ふたりと大河 2

 の鐘が響く夜半、明良あきらの姿は、町に対して上流となる城喜しろき川のほとりにあった。

 少年の上半身は裸体。下穿きのみの姿。

 傍らには、木の棒が三本ほど寄り集められたが四組ほど。棒の一本一本には、狸の血がべっとりと塗られている。


「行こうか」


 夜の河面を眺めていた少年には背後から声がかけられたが、明良は表情を強張らせるのみで、相手に向き直らない。

 応じてくれない少年の視界に、少女が割り込んできた。


「何見てるの? 見回りでもいた?」

「……うっ。……い、いない」

「そう。なら、早く行こうよ」


 顔を逸らした明良は、一瞬だけ見えてしまった美名の姿を忘れようと努めた。

 たけの短い下穿きに、胸にはひとえ帯を巻きつけただけの姿。

 月光に浮いた白肌が、儚げで綺麗だった。


「ほら、明良」

 

 男子の気恥ずかしさなど知らず、工作物をふた組、手にとると、少女は河原へと下りていく。

 この危急の事態に何を恥じらっている場合か、と自らを叱咤しったした明良は、残りのふた組を持って少女のあとに従った。


「温かいけど、夜だとやっぱり寒そうね……」


 河辺から眺め、美名が呟く。

 

「水中で襟巻えりまきゆぎを認めたら、教えたとおりに」

「うん」

「……あ、それと……、だな」


 明良は背負い込んでいた「神代じんだい遺物いぶつ・合わせづつ」を外すと、その抜き口に下がっている根付ねつけ物を取り外した。

 美名が「神世かみよのお土産よ」と、少しだけ頬を赤らめて渡してくれた、かたどり人形。彼女が教えてくれたとおり、どこか、クミに通ずる面影を持つ、黒ネコの根付だった。


「これを……、『ヒコくん』だったか。その袋に入れておいてくれ。失くしたくないからな」

「そうね……。そうだね」


 美名は、背負っていた袋を下ろす。

 これも、美名が言うところ、「神世の思い出」の巾着きんちゃく袋であった。

 サリサリとした妙に滑らかな肌触りの布でできており、津絹つきぬへ向かう途上、雨に見舞われた際、彼女はこの袋の防水の効に気付いたのだという。

 美名と明良の衣服はこの中にしまってあり、袋口はきつく縛っていた。


「……美名の『ナコちゃん』はいいのか?」


 身を屈め、結びを解いている美名から目を背けつつ、明良は問う。


「うん。『ナコちゃん』は、久美くみさんがかなりきつく縛ってくれたからね。大丈夫だと思う」

「……失くしても知らんぞ」

「そのときは……。『ヒコくん』、返してもらおうかな」


 少女の無情な宣言に、少し呆然としてしまう少年。

 その姿に、ふふっと可笑しそうに微笑む美名。立ちあがり、袋を背負い、河面に向かう。

 気を持ち直すように首を振ると、明良は「行くぞ」とぶっきらぼうに言い放ち、先んじて大河へと入っていった。


 *


 夜の河。

 遠目には木切れが流れているように見える。

 よほどの警戒の念を持ち合わせていないかぎり、その流れ木をいぶかしむものはいないであろう。

 しかし、その水面下では、それぞれに刀を携えた少女と少年が、下流に向けて泳ぎ進んでいる。細縄で木切れ――工作物をき、潜水している。

 たびたび、彼女らは息継ぎのために顔を出すが、静かに、木切れの合間に顔を出すものだから、やはり目立ちにくい。


(やっぱり少し、冷えるわね……)


 静かに泡沫を吹き出しながら、美名は水中を見回す。

 月光明るく、水質は上々とはいえ、夜の水の中とあっては視界は劣悪。優れた美名の視覚であっても、手を伸ばした少し先が見える程度。

 ただ、自らのみが在る孤独。

 それでも、前を行く少年の影に、美名は頼もしさを感じるのだった。


(明良……。私は……)


 泳ぎ進みながら、物思いに入りかけていた矢先、少女の視界の端で何かがうごめいたようだった。

 黒い縄がうねるような動き――。


(来たわね。アヤカム……)

 

 襟巻えりまきゆぎ

 彼らには、朝も昼も夜もない。

 この河に自分たち以外の生物が入り込んできたとき、その臭いを嗅ぎつけたとき、それが彼らの活動の時である。

 絞めて、沈めて、吸う。

 本能に従い、アヤカムは少年少女に忍び寄る。

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