覚束ない間諜と消えた守衛手司

『やあ、明良あきらくん。ひとりで飛び出してきた様子だけど、どうしたのかな?』


 例の、頭に直接響くような声。少女の声。それが、明良の耳にまとわりつく。

 守衛しゅえい手司しゅしロ・ニクラによる、波導はどうの魔名術である。


『……そんなことではないかとは思ってたけど、私のことも、私の波導術のことも、すでに伝えているんでしょう? だから「内証ないしょう室」にみんなで入った。この「拾音しゅうおん」の抜け穴は、筆談とあの部屋……。それくらいは私も承知の上なんだよ』

「……俺の声は聞こえるか?」

『……聞こえてるよ』


 明良はひとまず、教会区の境、北の大門を目指して歩く。

 ニクラ本人がその場にいるとは限らないが、守衛手司として持ち場に戻ったとしたなら、そこが一番可能性が高いように思われるからだった。


(……俺が……間諜かんちょうを……。『魔名解放党』に潜り込んで、『烽火』を食い止めねばならん!)


「……俺に、『烽火ほうか』の手伝いをさせてみないか?」

『……へえ。それはいったい、どういう心境の変化なのかな?』

「……あいつらとは……、決裂した。魔名教と俺の信念とは相容れない。それが身に染みたからだ」


 誠実――というわけではないが、明良という少年ほど、嘘をくのが下手な者はなかなかいない。少しばかりでも明良に関わった者であれば、誰もが頷くことである。 

 この言葉にももちろん、後半はともかく、前半の言い淀みに嘘の匂いが漂う。

 耳鳴り声の主もそう感じ取ったようで、楽しくて仕方がないという笑いを上げた。

 明良自身もそれで、見抜かれたことを悟ったが――。


『……いいよ。「解放党」に入るといい』

「……ッ?!」


 彼女の了承に、明良自身も驚く。


『……まず間違いなく、明良くんは密偵の役を買って出て来たんでしょう? それでも構わない。むしろ、魔名教会側の……教主の動きを探るのには、明良くんを囲ったほうが有利に働くこともあるかもしれない。さらに言えば、明良くんを密偵とするくらい、……』

「……」

『……ああ、安心しなよ。何も、あの牢部屋のように閉じ込めて、痛めつけて吐かせようというわけじゃない。君には仕事を振るし、それを全うしてくれればいい。ちゃんと報酬もあげよう』


 密偵と承服しながら、明良を「解放党」に加える――。

 それがむしろ、「解放党」の――ニクラの底知れぬ悪意と執念とを如実に示しているような気がして、明良はひとり、額に汗を伝わせた。


『ただし、もう、私と面と向かう場はないと考えておいてよね。私は「烽火」までの間、守衛手の仕事も放り出すし、党の集会にも顔を出さない。今、一番困るのが、魔名教の全力を挙げて、捕らえられることだから』

「……指示をくれるんじゃないのか?」

『今、明良くんにしてるみたいによ。他の連中にも、ね。有事に備えて、そういう手筈てはずも段取りも、用意してはいたから』


(くっ……。ということは、「俺がニクラを捕らえる」か、「打ち倒す」ことは、難しくなったわけか……)


『……「烽火」が終わって、魔名教に終わりが来て、ふたたび会えたとき……。さて、明良くんは、あの誠心せいしんの『よきヒト』に再会したときのような顔を……私にも見せてくれるものかな?』

「……何のことだ?」

『……あの場面と、その後の断髪……。言葉は交わしていないのに、通じ合った様子で……。明良くんとは見知ったわけでもなさそうなクメンまで、まとまってたね。見ているこっちは……、なんでだろうね? ひどく、悔しいものを感じたよ』

「……何を言っている?」

『……ふふ。冗談だよ』


 その直後、「ゲイルと行動を共にしろ」との指示を最後に、ニクラの声は聴かれなくなった。

 そのまま、北の大門の守衛手詰め所に赴いたものの、そこにいた守衛手が言うには、「クメン様が通ったあと、手司の姿はいつの間にか消えていて以降、見ていない」とのこと。


(もう、姿を隠しだしたな……)


 明良はいったん教会区の外に出て、壁伝いに南の大門――守衛手としてのゲイルの持ち場に向かった。

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