瞼映の魔名術と大都王宮の警護隊長 1

「整列」


 黒髪の少年が入室してくるなり発した号令に、十八人の近衛このえは隊列を整える。

 縦三、横六の並び。横の三人でひとつの組みとなる。巡回中の者も合わせれば、王宮警護隊の総勢は二十八名。待機室内の隊員は男や女、年頃もさまざまであるが、前に立ち、背に得物を抱え、後ろ手を組む少年がもっとも若い。


「……交替時刻と配置は以上。先日の暴徒襲撃から、昨日の今日だ。も出るかもしれん。みんな、気を引き締めて任にあたってくれ」

「はいっ!」


 隊員らは上役うわやくの訓示に威勢よく、声を揃えて応じると、指定された組ごと、めいめいに室を出て行く。


「アナガ」


 呼び止められた男は足を止め、「はい」と振り返る。


「どうかされましたか、明良あきら隊長」

「……何度も言ってるが、その『隊長』というのは止めてくれないか。俺たちは、隊が出来る前からの付き合いだろうに」

「そうもいきませんよ。都民とみんの目……、いや、耳か。都民の耳もありますし。示威しいができません」


 顔をしかめ、「都民など来やしないだろうに」などとぶつくさ言う少年隊長。

 室から他の者らが完全に出て行き、ふたりだけとなったのがきっかけだったのか、少年はおもむろに、なにやら紙片を取り出した。


「今日ですね?」

「……今日もだ。すまない」


 肩をすくめてにやけた顔を作ると、アナガは慣れた様子で相手に平手をかざし、「マ行・瞼映まぶたうつし」と詠唱した。

 瞑目めいもくした明良は幻燈げんとう術の光を堪能するかのよう、しばらくのを置くと、ゆっくりと目を開いていく。それから、手元の紙片を注視した。


 「マ行・瞼映まぶたうつし」。

 マ行幻燈術の初歩のひとつで、「術がけした相手の心に光景を刻む」ことができる魔名術である。

 個人差はあるが、見たままの景色をそのままではっきり、長年に渡って記憶することはヒトには不可能に近い。だが、この「瞼映」の術はそれを可能とする。

 術がけ直後に見たモノ、ヒト、景色が心に刻まれ、時を経ようと、場所が違おうと、瞼を閉じればすぐ、その時、その場にいるかのよう、鮮明に思い起こすことが可能となるのだ。比較的容易な幻燈術であり、覚えたてでも効果が長いためか、景勝地にはこの術を供して駄賃をもらうマ行の子どもがいるほど、居坂いさかでは重宝されて身近な幻燈術である。

 さて、なぜ少年がこの「瞼映」の術をアナガに求めたのかというと――。


「明良さんの『よきヒト』もマメですね。毎日かかさず、ふみをくれるんですから」

「……」

「明良さんも、返事はマメにしてない様子なのに、『消えてしまうから留めておきたい』だなんてではありますけどね」


 相手に応じないまま、明良はふぅと息をつくと、眉間に指をあて、ふたたびに目を閉じる。

 頭痛に悩むかのような姿だが、アナガはすでに承知している。彼のこの体勢は、「味わっている」のだ。「よきヒトからの文」を心に刻んだあと、彼は決まってこのように目を閉じ、紙片の内容なかみをしっかりと覚えられたか、鮮明に見返すことができるか、反芻はんすうして確かめているのだ。

 そうこうしているうちに、彼の手元の紙片では記されていた文の内容が不思議と消えていく――。


 この紙片は「神代じんだい遺物いぶつ相双紙そうぞうし」である。

 大都に身を置いた明良は、この遺物を用いて、福城の魔名教会教主、二色髪の少女との連絡を続けていた。この遺物の「対となっている紙片に同様の文字を浮かび上がらせる」性質を利用し、距離を隔てたふたりへ大都の様子を伝達しているのだ。

 そして、この遺物の性質には特徴がある。それは、「誰かがその内容を確認次第、文字が消えていく」というものだった。

 

 はじめの頃、明良は遺物のこの性質を特段には気にしていなかった。毎日欠かさず寄越してくれる美名からの手紙を、遺物が光ればすぐに読んで、相手のことをあれこれと考えていたものだった。

 だが次第に、毎夜の文通がただの一度読んだだけで消えてしまうこと、明良には惜しくなっていた。手元に残したい。そう考えるようになった。

 とはいえ、先の性質があるものだから、読んでしまうと相双紙の文字は消えてしまう。自分で筆写するのも違う。相手の筆の運び。クセ。行間。それらをそのまま、留めて残したかった。


 文通相手には素直に打ち明けられないまま、明良がとった苦慮の策が「幻燈術で記憶に残す」ことだった。

 王宮殿内で顔を合わすことが度々あった青年、ミ・アナガを捕まえると、少年は頼み込んだ。「幻燈術で協力してもらいたい」。そう言って頭を下げた。

 アナガは快く承諾したが、彼の誤算はそれが連日に及ぶものだったということ。安請け合いの結果、アナガは初日以降ずっと、家にいても、勤仕にあっても、訪れてくる少年に対し、幻燈術を施してやる羽目となったのだ。


「毎日、平手を光らせるこちらの身にもなってください。別に給金、もらってもいいですか?」

「……提言はしてみよう」


 軽口を叩く同僚ではあるが、その前の晩に届いた文を読まずに堪えた毎度の朝、自らの前で文面に初めて目を通した少年の姿。押し隠そうとしているようだが、隠しきれていない口元の緩み。

 ひとまわりは年下の上役と、顔も魔名も知らない彼の相手。ふたりのことを、アナガは微笑ましく思っていた。

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