海霧と火球の雨 2

「おっかしぃなぁ……。海霧うみぎりが出るような天気でも、時間でもなかったんだがなぁ……」


 帆を上げ、各所に篝火かがりびを灯し、海の男たちが首をかしげながら甲板上に集合してくる。

 舟番頭、ル・ゴウラも神妙な顔をしながら美名とクミのところに戻って来た。


「霧がかりの中で船を動かすわけにはいかねぇ。ひとまず、この場に留まって様子を見るからな。美名ちゃんとクロにはワリィが帰りは少し遅くなるかもしれんぞ」

「はい、それは構いませんが……」


(少し、嫌な予感がする……)


 美名は無意識に「かさがたな」の柄を握っていた。


「寒いわね……」


 ヒゲ毛をピンと張り、シャラシャラと首元を鳴らしながら、小さなクミが震える。


「こんな気温が下がるわけもねぇんだがなぁ……」


 その時だった。

 ゴウラの禿頭とくとうかしぐだけの静謐せいひつ霧中むちゅうにおいて、美名の耳は、迫りくる異音を聴き取ったのだ。


「……危ないッ!」


 叫びとともに「嵩ね刀」をさやばしらせ、美名はル・ゴウラの背後を切り抜いた。

 直後、一同の両脇を明滅の光線が横切り、霧の中に消えて行く。


「……なに、なに? 今の、ナニ?!」

「皆、固まって! 襲われてるッ!」

「お、襲われてるぅ?!」

「『動力どうりき』使いがいるわ! 今のは『焔矢ほむらや』よ!」

「『焔矢』ぁ……?」


 その魔名術の名に、クミは美名と出会ったときのことを思い出す。

 自身を捕まえようとしてきた悪漢の中に「カ行動力」の魔名術者がいたのだ。

 いやしい笑みを浮かべつつ、美名に向かって平手から火球を発したのだ。

 寒さのためか、その記憶を思い出したためか、クミの身体はもうひとつ、身震いをする。


錐魚きりうおの大群といい、『焔矢』といい、この船、呪われてでもいるんじゃないのッ?!」

「……来たわ! 伏せてて!」


 事態の急転を未だうまく呑み込めず、美名の言う通りに身を寄せ、腰を落とす一同。

 そんな一同に向け、白霧はくぶから突然に現れる炎の矢が、空気を焦がし、轟音と熱波を伴って飛び来る。

 その射線は船を取り巻くあらゆる方向から。

 その数は瞬きする間に幾本いくほんにも及んでいく。


「嵩ね刀ァッ!」


 そんな火球の集中を、美名は「嵩ね刀」を振るって撃ち落としていく。

 クミは友人のそのおもてに、先ほどまでの「錐魚の迎撃」時とは違う色を見て取った。


「美名ぁッ! ダイジョブ?!」

「……『焔矢』が! 重い!」

「……重い?」


 首を傾げたクミに、禿頭の舟番頭が「高段こうだん術者だ」と呟く。


「同じ魔名術でも、熟達に伴って、段が上がるにつれて、威力や効果が上がる。美名ちゃんがこれまでに相手にした『動力』術者がどの段かは知らねぇが、少なくとも、それよりは上の段の魔名術者が襲ってきてやがるんだ……」

「そ、そんな……」


 クミは想い起す。

 悪漢の「動力使い」は「キ」――「カ行の段」の魔名であったことを。


(……今、私たちを襲ってきてるのは、『ク』以上の魔名術者?)


「だぁっ!」


 ふるい声の美名のひと振りで裁ち切られた『焔矢』を最後に、場には静けさが戻った。火球の出現と集中が止んだのだ。

 銀髪の少女は呼吸を荒く、肩を上下させている。


「美名……。お、終わったの……?」

「判らない……。霧のせいか、術者がどこにいるか、まだ近くにいるのか、判らない……」

「まさか……この霧も……魔名術?」


 クミが思い至ったのと、くぐもったような打ち鳴らしの音が聴こえてきたのは、同時だった。

 音の正体はどうやら、拍手かしわでのようである。


「素晴らしい動きです」


 続けて、これもまたくぐもった低い声。

 美名を褒めながらも、その言葉が淡々としていることにクミは不気味さを覚える。


「『客人まろうど』は明け渡してもらいます」


 不気味な声が襲撃の目的を告げるや否や、次の瞬間には霧の囲みの中に数十に及ぼうかという炎の色が灯った。

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