フカフカの布団とフワフワのネコ

 村長の家、ヒ・ミカメに案内された質素な客室内。

 決して大きくはないが、ミカメが整えてくれたフカフカの布団の寝台。

 美名はその寝台に腰掛け、手の甲、肩口に「ヤ行他奮」の魔名術者から貰った膏薬こうやくを塗りつけている。

 教会堂師の「ラ行波導」魔名術で受けた痛々しい傷跡も、「ヤ行他奮」の「治癒力強化」により、おおむねは綺麗にふさがってしまっていた。今ではもう、肌に少しの赤みが残る程度である。

 旅の先々で生傷をこしらえがちな美名は、「他奮」の魔名術者には人並み以上に世話になっている。

 そのために彼女は、人里付きの魔名術者、たまたま出会ったヒト、とにかくも「ヤ行」の魔名の持ち主には無条件で敬意を持ってしまう性質たちになった。

 その敬意によって今も、虫刺されよりも小さな赤みに、若年の女魔名術師の指示通り、丹念に薬を塗っているのである。


「美名がいなかったら私、『居坂いさか』で人間不信に陥ってた自信があるよ……」


 美名の傍ら、寝台の上で身を丸めているクミ。

 眠るように眼を閉じ、深々としたため息を吐きながら彼女はそう言った。


「あはは」


 悟ったようなしみじみとした言い方に、美名は薬を背負い袋にしまいこみながら笑ってしまう。


「あの教会堂師や悪漢たち、これまでにクミを追い回してきた奴ら……。そんなのばっかりだったら仕方ないだろうけど、ミカメさんやユ様、村長みたいなヒトもいるんだから、大丈夫よ」

「だといいんだけど……」


 ゆらゆらと、クミとは別の意志があるかのように動く尻尾を撫でながら、美名は「ねえ」と声をかける。


「ごめんね、クミ」

「ン?」


 クミは様子を窺うように、片目を開く。


「私がもう少しうまくやってたら、あの堂師から『客人まろうど』のこと、ちゃんと訊きだせてたかもしれないのに……」

「……なんだ、そんなこと気にしてたの?」


 クミの尾がスルスルと、美名を慰めるように彼女の指に絡む。


「なにもアレが一回きりのチャンスだったってわけじゃないんだし。『神世かみよからの使者』だったっけ? 『客人』はどうやら、私みたいな『居坂いさかとは違う世界』から来たヤツのことらしいってことも判ったんだし。美名が気にすることじゃないよ」

「……クミ」

「なにより、今日は二度も助けてもらったからね。美名には、ありがと、ありがと、たくさんのありがとだよ」

「クミ!」


 感極まるといった風で、美名は倒れ込みながらクミに抱きつく。


「ちょっと! 急に抱きつくのはびっくりするから!」

「クミの毛……。フワフワで、今はもういい匂いするねぇ」


 ミカメがふるまってくれた食事のあと、ふたりは揃って湯浴みを貰っていた。

 風雨と土埃とが染みた、澱んだ汚れを取り去った今、クミの身体からはどことなく甘い香りが漂う。

 それを美名は、はばかることなく堪能しているのだった。


「クミは『魔名術』のこと、ホントはやっぱり知ってたの?」

「……どうして?」

「『地面を触れ』って、私に助言してくれた」


 室内灯の揺らぐ光を受け、クミの赤と青の瞳がキラリと瞬く。


「……アイツ、『ラ行』って叫んでたでしょ?」

「うん」

「それで私、美名に教えてもらった五十音図を思い出して、『ラ行』は『波導はどう』だってことも思い出したの」

「……うん」

「最初、アイツは『ラ行』の魔名術らしきもので、光を出したね」

「そうだね。『ラ行』の魔名術者は、光や音を操るよ」

「それで、『波』ってのは光や音のこと……。波動全般のことなんだな、って予測がついた。あとは美名に、アイツの槍との間で、青白い電気が走ったように見えたから、『電磁波』で引き起こされた帯電――『静電気』。それをアイツは武器にしてるって推測しただけ」

「へえ……」

「『静電気』なら逃がせばいい。槍先の金属での放電を弱めるのに、電荷を地面に流せばいいから『地面』云々、ってなったのよ。自分の技の弱点というか、抜け道なのに、アイツ自身も驚いてたね。『アース』や『接地』のことなんか『居坂』では知られてないのかなぁ」

「何言ってるか……、全然判んないや……」


 感嘆する美名の一方、クミは気恥ずかしそうに笑った。


「実は……私もよくは判ってないよ。なんとなくよ、なんとなく。でもそういう、なんとなくの触り程度でも、『科学』や『知識』を、誰もが学べたのが私がいた世界なんだよねぇ……」

「聞けば聞くほど、クミの世界はいいところだね……」

「いやぁ、アッチもアッチで、問題は山積みだろうけども……」

「行き来が出来るようになったら楽しそうだね」

「大混乱だよ、そんなの」

「ふふ」


 美名は室内灯を吹き消すと、クミを跳ね飛ばさないように気を付けながら寝床に潜りこんだ。

 遅めの食事で膨れた腹、湯浴みで温まった身体、今日という日の疲労。

 ふたりはすっかり、心地よい眠気を感じている。


「でも、クミは『地面』に触ってなかったよね?」

「ン?」

「アイツに投げ飛ばされたとき……」


 クミは小さな前肢で顔をこすると、眠たげに「ああ」と呟いた。


「それは私も判んないや。間違いなく、美名に仕掛けたのと同じこと、してたよね……。ネコは静電気耐性あるのかもしれないなぁ」

「ネコ……。クミの世界にはクミみたいな『ネコ』がいっぱいいるんでしょ?」

「うん。ネコ様たちは悠々と過ごしておられますね」

「いいなぁ。フワフワのネコがいっぱい……。クミの世界、行ってみたいなぁ」


(これは、美名がネコカフェなんかに行った日には、卒倒するね)


 夢見るような美名に、「私も聞いていい?」とクミが言う。


「美名はどうしてそんなに強いの?」

「え?」

「魔名術を別にすれば、『居坂』のヒトは、元から格段に強いってわけじゃなさそうだけど、美名は刀振ったり、身のこなし方とかが別格に見えるんだよねぇ……。目玉飛び出るくらい」

「ああ……」


 美名は頬をひと掻きして、「先生のおかげ」と笑った。


「私、少し前まで他のヒト――私は『先生』って呼んでたんだけど、そのヒトといろんなところを旅してたの。刀の使い方や体の鍛え方、ちょっとした勉強や魔名術のこと、地理なんかも、ぜんぶ先生に教わったのよ」

「ふぅん。で、美名はその先生のところを卒業して、自分の魔名を求めてひとり旅でも始めたってわけ?」


 美名は首を振る。


「違うの。先生はある日突然いなくなった。朝、目を覚ましたら、姿がなかったの」

「ど、どういうこと……?」

「判らない。本当に、なんの前触れもなく、先生は消えてしまったの」


 クミは言葉を失ってしまったかのように、ただただ瞬きをするばかり。

 そんなクミに、美名は小さく笑った。


「何かに巻き込まれて死んだ、とかなら、先生に限ってそれはないよ。私なんかより断然強くて、的確な判断ができるヒトだったから……」

「じゃあ、自分からいなくなった……。あるいは、言いたくはないけど、その『先生』以上の何かに……」


 美名はクミに、またも笑顔を返した。

 

「先生はゼッタイ無事だって私は信じてる。だから、私の旅の目的はもうひとつ、先生を見つけ出すこと。『オ様』に魔名をもらうだけだったら、ひとところに三年くらい留まれば、そっちのほうが確実なんだけど、先生を探したいってのもあるから、私はいろんなところを回ってるのよ」

「その先生って……男? 女?」


 クミのいじわるそうな言い方の意図を図りかねながらも、美名は「男だよ」と答える。


「ふぅ~ん……。そっかぁ……」

「なに、なに? なんなのよ、クミ?」

「なんでもないっスわ~」

「なんなのよ!」


 美名はやおらクミに覆い被さると、その小さな体を両腕に抱えこんでしまった。


「ぎゃぁ、また捕まった!」

「クミってば、あったかいよねぇ」


 美名は、傷の癒えた自身の手の甲を、クミのフワフワの前足にこつんとぶつける。


「なに?」

「私の名前は美名。アナタは?」

「なに、なんなの?」

「いいから、答えて」

「私はクミ。……って知ってるでしょ? どうしたってのよ?」


 「魔名教の挨拶儀礼」を知らずに目を丸くするクミ。

 彼女になんの解き明かしもしてやらないで美名は、ふふふと笑ってえくぼを作る。

 布団の中でそうやってじゃれ合っているうちに、美名はいつのまにか眠りに落ちていた。


(美名……か……)


 眠気を自身も感じつつも、クミは傍らで寝息をたてる少女を眺める。

 夜目が効くようで、暗がりの中でも、クミには美名の相貌をあますところなく見て取ることができた。


(なんて真っ直ぐで、可愛いだろう……。私がこの『居坂』に来たのに理由があるのだとしたら、それは、この娘に会うためだったんじゃないかって思える……)


 クミの色違いの双眸。

 その目頭から、涙が零れる。


(ミユキ……。できることなら、もう一度、あの子を……)


 祈るような思いの中で、クミもいつしか眠りに就いた。

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