大河とふたり 3

 美名はすぐ横の明良あきらに顔を向ける。

 再会してから初めてじっくりと眺めた少年の横顔は、たった十数週ばかりしか隔てていないというのに、凛々りりしさを増して星明かりにえていた。


「『話』って、魔名……。私の魔名のこと……」

「そうか……。そうだな。お前は魔名を貰えたんだったな」


 「違うの」と美名はかぶりを振る。


「……色々あって、まだ……」


 それから美名は、明良と離れていたあいだのことを話した。

 ヘヤでは「仮名かな」を授かれたが、「名づけ師」のトジロとは会えなかったこと。

 サガンカでクメン師と、偶然にも出会うことができたものの、受難があり、「名づけ」には至れなかったこと。

 今日の昼間、「名づけ」を授かる段で判った、「美名の才覚」――。


「……私が授かるべき魔名は、『ワ行劫奪こうだつ』。そのことを……明良に伝えたかったの。それが、私の『話』……」

「……なぜ? なぜ俺に……わざわざ伝える?」


 突き放すような明良の言葉尻に、美名の心は少しだけ痛んだ。

 しかし――。


「俺に気をつかったのか?」


 顔を向けてくれた少年の顔に、その痛みもすぐに忘れる。

 青灰せいはい色の瞳に星を映して、明良は優しく、うららかに微笑んでいたのだ。


「……『劫奪者』は、見つけ出すことができた」


 明良の言葉に、美名は目をみはる。


「正確には……『ワ行劫奪』ではなさそうなんだが……、の魔名のことは、俺もよく判らん」

「それじゃあ明良も、魔名を取り戻せたってこと……?」


 少年は首を振る。


「……俺の復讐は終わったんだ。ヤツを倒したとか、魔名を取り戻せたとか、そういう形じゃない。俺はただ、クミに貰えた『明良』という名を誇って、誰にも恥ずかしくない旅路を行くと決意して、俺の復讐は終わった。その決意の旅路に、魔名は必ずしも必要じゃない」

「……」

「だが、美名……。俺が思い描く旅路には、お前がいる。クミと一緒になって、朗らかに笑っているお前の姿が、俺の旅路の行く先にあってほしいんだ」


 明良は美名の紅い瞳を見つめながら、彼女の手を取った。

 夏とはいえ、夜。

 手を通じたお互いの体温は少し冷めていて――心地よかった。


「お前の想いを……、魔名への想いを、聞かせてくれ」


 瞬きをひとつして、二色にしきがみの少女は優しく笑う。


「私は……、魔名に憧れてた。魔名を授かって、皆に祝福されて、どこかに身を落ち着けて、魔名術の稼業で生活をして、誰かと……家族になって……。そういう旅路に憧れてた……」

「……」

「……サナメさんに子どもが生まれてから、もう一度、リントウさんたちをクミと一緒に訪ねたの。おばあちゃんもヤッチも、アユミをすごく可愛がってて……幸せだった」

「『アユミ』が……子の魔名か?」

「そう、タ・アユミ。それが、赤ちゃんの魔名。私たちの『意味のある名』にあやかってくれて、『歩いて行く』、『アユミ』……。旅路を幸福に歩んで行けるよう、名づけたんですって。すごく可愛い、女の子なんだよ……」


 美名は夜空を見上げる。

 真円しんえんには少し足りないふたつの月が、赤と黄で並んで、仲良さげに見えた。


「『劫奪』は覚悟が要る魔名だって、クメン様は仰ったわ。確かに、ともがらからはやっかまれるかもしれない。明良も、『劫奪』で嫌な目に遭ったんだもの、私を遠ざけるかもしれない……。私は、それが心配だった」

「……」

「だけど、クミが言った通り、そんな心配は必要なかったみたい。私が『ワ行』の魔名を授かっても、きっとあなたは変わらずに接してくれる。『劫奪』の魔名は私の旅路のたすけになってくれる。サナメさんたちみたいな、幸せな家を作っていくことができる……。私の心が、いつまでもこの気持ちを忘れずにいたら、きっと……。この夜の景色の中で、私はそう思えた……」

 

 美名は少年の手を強く握り返すと、彼の瞳を見つめた。


「私は、魔名を授かるわ。明良は祝福してくれる?」

「……ああ。言われなくとも」


 少年は目をつむる。

 星々と暗色にそびえる塔を背景にして、その少年の姿は美名の心を震わせた。


「美名に……、俺のともがらに……、魔名よ、響け」


 つぶやく声。

 頬を伝うしずく

 溢れ出す想いがそうさせたように、少女は微笑む。

 美名は「名づけ」を頂く決心をした。



「……野次やじがうるさい」


 手を離して、ふたたび欄干らんかんから夜空を眺め出してすぐ、明良はそう呟いた。


「野次……?」

「……ニクラだ。なんのかんのと、野次を飛ばしてくる」


 そう言われ、美名は気が付いた。

 あの、チリチリとした異音がかすかに聴こえるのだ。ロ・ニクラの、「明良に語りかける波導術」である。


(そ、そうだったぁ……。んだった……)


 急に顔を赤らめた美名に、ふっと可笑しそうに笑うと、明良は「もうひとりいるぞ」と続けた。


「もうひとり……?」

「……俺たちの『名づけ師』様が潜んでる」


 言いながら、明良は美名の背後に視線を向けて、あごで示した。

 美名が振り返ると、数十歩先、欄干の陰に身を隠すようながあった。

 そのの身は欄干に隠れているが――その横からヒョロリと出ている、――。


「……クミィ! いるのね!」

「……えへへ」


 小さなネコは観念して顔を出すと、バツが悪そうに笑ってごまかす。


「ついてきてたの?! もう!」

「いやぁ……、心配になって……。大丈夫よ! 遠くてよく聴こえなかったから!」

「ホント?!」

「うん、ホント、ホント! 明良と幸せな家庭を築きたいとか、全然聞こえてないから!」

「聞こえてるじゃないの!」

「……ゲッ!」


 じりじりと迫る美名に恐怖を感じたのか、クミは逃げ出す。


「あれは『明良と』って意味じゃなくて! 待ちなさい!」

「ネコは追われれば逃げるものなのよ!」


 橋の上を元気に走り回る、少女とネコ。

 それを眺めて明良は、呑気な奴らだ、と微笑ましく思った。

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