少女の髪と楚々とした教主 4

「美名、その髪……。俺にくれないか?」


 主塔に向かう一行、会話の中で、明良あきらは脈絡もなく言った。


「髪って……、私の?」


 魔名教会区の敷地内、無闇に散り捨てることもできず、美名は自ら断った髪を握ったままでいた。


「そう、その……、お前の誠心せいしんの証を……、持っていたいんだ」

「……いいけど……」


 美名は明良に、銀糸ぎんしのようにきらめく髪を渡す。

 彼はそれをうやうやしい顔つきでまとめ上げると、自分の懐中かいちゅうに収めた。

 ふたりの様子を見咎めたのはもちろん、先を行くクミである。


「お熱いねぇ、お熱いコトねえ……」

「……うるさいぞ、クミ」

「再会してからちょっと、ヒートアップしすぎじゃないかねぇ。おばちゃんは心配になるくらいよ」


 守衛手司ニクラが聴いているであろう手前、クミは軽口を叩いている――と限った訳でもない。彼女には元より揶揄やゆする性分もある。


「自戒のためだ……」


 美名は、そう言う明良の瞳にたぎるような情念を見て取る。

 きっと明良は、今回のことを口惜くちおしく考えている。自分の手落ちだと、自責している。そうして、挽回ばんかいを図ろうと気を持ち直し、滾らせているのだ。


「……あんまり、無理しないでね」


 美名はただ、少年に微笑みかける。


 *


「あの塔が主塔になります」


 「十角宮じっかっきゅう」の回廊を横切るように行くと、一同は宮の中庭に出た。

 高い天井に、窓から差し込む陽光、輝くしろ軽石かるいしの床と壁――。静謐せいひつで神々しさ満ちていた回廊とは違って、中庭では一面に緑と花々の鮮やかな色が拡がっていた。

 そして、その中央では孤高にそびえ立つ、「居坂の頂点」の塔――。


「……高いのは珍しくもない、とは言いましたけど、近くで見るとやっぱり、スペシャル感あってスゴいですね……」

「意外と……、守衛手もいないんですね……」


 庭園内を見渡すようにつぶやく美名。

 宮の白壁に囲まれた中庭、白い外套衣の者はそこかしこに見受けられるが、教会区に入る大門や「十角宮」の入り口で見かけた、いかにも「守衛手」の姿は見当たらない。

 クメン師は三人を見渡して微笑む。


「あの塔は特別なのです」

「特別……?」

「はい。行きましょう」


 主塔を目前にして名づけ師に従っている最中、美名はまたも例の異音いおんを聴いたので、明良をチラと見やった。


(……この庭の中にはもちろん、ニクラはいない。少しの気配も感じないほど遠くのはずなのに、私たちの会話も聴いてるし、的確に、明良にだけ何をかを言ってきてる……)


 美名は、「段」について、少しばかり思い違いをしていたと、今回の件で身に染みた。

 これまでは、「王段の魔名術」を考えたとき、盛大で、豪奢ごうしゃなものを想像してしまっていた。三大妖さんたいよううろ蜥蜴とかげという大物の「タ行使役しえき」や、ヘヤで出くわした「カ行動力どうりき」――霧中むちゅうでの火球の雨のような大技を、どうしても思い浮かべてしまう。ただ、、とどこかで考えてしまっていた。

 だが、ニクラの「王段」は違う。

 気配も感じさせない遠方から標的の会話を盗み聴き、一方的に明良に脅しかける魔名術。密やかで、精確で、狡猾の魔名術。モモノ大師の「マ行幻燈げんとう」で自分が救われたのとは反対に、他者を従属させようとする、暴虐ぼうぎゃくの「ラ行波導はどう」――。

 あらためて思い起こされるは、先生の言葉。

 「どんなに腕に自信がついても、『王段』は敵に回すな」――。


「開けっぱなしじゃないですかぁ! 居坂のトップがいるんですよね? 防犯的にいいのぉ、コレ?」


 背が凍るような想いの美名の前で、クミが呆れたような声を出した。

 今や一行は、主塔のたもと、材質は不明だが、白軽石よりもさらに白が強く、さらに堅固そうな石造りの壁の前に辿り着いている。

 クミは、その壁にポッカリと、半円状に開いた入り口の前で、その場の無警戒さに驚いたのだ。

 主塔の門前にはやはり、誰もいない。それどころか、門扉もんぴの遮りさえない。


「いいのです。通ってみてください、クミさん」

「んでは、お言葉に甘えて……、おばんです~」


 「おばんです」。

 クミがある村で言っていたので、美名は「それは何?」と訊いたことがある。そのとき彼女が説明してくれたのは、「夕方以降の挨拶」で、「『神世かみよ』の言葉というよりは方言かな?」とのこと。事実、その言葉がクミの口から発せられたのも、宿泊して二日目で気安くなった家人かじん相手に、夕方に、であった。

 しかし、今はまだ昼下がり程度の時刻である。聴いているであろうニクラに向けての当てつけか、単なるおどけか、クミの言葉に気を張っていた美名も笑みを零したときだった――。


バチン


「……あぁッ?! イタイッ!」


 火花のようなものが走り、クミは入り口より弾き出された。


「クミ!」

「えぇ?! クミ、ダイジョブ?!」

「イタ、いた……く……ない?」


 苦笑いを浮かべながらも、クメン師は恐縮したように「すみません」とネコに謝る。


「騙したようになってしまって……。この入り口は、『何者よりも堅実な守り手』なのです」

「『何者よりも堅実な守り手』……?」

「まさか……、神代じんだい遺物いぶつか?」


 明良の問いに、名づけ師は頷きを返す。


「この入り口には、『わか』と呼ばれる遺物が埋め込まれているのです」

「やはり……」


 首を傾げる美名とクミに、名づけ師は「分つ環」の簡単な説明をくれた。

 『神代遺物・分つ環』――。

 この「分つ環」は、存在が確認されている遺物の中でも最大である。その名の通りに本来は輪状で、全長は悠にヒト四人分ほど。何で出来ているのかは不明だが――もっともこれは、遺物全般に言える――、「分つ環」の「環」の部分は握り込める太さだという。

 「かさがたな」や「幾旅金いくたびのかね」のように、形状からして明確な遺物とは違い、この遺物の本来の用途は不明である。だが、その特質を利用して、発見からの数百年の間、この遺物はこの地、この主塔のとして、半分は地面に、もう半分は壁に埋め込ませ、設置され続けている。

 その特質とは、『持ち手が許可する物、ヒトのみ、環の中を通すことができ』、『それ以外は、何者であろうと、どんな物質であろうと、弾き返す』――。


「なるほど……。魔名術でもないから、私は弾かれたのか……」

「衝撃はありますが、実害はありませんよ」


 クメン師以外の三人は、少しの間、黙り込む。

 三人が三人とも考えたことは、「これなら、自分たちが入ったあと、ニクラが主塔に侵入してくることはなさそうだ」ということである。

 単に守衛手が立っているだけであれば、守衛手司であるニクラには、入り口を通るのに造作もないであろう。だが、この「遺物」であればそれを防げる――。


「でも……『持ち手の許可』って、どうするんです……? どなたが私たちに、入塔にゅうとうの許可をくださるのですか?」


 美名の問いに、クメン師はたおやかな笑顔を浮かべる。


「……『分つ環』の許可をくださるのは当然、この主塔のあるじ様です……」


 そこで、美名は気が付いた。

 カツン、カツンと石を叩くような音が耳に届いている。

 それは、「分つ環」を隔てた主塔の内部から、次第に近づくようにして聴こえてくる。クミも明良も、まもなくその音に気が付き、半円の入り口に注目する。

 やがて音は止み、入り口の奥から人影が姿を見せた――。


「この方が魔名教の当代教主……、フクシロ様でございます」


 美名とクミと明良と、三人ともがその姿に目を奪われる。

 上下とも白絹であろうか、丈が七分ほどのひとえ羽織ばおりに、足元までの長さの。どちらも身体を動かすには不向きで、今では古式ばった場でしか着られない、珍しい型の着物である。

 その優美な衣を悠然と着こなすは、艶がありつつも、消えゆく光のような金の直毛を持つ。額の生え際中央から分けられ、腰の辺りまで伸びるその美麗な髪は、終端において少しだけ跳ねるように外向いている。

 美名と明良と、さして変わらなさそうな年頃。

 細い眉に高い鼻梁びりょう

 色白の目尻めじりぎわには測ったように左右同じ位置、ぽつりとすみを落としたような黒子ほくろがあり、これが彼女のはかなげなさまを強調する。

 薄紅を引いているのか、元からなのか、その少女は淡く色づく唇をゆっくりと開いた――。


「……ようこそ、ともがらの方々。このような格好……、無粋なお迎えを、失礼いたします。今、この隔たりを解きます」


 少女の楚々そそとした佇まい、口ぶり――。

 三人とも、このときばかりはニクラの存在を忘れ、魔名教教主の可憐な姿に知らず、ため息を吐いたのだった。

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