夢乃橋事変の少女とネコ 5

「容赦しろ、じゃと……? あの深紅しんく更紗さらさ、職人の手作りで高いんじゃぞ! 」

「……失礼を重ねますが、大師様にはそれよりも高価な物をこの場でお支払いいただきたい」

「……高価な物じゃとぉ?」

 

 コ・グンカの言葉に、片眉をひそめたタイバは彼をめつける。


「ギアガンの弟子風情が、儂に何を払わせる気じゃ……?」

「当然……、大師様の魔名です」


 グンカは両の手をかざし上げると、「焔雨ほむらあめ」と唱える。

 動力どうりきの魔名術は夜空を埋め尽くすほどの火球を生み、間を置かず、タイバ大師に向けて落ちゆく――。


「んむぅッ?!」


 タイバは炎の集中豪雨に呑まれた。

 宵闇よいやみの暗さを煌々こうこうとして否定する火の雨に、クミは見惚れつつ、思う。


(この術……、やっぱり、あの時の! いえ……、むしろ、炎の数も、ひとつひとつの勢いも……、素人目にも、あの時とは段違いだわ……)


「……クミ様」

「?!」


 気づくと、飛翔でもしてきたのか、グンカの姿はクミのすぐ傍にあった。

 細目でにらみ下げるような視線と、推測ではあるが、彼に過去、ヘヤで襲われたということもあって、クミは「うっ」とうなって後退あとずさってしまう。


「……美名のお嬢様は? ご無事ですか?」

「あ、え……。美名……ですか? そこに……埋まってますけど……」


 クミは前肢まえあしで後方を示した。

 美名は今や、身体の全てが橋にしまっており、見えるのはモゾモゾともがく二色にしきがみの頭頂のみ。


「……クミ、無事だよね?! 全然状況が判んない!」

「……カ行・浮揚ふよう


 動力の平手が向けられると、美名の頭がせり上がってくる。続けて、胴体、下半身――ついには、美名の身体は全貌を現わして、


「え? え?」

「美名!」


 本人は困惑しているが、彼女の身体はゆっくりと動いてきて、クミとグンカのかたわら、床に着く。

 美名は未だ困惑してるようで、自分を見下ろし、クミを見、見知らぬ男を窺い、炎の雨が降り注ぐ様に目を遣る。

 そうしてふたたび、美名は男を仰ぎ見た。


「……あ、あなた様は……?」

「……私はコ・グンカと申します。モモ大師様の命で様子を窺いにきたところ、大橋が攻勢を受けていたようだったので助太刀に入りました」


 手の甲を向けてくる動力どうりきの男に、美名も応えて「・美名です」と名乗る。


「あの……、ありがとうございました……」

「礼を頂くにはまだ早いです」


 言って、グンカは後方に顔を向ける。

 彼が見つめるは、火球の雨が集中する欄干らんかん上。識者しきしゃの大師が立っていた、美名と明良の思い出の場所。


「まさか……、あれだけの炎を浴びても、ジジイはまだ……?」


 クミの驚きに、グンカは頷く。


「……不甲斐なくて申し訳も立ちませんが、今日は『浮揚ふよう』を唱え続けだったもので、あの『焔雨』は十全じゅうぜんではありません。それに、十全であったとしても、相手はタイバ大師なのですから、髪の毛ひとつ焦がせてはいないでしょう」

「あのジジイがハゲだから、って意味じゃあないわよね……」


 グンカの言う通りのようである。

 炎が降り注ぐ中、垣間見える小柄な影は、健在で立っている様子である。その周囲を縦横じゅうおう無尽むじんに巡る、細長い影も見える。


「杖でなにか……、してるわね。アレ」

「『ナ行識者』は概して戦闘向きではありませんが、タイバ大師ほどの熟達になれば一筋縄ではいきません……」


 美名とクミに向き直るグンカ。


「美名お嬢様……。今のうちに撤退しましょう」

「?! 撤退……ですか…‥?」


 「はい」と総髪そうはつの青年は頷く。


「見れば、相手はタイバ大師ひとりの様子。この橋を陥落しきるのは、彼であっても多少時間がかかるでしょう」

「……」

「その間にいったん下がり、すぐに戻ってきましょう。主塔にはがいます。であれば……」

「……でも……」


 言い淀む美名に、クミが歩み寄る。


「美名……。悔しいけど、思い出の場所だけど……、身の安全には代えられないよ」


 少女はネコを見つめ、橋を見渡し、少しすると、小さく首を振った。自らに何をか言い聞かせているようだった。

 そうして小さく、「うん」と答える。


「判った……。撤退……しましょう」


 美名が顔を上げ、グンカに頷いてみせた時だった。


「撤退なんぞ、させるものか」

「ッ?!」


 老大師、ノ・タイバの静謐せいひつな声。

 それは、離れて炎上する欄干からではなく、非常に近いところから発せられていた。

 狼狽ろうばいする一同の足元――。

 美名たちが行動を起こす間もなく、筋張った平手が石床から突き出てきて、グンカの外套衣のすそを掴んだ。


「……ナ行・重化じゅうか

「うっ?!」


 グンカはがくんと体勢を崩す。まるで、何かにし掛かられてでもいるように、膝を折り、身を硬直させ、震えている。


純覆すみふくが……重い……ッ! 識者術かッ!」

「グンカ様ッ?!」

「挑発するだけ挑発してトンズラとは……。ギアガンは弟子に、そんな詭計きけいを教えとるのか? ン?」


 石床から生え育つように、腕がスルスルと昇ってくる。先ほどの美名と同様、今度は老大師タイバが石造りの床からその身を現わしていく――。


「……儂を怒らせておいて、無料ただで帰れると思うんじゃあないぞ?」

「タイバ様、おやめください! ……あッ?!」


 呼び掛けの途中で美名は感じ取った。遅れてだがすぐに、クミも気が付く。

 足元が――沈む。


「……この地面、また、!」


 識者の魔名術は、グンカの外套衣にかけられた「重化」だけではなかった。


「もう踏ん張りが利かないくらい、柔らかくなってるよ!」

「私を……重くしたのは……このためかッ!」

「飛ばれるとまた、を降らせてくるかもしれんからのぉ。しばらくその中で静かにしておれ。あとでしっかり、更紗の分は弁償させてやる」


 美名、クミ、グンカ。

 三者は背丈もそれぞれだが、一様に――為す術なく、橋の中にその身を呑み込まれてしまった。

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