客人のネコと悪逆の去来大師 5
敵とみなすべきは、唯一、ニクリ
近づいてくる気配にいち早く気付き、「
クミは当然、戦力外である。タイバは大して重要視する相手ではない。彼は、少しでも危険を感じれば真っ先に逃げていく性根だ。こちらが「やる気」であることを少し見せてやれば、たいした労もなく追い払えよう。
問題とするのはロ・ニクリ、ただひとり。
彼女は、のちのちを考えれば、邪魔な存在になり得る。
最高にして最強の才覚。
当然、危険も伴う。だが、三人だけでやってきた様子、「物見に終始する」と話していた内容。推察するに、彼女らにはすぐに頼みにできる加勢はない。となれば、追跡されてしまったこの窮状は、のちのちの障害であるニクリを排除するのに逆に好機になりうるとみたのである。
では、いかにしてニクリを制するか。
真っ向からの魔名術勝負では敵いもしないだろう。
相手は、紛うことなき波導の至高。かたや自身は、ハ行
そこで彼が目をつけたのは、ニクリの、まだ少女であるがゆえの「精神の弱さ」。
わざわざ姿を現して語りかけ、自身との関係――過去に意図せずできた
そうなれば、ニクリは
シアラの目論見は、果たして、そのとおりとなった。
規格外の新たな波導術、「
だが、ニクリはそうしてこなかった。
至高の波導大師は、小手先だけの撃ち合いや「
情け心とやらか、事ここに至っても甘ったれている。
魔名の完成度を差し引いても――いや、だからこそ余計に際立って感じるのか、あまりに
そうしてニクリがまごまごしているうち、シアラは、「
魔名術さえ半減させれば、少女は
「ですが、そこにタイバ大師が現れましたね」
これは、シアラにとっては予想外の出来事であった。
一度「逃げ」を打ったからには戻ってくるなどといったことはない。自らの保身と損得しか考えられず、
だが、その目測は誤りだった。
突如として自らの周りに立ちふさがった
「まさか、ナ行
さすがのシアラも焦った。
壁には「
まさしく、「シアラのために作り出された堅固牢」。
タイバ大師は、ニクリの危機に慌てふためくこともなく、冷静に成り行きを見届け、絶好の機会に絶大の効果をあげるよう、
閉じ込められたシアラに出来るのは、考え得るかぎりの
魔名術や武器、剣撃、単独でできることのすべて――そのうちのひとつに、大剣を得手とするソウゲン派剣術があった。
「ソウゲン派」とは、シアラ自身はたいして興味がなかったものの、何かに役立つときがくるかもしれないと修めた剣闘流派である。十数年前、彼が修得した当時にはすでに廃れかけており、現実として、シアラが武門を出てから数年後、ひとり残った剣師が魔名返上に至り、断絶したものと聞く。
シアラは、実に数年ぶりにこの剣術を用いた。
得物とするのは、「
その業物も刀身の先を損壊させてしまった。長年の空白を埋め、感覚を取り戻すのにも疲労を重ねた。これらを代償とした末、辛くも脱出は
しかし、囲いを脱け出しても終わりではない。
脱け出した先には当然、ニクリとタイバがおり、彼らによる応戦が待っていた。
両大師の連携に、シアラも劣勢を強いられる。
ニクリの弱点――精神的な弱さは、
立ちはだかった絶妙の連携は、あまりに制しがたい。
あのまま「消耗戦」が続いていれば、タイバが言っていたとおり、シアラの旗色が転変することはなく、終焉となったことだろう。
だが、劣勢をしのぐあいだ、シアラはふたつのことに気が付いた。
まずひとつは、タイバがなにかコソコソと仕掛けていることである。
数年ぶりに頼ったとはいえ、シアラは剣術を修めた者。得物の取り回しが微妙に変化していくこと、ふとした拍子に看破することができた。それと同時に、相手の目的をも察した。
タイバが「消耗戦」などとわざわざ口にしたのは罠である。彼は、本心のところでは、早期の決着を目論んだ。刀にかけられていく識者術は、そのための仕込みであろう。
そして、気が付いたもうひとつは、ニクリの正確さである。
タイバとの間合いが開いた際、少女が放ってくる雷撃は、いずれも急所を狙ったものである。頭や心臓。片手であっても精度の高い一矢。老大師から
「そこで私は、彼らの望むものを与えることにしたのです。代わりとして、最大の油断を招くために」
「油断……?」
「野山のアヤカムを仕留めるのにもっとも的確な瞬間はいつだか、ご存知ですか?」
「……」
「それは、彼らが狩りを終えた瞬間です。獲物を仕留め、さあ、これで食べる物が手に入ったと気を抜いた瞬間……。その瞬間こそ、アヤカムのみならず、すべての生き物に共通する絶命危機の時間です」
シアラは、誘いに乗り、決着を装うことにした。
タイバの
そして、彼が「頭」を狙うなら、ニクリは別の急所――「胸」を攻めてくる。必ずや、心臓を正確に射抜いてくるはずだ。
手落ちが許されないのは、こちら。
タイバとて自らの非力は自覚しているだろうから、「ニクリがとどめを刺す」と考えるだろう。しかと
果たして、シアラの予想は的中した。
誘いに乗って「玉世喜」を手放すふりをすると、タイバの殴打は頭を叩き、ニクリの雷は胸を貫いていった。
だが、どちらも必殺には至らず。
来ると判っていた頭部はサ行
タイバの目論見は、不発となったのだ。
それは同時に、シアラにとっての好機となる――。
「私を仕留めたと油断したタイバさんにやり返したのは、まさに『奥の手』と呼んでいいものでしょう……。彼の思惑の
クミは、知らぬ間に謀略者の後ろ姿が変わっていることに気付き、息を呑んだ。
左の手首から「何か」が生えている。
鎌のように不気味な弧を描く「何か」。まさに、あのとき見た姿そのものである。手首から先、およそ人体とは思えぬ異形が、まさに「生えている」のだ。
だが、あのときとは違い、今は位置が近いから、その正体が何であるか、クミは見て取ることができた。
異様に曲がった輪郭。
シアラの手首から伸びるそれは、「神代遺物・三ツ目」の刀身――。
「ハ行去来を介し、私の左手とこの刀とを繋げたのです。あとは、私から得物を奪いきったものと油断したタイバさんへ思惑外からの攻撃……。元よりないものと決めつけ、警戒さえしてなかった左手から、斬撃を加えました。『真の混沌は見えざるところに
「そ、そんな……。タイバ大師……」
「残るはニクリさんでしたが、彼女はまだ少しばかり厄介でした。威力が落ちたとは言え、速さ、殺傷力、正確さ……。どれをとっても侮れない魔名術は健在。そして、『ラ行波導の遮り』。去来術者にとって、近づくことさえ難しい壁です」
これらを瓦解させるため、シアラはふたたび、少女の精神を揺さぶった。ニクリの魔名が乱れることを狙い、動揺を誘った。
それは、あまりに残酷で非情な
「だから……、リィに撃たせたの? タイバ大師を……、リィが勘違いして撃つよう仕向けて、それで……」
「そのとおりです。かの偉大なナ行大師は、波導大師の集中を切らすのにおおいに役立ってくれました」
奸計に利用されたタイバ。
「何処か」で瞬時に移された彼の身体は、雷撃に貫かれた。ほかならぬニクリの手によって――。
「やはり非凡の才。数瞬前には受け入れがたい光景を見ていたはずが、最後の最後も正確。見事に胸を射抜いていましたね」
「ヒドい……。なんて……、なんてヒドい……」
左手を元の
少女の腕のなかで、ネコは、さめざめと泣いていた。
「タイバ大師は……、それなら、タイバ大師は……?」
「ええ。死にましたよ」
無情の宣告に、クミはついに
「そんな……、そんなのって……。タイバ大師も……、リィも! リィも……うぅ……」
クミが気に掛けていたタイバの存命。
無論、あの一連を目撃していたクミ自身、無事とは思っていなかった。斬り抜かれたのも、そのあとのニクリの件も、傍目から見てもただならぬ被害なのは明白である。
それでもどこか――心のどこかで、「あの
だが、あらためて断言された「タイバの死亡」。
その最期をニクリが与えたという事実。
冷淡に告げられた結末に、クミがやっとのところで
大好きなふたりへの
自らの無力に対する悔しさと情けなさ。
そして、身体が自然に震えてくるほどの激しい怒り――。
「アンタ……、ホントにニンゲンなの? おんなじニンゲンなの?! なんでそんなヒドいコトできるの?! それで、なんでそんなに平気な顔してられんのッ?!」
涙ながらにクミが
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