であったなら。

 そして、同じように、「広い居坂を知らない」と悩んでいる様子だったら。

 考えるまでもなく、自分はこう言っていただろうと、クミは思う。

 「じゃあ、隣町まででいいから、私たちと旅してみようよ」。


リーン、ゴーン


 こもったような鐘の音に、クミは我に返った。

 教主フクシロも耳をそばたて、顔を上げている。


「な、なんですか……。今の音?」

「この主塔に……誰かが訪ねてきた際に鳴る鐘です。『内証室』は波導はどうの術は通さないのですが、物理的な音は届くのです。大分だいぶさえぎられはしますが……」

「誰が……来たんでしょう……?」

「……今日は公務の会合予定はなかったはずですが……」

「あ、もしかして、美名たちかな……。もう戻って来たのかも……」

「そうかもしれませんね」


 室を出て行こうとする教主に、クミは「私はどうしたらいいでしょう?」と問いかけた。


「正直、ここにひとり取り残されるのは……。その扉も、私の力じゃ開けられないでしょうし……」

「では、階下に共に迎えに参りましょうか」


 そうしてふたりは「内証室」を出て、主塔の入り口に連れ立って行った。

 だが、主塔の入り口――「わか」を隔てた向こう、「教主の許可」を待って立ち尽くしている人物は、美名でもクメン師でも、明良あきらでもなかった。


(え……? おじいちゃん?)


 腰から曲がった輪郭の人影。そのせいで、元々小柄そうな背丈がさらに縮まっていて、白い外套衣の端をいくらか地面につけてしまってもいるようだ。

 禿頭とくとうながらも、口とアゴの白髭は豊か。皺だらけの顔をさらにほころばせた笑顔を浮かべる、好々爺こうこうや――。


「……タイバ大師!」

「ほっほ。いや、フクシロ様。ご機嫌うるわしゅう」

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