真名神代伝
ブーカン
第一章 魔名なき者たち
少女とネコ クシャ編
名のない少女と神代の遺物 1
「すみません」
少女は畑の
「……ン?」
中年の女は、
「あんれ……」
農作業者は手を止めて上体を起こすと、ひとつ伸びをした。そうしてあらためて、声をかけてきた相手――少女の姿に目を
「えらく……可愛い娘さんだこと」
褐色で薄手の
光の当たり具合で金にも銀にも見える、色素の薄い髪。腰のあたりまでありそうな長髪にはクセがあり、フワフワとした羽毛のような触り心地を予想させる。
ともすれば、冷淡な印象を抱かせかねないほどに美しく整った面相。しかし、少女が絶やすことなく浮かべている微笑みと、それによって作られるえくぼは、彼女の纏う雰囲気にほどよい愛嬌を加えており、そのような心配は必要がなさそうだった。
「なんだい? どうかしたのかい?」
女は自身も満面の笑みでもって少女に問い返す。
少女がひとつ瞬きをすると、そのまつ毛の長さ、そして瞳が深紅であることにも、女は気が付いた。
「この里には今、『オ様』はいらっしゃいませんか?」
「『オ様』っていうと……、『名づけ術』の『オ様』かい?」
「はい」と少女は頷く。
「いんや。今はどの『オ様』も、このクシャにはおわしていないはずだね……」
「そうですか……」
落胆する少女の様子に、女は彼女に歩み寄ると、「私はヒ・ミカメ」と言いながら手の甲を少女に差し向けた。
これは「
対する少女も自身の右手の甲を女に向けるが、自らの「魔名」の披露までには至らず、どこか言い淀む様子である。
そんな彼女に、女は「ふふ」と笑みを零す。
「アンタ、『魔名』がないんだろう?」
少女は深紅の瞳を丸くして、パチパチと瞬きをした。
「わ……、判りますか?」
「『名づけ術』師なんて放っておけばそのうちやってくるのに、わざわざ探してるってことは、何か訳アリだってのはすぐに判るさ。それに私も『
「未名」という言葉に少女は身体をピクリと強張らせたが、目の前の人物が過去に自身と同じ境遇であったことに感じ入ると、その強張りもすぐ解かれたようだった。
「アンタの『
「……ありません」
「そうかい。もしかすると、『未名』って呼ばれるのも……」
「キライ……なんです……」
少女が遠慮がちに言った言葉に頷くと、女は少女の手の甲と自身の手の甲を触れ重ねた。ここまでが「魔名教徒」挨拶儀礼の一連であった。
「判るよ。私も『ミナ』って呼ばれるのはどうにも嫌いだったんだよね。周りも『未名』の子が多くて、みんな『ミナ』って呼ばれてて……。ひとくくりにされてるようで、気持ちが悪くて、ね」
「ホラ」と畑そばの道が続く先、木柵に囲まれた建物群を女は指し示す。
「クシャはすぐそこだ。小さいけれど教会堂もある。何か『オ様』について教えてくれるかもしれないから、寄っていきな」
「はい。そうします」
「私だって『ハ行去来』なんて便利な『魔名』をいただけたんだ。そう遠くないうちに、アンタもきっと、いい『魔名』をもらえるよ」
「ありがとうございます」と、少女は深々とお辞儀をした。
「
女はクシャへ歩みゆく少女に向かって、「魔名教」の加護の言葉を捧げた。
道々、少女は振り返る。
加護をくれた女性が見送ってくれているうちも、豆粒のように小さくなって、農作業に戻った様子になってからも、そうして振り返っては何度も大きく手を振った。
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