提供と代価

 炊事場と一体となった居室は、広さがなく、家具調度品も最低限といったところ。よく言えば整頓されており、悪く言えば閑散とした印象である。

 立ったままや竹編みの椅子いすに腰を下ろし――身の置きどころもそれぞれな者らに囲まれながら、明良あきらとアサカは、中央の卓に面と向かって座っていた。


 虫蔵むしぐらから場所を移し、明良はさっそく、深夜の来訪の用向きを伝えていた。

 仲間うちで「むしき」と呼ばれる術法を仕掛けられた者がいること。

 アサカならば、その詳細と治癒法、そして、「遡逆そぎゃく」についてなにか知るところがあるのではないか。

 あるのなら、協力してくれないか――。

 だが少年は、用向きを話してすぐ、脈絡のないことを語りだしていた。

 「うろ蜥蜴とかげ」の弱点たりうる逆鱗げきりん。「昏中音くらくあたるおと」の正体予想と獲物の捕食方法。 転生てんせい法やヒトへの使役しえき術、客人まろうどや彼らが行使できる「変理」。美名によって居坂に顕現けんげんした、ワ行劫奪こうだつとその魔名術の中身――。

 どれもかいつまんだ説明だったが、美名は、なぜ明良がこんな話をしているのか、なぜアサカは協力の是非も答えず黙って聞き入っているのか、見当もつかなかった。


 クミが予想してきた遡逆術の効果についても語り終えると、少年は、アサカの顔色をのぞき見るようにした。どうやら、彼の「脈絡のない話」は終わったようである。

 だが、沈黙が少しあってのち――。


「足りんな」


 卓についてから初めて発せられたアサカの言葉は、色よいものではなかった。


「貴様が今した話は、彼らが聞かせてくれたのと重なるものが多い。ものだ」


 「彼ら」のところで目を向けられたのはクメンやメルララだったが、名づけ師ふたりは、バツが悪そうに肩をすくめてしまう。

 どうやら、緊急を要するこの協力要請の場にて、何が行われているのかまだよく判っていないのは自分だけだと悟ると、美名はたまらず、「どういうこと」と少年に訊いていた。


「明良。コレは今、何をしてるの?」

「……『代価だいか』だ。コイツからなにかを引き出す……。なにかを得るには、『興味をそそる話』か『事象』、アサカの好奇心を動かすを提供せねばならん」

「好奇心を……動かす?」

「ああ。かつて、俺がこの家に置いてもらったときは、『同居の代価』として『記憶を奪われた俺そのもの』がヤツの興味の対象となった。おかしな薬や問答、さまざまなことに付き合わされもしたが、そのぶん、記憶がなく、身許みもとも確かでない俺を、アサカは引き取ってくれたんだ。クメン師らもおそらく、この家での寝泊まりの代価として何か語って聞かせたんだろう」


 二色にしき髪の少女に目を向けられたクメンは、恐縮して「はい」とうなずく。


「珍しく奇天烈きてれつな話を聞かせてくれれば宿を貸していただけるとのことでしたので、『烽火ほうか』や『真名宣布せんぷ』の折、さまざまに見聞きしました超常的なことを『代価』として語りました。申し訳ありません……」


 「俺が悪いんだ」とはさんできたのは、椅子に腰かけ、神妙な顔をし、ずっと黙っていたゲイルだった。


「せっかく戻ってきたのに、村を飛び出してったことやケガのことで、親父とまたケンカしちまって……。ウチに泊まるわけにいかなかったんだ。ヤマヒトのほかの家もウチとの付き合いがあるから、俺をかくまったなんて親父に知れたら、その家に面倒をかけちまう。だからってここ、アサカの爺さんのところに逃げ込んだんだが……。それが裏目に出ちまった」

 

 「すまん」と頭を下げるゲイルだが、こればかりは間が悪かったとしか言いようがない。責めることなど当然できず、美名はパチパチと目をしばたたくばかりだった。

 またも沈黙が落ちたなか、アサカが、ため息とともに「以上か?」と訊ねてくる。


「俺が提供できるのは、『むしき』の詳細と治癒法、『遡逆』についての個人的な見解だ。貴様が提示した『代価』では足り得ん」


 相手の言を受けた明良は、血相を変えて立ち上がると、ほとんど胸倉をつかむような勢いでアサカに迫る。


「知っているのか、『蟲憑き』の治癒法を?! 時間がないんだ! 知っているなら話せ!」

「足りないと言っている。貴様、しばらく見ないあいだに野盗にでも落ちぶれたか? 『何かを得たければ力でなく頭を使え』。これも言ったはずだ」

「足りない分が埋められるのなら金も払う! 頼むから話してくれ!」

「……下劣め」


 アサカは、激昂げっこうして掴みかかってきた少年の手を、あくまで静かに払いのけた。


「この居坂いさかでもっとも価値があるのは、魔名教でも人命でもない。知識。自然や事象を解した法則。これらを追究ついきゅうし、思考を積み重ねることにこそ旅路の意義がある。金なんぞは生き長らえるための最低限さえあればよく、その程度ならば今の稼業で事足りる。俺は、俺の興味を引いてくれるものにしか取り合わん。下劣な交渉をするなよ」

「クソッ、あいも変わらずの難物なんぶつめ!」


 悪態をついた明良は、苛立ちを隠そうとせず、大きな音を立てて座り込んだ。

 そうしてまた、場には沈黙の空気が漂う。


 グンカの「蟲憑き」を治癒できる方法を知っているのなら、美名も当然、なんとしてでも手に入れたい。手に入れねばならない。

 だが、どうすればよいのか。

 強く懇願すれば、アサカは応じてくれるのか。

 窮状を訴えれば、この男は首を縦に振ってくれるのか。

 しかし、これまでのやりとりから察するに、それらが効果あるようには思えない。

 明良といっしょに暮らしていたというこのアサカ。

 彼を動かすためには、心情に訴えるでもなく、損得でもなく、彼自身が厳然と宣言したとおり、知的好奇心を誘わなければならない――。


「ワ行劫奪の……、実演はどうでしょう?」


 美名は、ぽつりと提案してみた。


「『奪地だっち』や『奪感だっかん』の術をお見せします。それでお話しいただけませんか?」


 少女に顔を向けてきたアサカだが、おもむろに首を振って返す。


「足りないな。名づけ師から話を聞き、おおむねの推測は立てられた。重みを失くすのは、動力どうりきに似通った原理だろう。人体を構成する組織がそれぞれに持ち得る重みを打ち消すよう、反作用の力を加えるもの。『奪感』とやらはマ行幻燈に近いか。五感に関する精神領域、あるいは頭脳部位。それらに作用し、にしてしまう魔名術。『物貰ものもらい』という術も未名みなから聞かせられた時点で同じように推測は得られている。見せられたところで『代価』に足りはしない」


 ほとんど言い負かされるような形になり、少女はうつむいてしまう。


(何か……、何かないの?)


 なんでもいい。

 この難物、アサカが納得するようなもの――。


 顔を上げ、なにかしらのきっかけがないものかと見渡していた美名は、ふと、炊事場に目がとまった。

 置かれた食器のひとつ。小ぶりのわんである。

 これまで旅してきた地ではあまり見られない形のもの。だが、その椀に似たものを、美名は、あたたかな感情とともに記憶に残している。

 別世界で出会った母と娘。

 ふたりといっしょに囲んだ朝食。

 湯気立つ白米――。


「……神世かみよ


 少女は、ぽつりと呟いてから、アサカに顔を向ける。


「神世の話はどうでしょう」

「神世……。神々の住む地か?」

「はい。神世には、馬も動力も使わずに速く走る、くるまというものがあります。とっても綺麗な硝子がらす窓が、普通のヒトの家にも、大きな家にも、当たり前のようにたくさんあります。手に収まるくらいに小さな箱で、なんでも調べることができるし、ラ行の魔名でなくても遠くのヒトと話すことができます。『ネコ』っていう可愛い愛玩あいがんが、町中まちなかを気ままに歩いてます。神世には……、神世には『神様』なんて見当たらなくて、居坂と何も変わりない、優しいヒトたちが暮らしてます――」


 少女の言葉が重ねられるたび、アサカの目の色が変わっていく。

 「代価」として足りる手応え。

 美名だけでなく、見守る者たちも、それを確信した。

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