目つきの悪い少年と冷息吹の洞蜥蜴 9

オォウォオン


 耳をつんざく、うろ蜥蜴とかげの絶叫。

 「くぼみ」から刀を引き抜き、洞蜥蜴の頭部の高さから落下しながら、少年はその轟音に顔をしかめる。


(俺の手に伝わった感触! この叫び! 「幾旅いくたびつき」が「逆鱗げきりん」を通して、内部からあの「コブ」に達した手応えは……ある!)


 着地した少年は、すかさず洞蜥蜴を睨み上げる。


(……だが!)


 少年の実感に反し、その巨大なアヤカムに倒れ伏せるなどといった様子は見られない。

 「れい息吹いぶき」の乱発はなくなったものの、長い首と尾を振りまわす狂乱が激しくなっただけで、特別、活動に支障を来たした様子はないのだ。

 ただ、一点だけ、洞蜥蜴にはがあった。


(な、なんだ? あのデカい頭は?)


 洞蜥蜴の頭部。

 平たい鎌首に、なぜ重みで地に着かないのかと不思議になるほど「巨大」な膨らみがあった。その膨らみだけでも、これまでの洞蜥蜴の全高の、悠に半分――ヒトふたり分以上はありそうな大きさである。


「アレが接している、頭のあの位置は……『コブ』だったはず……。あの巨大なのは……『コブが大きくなったもの』なのかッ?!」

「今よ! 美名ぁッ!」


 少年の背後で、小さな黒毛のアヤカムの声が振り絞られた。

 直後、少年の頭上を、寝間着姿の銀髪の少女が、得物を携え跳び越えて行く――。


「クミをお願いッ!」

「……ッ!」


 少年の顔面に、黒毛のアヤカムが飛び込んでくる。


「私はドッジボールじゃないよ!」


 少年の顔に張り付いたクミは、そそくさと肩の上にふたたび身を移すと、そう叫んだ。

 そのクミの声に後押しされるように、美名は足を踏み切る。真っ直ぐに跳び向かうは――「巨大化したコブ」。


(一気に皮膚が膨らんだせいか、ッ!)


 深紅の瞳で捉えるのは、鱗の覆いがまばらになった、洞蜥蜴の薄桃色の皮膚。

 空中を飛びあがりながら美名は、「かさがたな」のを両の手で握り直し、刀剣を振り上げた。

 それに呼応するように、洞蜥蜴の鎌首が美名に向けられる。


「マズいぞッ! 『れい息吹いぶき』が来る!」

「大丈夫! たぶん、大丈夫! ここで『息吹』が吐き出せるようなら、だから!」


 クミが推察する通り、銀髪の美名に「冷息吹」が浴びせられることはなかった。

 迫る美名に正対した、洞蜥蜴の頭部の先端。

 白い鱗の隙間に、小さな――だが、深淵のように底知れぬあながあるのを、美名の瞳は見て取った。

 その孔からのかすれるような音を、美名の耳は聴き取った。

 そして確信する。

 あの孔こそが、「絶息ぜっそくの冷息吹」の噴出ふんしゅつこうであると――。


(あんな小さい孔からの「息吹」が、何人ものヒトをッ!)


 美名はその孔を踏みつけるようにして片足を乗せると、力強く蹴りつけ、さらに高く跳んだ。

 「絶息の冷息吹」が止み、穏やかさを取り戻しつつある夜空。

 小柄な少女の、刀剣を捧げ持つ陰影がその夜空に浮かぶ。

 両刃もろはの刀身と銀色の髪を、両月ふたつきの光に煌めかせて。


不全ふぜん裁断さいだぁんッ!」


カァンッ!


 鐘の音のような、甲高い音が周囲に響き渡った。


「た、た……、ち切ったわ!!」


 小さなクミが感激した通り、振り下ろされた「かさがたな」は洞蜥蜴の「コブ」の表皮、鱗の合間の皮膚を裂くように「ち切っていた」。

 斬撃の刹那には、地上の少年とクミの目には剣閃を境にして、視界がズレたように見えたのだが――。


バァン!


 そのことに疑問を抱く間もなく、突然の爆音と突風が起こった。


「うぉぉッ?!」

「きゃぁ!」


 突風が、地上のふたりを襲う。

 不意を衝かれた少年は、雪の上を転び飛ばされる。クミも空中に投げ出されてしまった。

 だが、その突風も一時のものだったようで、何度か転げ回ったのちに、少年は見事な身のこなしで体勢を整えた。

 ちょうど近くに落ちてきたクミを抱き止めると、洞蜥蜴にふたたび目を向ける。


「やったのか……?」


 洞蜥蜴の巨体は、完全に沈黙していた。

 長い尾と長い首は地に落ち、胴体と合わせて一直線に伸びきった様は、巨木がり倒されたようでもある。

 なにより、首の先端の頭部が丸ごとことが、洞蜥蜴という生命の断絶を如実に物語っていた。


「やったぞ……。やった……! 洞蜥蜴を……倒した……!」

「……美名は? 美名は無事なのッ?!」


 クミの当惑の声に我を取り戻した少年は、辺りを見回す。

 ほどなくして、雪の中に自身を主張するようにして突き立つ「嵩ね刀」の刀身が目に留まった。

 刀に駆け寄ってふたりは、そのすぐそば、銀髪の少女が仰向けに倒れているのを見つける。


「美名!」


 彼女はクミの声に応じない。

 少年が身を屈め、美名の身体を検めはじめたのを見て取ると、クミは彼の肩の上から地面に降り立った。


(もう、息苦しくないみたいね……)


「……美名? ねえ、美名?」

「……大丈夫だ。そこらじゅうに傷や軽い凍傷はあるが、気を失っているだけのようだ」


 少年の言葉に、クミは安堵の息を吐く。

 穏やかな夜空の下、たくさんの死を内包しているこの白銀の景色の上で、彼女の大切な友人が無事なことに、クミは涙した。

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