自奮大師の強襲と朱下ろしの散雪鳥 2

 プリムは背後で燃え広がる炎をかたどるかのよう、仰々ぎょうぎょうしく両腕を拡げた。


「ここしばらく、危険思想の垂れ流しがないという話でしたが、まさか、私が検分に訪れたこの夜、おそれ多くも背信行為を再開していたとは……。この炎は、神々の怒りです。罰としての劫火ごうかです」

「危険思想……、背信……? 今さら、魔名教会は歌劇を異端と判断したのか? 教主フクシロがそう言ったか?!」


 恫喝どうかつに、自奮じふん大師は呆れるとでも言うように首を振る。


「『真名まな』などと、邪教に取りつかれたフクシロにこのような英断ができるわけもありませんわ。審判を下すのは、真に正統である魔名まな真教しんきょうの先導者。神からの神託を受けた、この私、聖プリム。この町を皮切りに、堕落した教会から居坂いさかを救い、正しく導くのです」

「狂ったか、貴様……」


 ギリギリと歯噛みするハマダリンは、少し離れたところで転がる生首に目を遣る。

 死に顔なうえ、落下の衝撃で損傷が激しく、正視するにも耐えない無惨さである。だが大師にとって、この顔は見知った人物。歌劇終演のあと、美名やクミと共に大都に向かうべく、呼び出していた動力どうりき術者、コ・ヘヨウである。


「ヘヨウ……。炎に巻かれた者ら……。誰も彼も、魔名を返さねばならない罪などありはしない。歌劇に見入っていただけ。『不足』の私の復帰を、心から喜んでくれただけ。急な呼び出しに快く応じてくれ、駆けつけただけ……。それを……、それを貴様は!」


 裸体の女をにらみ据えるハマダリン。

 殺気はらむ視線を受けてなお、プリムは恍惚こうこつとした表情を深めていくばかり――。


「……ふふ。ああ、いやだわ。背信者の目。けがれる、汚れる……」

「私のこの激昂げっこうに、教会本部に提訴をかけている悠長さなどありはしない。今すぐに貴様を討つ。覚悟はできているな?!」

「ふふ。ふは、あは、あはぁはッ! 混沌にも劣る堕落者は、目も曇りきっているのか、何も見えていませんのねぇ!」


 調子を外して不気味に笑うと、プリムは右の腕を伸ばし上げた。指を一本、ピンと立て、何かを指し示すかのよう。

 ハマダリンは指先を追う。

 見上げた先では、なにやら黒いものが夜空を行ったり来たりしていた。時折、「大きい月」の光輪に入り、いくらか影がハッキリするのを見るに、どうやら、その影の正体は、翼を持つ鳥のようである。それも、ひどく大きい――。


「バカな……。あれは、まさか、散雪鳥さんせつちょうか?!」

「そのとおりですわぁ、このめくらぁ」


 驚愕するハマダリンを、自奮大師は唇を捻じ曲げた醜怪しゅうかいな顔で嘲笑あざわらった。


 散雪鳥とは、三大妖さんたいようの一角、巨大きょだいとりのアヤカムである。

 気性が荒く、動く生物は見境なく、炎と爆発で攻撃する暴威ぼういの化身。

 しかしそれも、このアヤカムの生息域――混沌大陸近海に近づかない限り、脅威ではない。

 少しでも領域を侵せばどこからか飛来し、襲撃を受けるが、昏中音くらくあたるおとなどとは違い、他の海域や土地に出没したという事例はまったく聞かれない。海図を持ち、しっかりと航路を定めることに努めれば、散雪鳥に出くわすことなどありはしない。東大洋とうたいように面した第八教区の長であるハマダリン大師も、職務上、航行路の安全確認のため、実地にて遠目に確認した一度きりしか見たことがない。

 だが、散雪鳥と思われる影は、今まさに、混沌大陸からは遠く離れたこのセレノアスールの上空を飛び回っている――。


「なぜ、散雪鳥がこの場、貴様の言いなりになど……」

「あの神の使いがもたらす炎は、こうしているあいだにも堕落の町を燃やし尽くし、よごけがれをすべて焼き払い、あらたに神の町を建てるのですぅ! そして……」


 プリムは、伸ばし上げていた腕をおもむろに下げる。そうしてそのまま、ハマダリンに向けて一本指を差した。


「『神衣かむい』を極める私には、崇高な神々以外、誰も抗うことはできないぃ!」


 指で差す侮辱の行為に、ハマダリンの敵愾てきがい心はますます高まる。

 しかし、そこでハタと気が付く。

 散雪鳥が

 まさか、先ほどの強襲でセレノアスールが全滅したわけがない。まだ生きており、避難に動いている住民が大勢いるはずである。そして、伝承記述にあるとおりなら、あのアヤカムは動く者に対し、「あけろし」――火炎をまいて、爆撃を見舞ってくるはずなのである。

 散雪鳥がそうしないのはなぜか。

 その理由を、ふたたび顔を上げたハマダリンは見て取った。


「……見えていないのは、貴様も同じだな」

「はいぃ?」


 今度は、ハマダリンが腕を突き上げる。

 夜の空を一指で刺し貫くかのよう、凛然として指し示す。


「……なんですって?」


 言われて、プリムも夜空へ顔を上げる。

 自奮術を用いて見えたのは、星々の間を縫うように飛ぶ散雪鳥へ、まとわりつくように飛び回る小さな影。

 さらに目を凝らしてみれば、その影は、大剣を手にしたヒトである。月光を銀髪に透かし、光らせながら、散雪鳥へと立ち向かっていく少女の姿――。


「あれは……、悪逆の劫奪こうだつ? ・美名?!」


 プリムは、ハマダリンへと向き直る。

 憎々しさが充満し、それで膨れているのではないかと見紛みまがうほど、歪んだ顔つきをして――。


「この邪悪な町で、邪悪な者同士、いつの間にやら徒党を組んで謀略でも立てているんなぁッ!」


 プリムの姿が、消えた――いや、消えたのではない。

 目にも止まらぬ高速でハマダリンに接近し、プリムは手刀を放ってきたのだ。

 だが、「神衣」で強化された手刀が他奮たふん大師を斬り裂くことはなかった――。


「ッ?!」

「狂ったがゆえ、忘れたか、プリム?」


 曲刀きょくとうで「神衣」の手刀を受け耐えた体勢、ハマダリンは低い声音で問いかける。


「確かに、サ行自奮は対人戦闘において有利に働く。『神衣』を発揮した貴様は風のように駆け、けたはずれの膂力りょりょくを誇り、どんな刀よりも鋭くヒトを斬り裂くのだろう」


 ハマダリンは、最前にコ・ヘヨウの首を見た際、察していた。

 あの、ブレも歪みもない、あまりに綺麗な断首のあと

 自奮大師プリムは、散雪鳥をけしかけてくるだけでなく、自身もすでにヒトを殺めている。まったくの躊躇ちゅうちょなく、「神衣」を行使している――。


「だが、プリム。


 刀を持つのとは逆の左。

 ハマダリンの平手が、うっすらと青白い光をまとっている――。


「我が得意、『削寂さくじゃく』の他奮術……。今夜の私の集中と体力は、可愛い後輩のおかげで、このうえなく万全だ。自慢の『神衣』を剥がされ、この『後世楽のちのよのたのしみ』をその身に受け、存分にあがない尽くせ」

「背徳者が、偉そうにぃッ!!」


 刃を弾き合ったふたりの女大師は、燃え盛る炎に囲まれた舞台のうえ、ふたたびに間合いを空けた。

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