荒ら家への来訪者と少年の一閃 4

カカカカカカン!


 金物かなものがぶつかりあったような連続音が木立こだちに響いた。

 明良の剣突きは、幾度いくたびにも渡って動力どうりきの大師の「磊盾らいじゅん」を襲っていったのだ。

 だが――。


「……クッ!」

「ホレ、どうした。針ほどの穴も開いとらんぞ」

「……うるさい!」


 まさしく、ギアガン大師の冷やかしの通りである。

 土の盾は黒々として、変わらずに滑らかな平面を保っていた。


(……「いくらか固い」どころじゃない。昨日の土壁とは段違いだ!)


 大師はふたたび岩石に腰を下ろすと、ふふん、と誇らしげに鼻息を吹かせた。


「『石動いするぎ』は単に土を操る魔名術ではないぞ? 時には土中の湿気りを利用して氷土ひょうどが如く堅固に。時には乾土かんどに変えて不可避の熱砂ねっさあらしを見舞う。『居坂いさかの動かし手』たる『動力』の真骨頂、複合の術が我の『石動』だ。そして、今朝方までの雨による水気は我の『磊盾』の真価を引き出す。そう易々とは砕けんわ」


 動力術者の筆頭の言葉には何も返さず、明良は三歩ほど下がって腰を落とし、ふたたび「幾旅金いくたびのかね」を構える。


「お? まだやる気か?」

幾旅いくたびの……つきィッ!」


 今度は自身の体重も乗せての突きである。

 だがこれも、土の盾に穴を穿うがつことはできない。

 代わりに、突進したがために、跳ね返しの反動でよろめいてしまう黒髪の少年。


「……ガァッハァ! 諦めろ、諦めろ! 明良、諦めろ!」


 髭を震わせながら笑う動力の大師は、もう一度、「明良、諦めろ」と言うと、その笑いをさらに大きくした。どうやら、自らの言葉――「アキラ、メロ」が可笑しくなった様子である。


悪辣あくらつな上に低俗、我が師ながらの恥辱ちじょく……」


 ため息とともに、動力大師の弟子、ヒミがふと、土の盾の横に並び立った。

 彼女は明良に目をくれながら、「磊盾」に白んだ手を添える。


「……明良様。僭越せんえつながら、私の見立てでは、貴殿の力量はこの盾を僅少きんしょうながらに上回っております。ああは仰っておりますが、この『盾』は本来の『磊盾』ではございません。明良様用に調整されております。悪辣、低俗、磊落らいらくな我が師ですが、つことかなわぬ試練を課すことはない寛容さも、私は存じております」

「ヒミ!」


 総髪のヒミは薄く柔らかな笑みを背後の大師に向けたあと、その笑顔のままに明良に向き直った。

 躍起になっている自分がどこか恥ずかしく感じられて、黒髪の少年は少しだけ顔を逸らす。

 

「……調整されてなおこれか。見下げられるのも当然だな……」

「そうではありません」


 ヒミは土壁に添えている手とは逆の手を横にかざし、「カ行・氷盾ひょうじゅん」と詠唱する。

 すると、その平手の側に、土の盾とまったく同じ高さ、まったく同じ厚さの氷の板壁が現れた。


「……御師の謎かけのような言葉では判じきれないでしょう。不肖ふしょうな私が、魔名術の『ひとつめの壁』を突破した際の秘訣を言上ごんじょう致します」


 不肖な弟子が、またもやチラリと目を配せたが、壁の向こうで胡坐あぐらをかき、頬杖までつきはじめた動力の師は、荒々しく鼻息を鳴らしながらそっぽを向いているだけである。

 ヒミは明良に顔を戻す。


「私は、我が師の姿、魔名の響かせを模倣しました」

「……模倣?」


 「はい」と動力の子弟は頷く。


「師の言葉運び、平手の流し、呼吸の機、瞳の動作……。御師の詠唱の姿を幾通りも目に刻み、それにならいました。その姿に私を近づけるよう、努めました。この氷の盾も、御師の倣い」

「模倣では……それでは意味が……」


 「あります」とヒミは言い切った。


「すでに誰かがならした道があるのなら、目的の地に至るにはその道を行くのが最短です。そしてそれは、何ら恥じることではない。その道を歩いたのは、自らの足であることには変わりないのですから」


 言葉遣いは仰々ぎょうぎょうしいが、案外に柔軟な思考でしたたかな者であると、明良は目の前の麗人れいじんを見直した。そして、自身の固執した考え方にも、明良は自覚がいく。


「思い浮かべてください。明良様の剣の師でも。兄弟子でも。明良様が倣いたいと思う方の姿を。そして、その姿を自らの物とするのです。それが『呼吸』を会得する最短経路となります」

「俺の剣には……」


 「師などいない」と言いかけて、明良は幻を見た。

 果てがなく伸びる一本道の、ほんの少し先にいて笑いかけてくる銀髪の少女の姿を。

 鈍重そうな刀剣のただひと振りに、全霊を注ぐ美名の姿を。


(……俺の「兄弟子」か)


 自嘲気味に明良はふっと笑うと、「幾旅金いくたびのかね」の柄に両手をかけ、上段に構えた。


(アイツの後ろのままでいる気はないぞ……)


 明良の気力が充たされていく。

 心髄を発した血流が、「幾旅金」の白光はっこうにも通っていく。

 明良はこの瞬間、刃の切先に触れる風の流れを感じ得た。

 

「……幾旅いくたびのの……たちッ!」


 喊声かんせいを上げ、明良は刀を振り下ろす。

 鋭い剣閃が発し、「磊盾らいじゅん」の壁を襲い行く。


カァン!


 甲高い音が鳴った。

 暗色の盾は左右に分かたれた。

 明良は、動力の大師の試練を破ったのだ。

 盾の裂け目から覗くは、嬉々として口の端を吊り上げる、大師――コ・ギアガン。

 堪えきれないといった様子で「かっは」と口を開けると、あとは喝采のような彼の笑いが響いた。


「……明良を連れ出す所以ゆえんを作り損なったでないか! ヒミがガラにもなく弄言ろうげんを尽くすからだぞ!」

「……めない御師にも責があります」


 高笑いのままに立ち上がると、動力の大師は「行くぞ!」と弟子に大声を張った。そうして、林の木立へと歩みを進めていく。

 言われた弟子も、師の後に従っていく。


「明良! 我らは、希畔きはんの町をへだて、この荒ら家の向かい側にある小さな洞穴にしばらくおる。いつでも訪ねてこい!」

「……行くわけないだろう」


 ギアガン大師は明良に振り返ると、指差してニヤリとした。


「来るわ。今、乗り越えた壁に続くは、より高く、より多くの壁だ。小僧が教えを乞いに来る姿が、我には予見できるわ」

「……勝手に言っておけ」


 そうして、高笑いを響かせる大師と沈鬱に戻った弟子とは、林の木々の中に消えて行った。


(訳のわからない一派だ……。とりあえず……)


 明良はふぅ、と息を吐くと、ふたたびに「幾旅金」を構える。

 向かうは、今やふたつに分れた土壁と、丸々と残った氷壁。


「いい的を残していってくれた。……感触を忘れる前に、あの一閃いっせんをモノにしてやる」


 明良が「幾旅の裁」を完全にわが物とする頃には、夕闇が辺りに落ちてきていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る