霧中会見と刀傷の治癒 2

 一瞬、霧が乱れたかに見えたが、すぐにまた、周囲は前後不覚の景色に戻る。


明良あきら様。私に『あなたを打ち倒せ』とは、ご乱心なさいましたか? あるいは……」

「ゼダンに操られているなどといった心配なら無用だ」


 少年は、相手がどこにいるとも知れないなか、ただまっすぐに白い霧を見据えた。


「俺こそ、ギアガンとヒミとに恨まれても文句が言えない立場だ。俺が、もっと早くシアラの本性を見抜いていれば、あのふたりは、魔名を返上せずに済んだかもしれない。彼らを足蹴あしげにする必要もなかったかもしれない」


 少年の刀を握る手が、かすかに震える。


貴方あなたが平手を向けるべき相手は、まずは俺。そういうことにもなろう」

「……そんなことはありません。師もヒミも私も、仇敵に一矢いっしを報いてくれ、遺骸を取り戻し、弔いまでしてくれたあなたに感謝こそすれ、恨むはずがありません。私があなたに平手を向ければ、それこそ、我が師に顔向けなどできなくなります」

「そう言ってくれるのなら、どうか収めてほしい」


 動力どうりきの熟達を相手にして、明良は切実に願う。

 これが届かねば、ゼダンとの約束――大都だいとの軍備を諦めさせることも叶わなくなる。どころか、この忠義の大師を、戦禍を引き起こす張本人にしてしまいかねない。

 明良は、ここでグンカと衝突することになろうと、それだけは止めたかった。


「ギアガンとヒミと貴方と……、動力の大家たいかが俺に恩義を感じている。感じてくれている。そのことを充分承知のうえで、利用するようでもある。だが、それでも、あえて頼む。どうか俺に免じて、これ以上ゼダンを……、大都の領域をおびやかさないでほしい」


 霧中むちゅうの動力大師は、少年の切願をどんな面持ちで聞いているのか、どういう心持ちであるか、判別もかなわない。

 明良にできるのは、ただ言葉を尽くすのみだった――。


「俺のこの懇願を無下むげにし、なおもゼダンの首を狙いにいくと言うのなら、まずは、この恥さらしの首を燃やしてからにしてくれ」


 差し出すように、明良はこうべを垂れる。


 それから、霧のなかの沈黙は長かった。

 ひとりは、深く頭を垂れたまま。

 ひとりは、霧のなかで息を殺し。

 ひとりは、少年の背後で固唾かたずを呑む。

 息することさえはばかられるような静けさが、ただ長かった。


「心気を惑わされていないのならば、どういう心情なのでしょう」


 沈黙を破ったグンカの言葉。直後、かかっていた霧が瞬時に晴れた。

 綿雪わたゆきを落とす曇天どんてんを背後に、ヒトが浮いている。動力の熟達者は、少年と少女とを苦み走った顔で見下ろしていた。


「明良様も、あの悪辣あくらつにはおおいに辛酸しんさんを舐めさせられたでしょうに……。あの簒奪さんだつ者のため、なぜ、そこまでなさるのです……?」

「ゼダンのためではない。大都の……、居坂いさかともがらのためだ」


 ゆっくりと顔を上げた明良は、宙に浮かぶグンカを正視する。

 相手も相手で、少年の視線に真っ向から受けて立った。


「ヤツが悪辣であることは間違いない。だが、少なくとも、大都に対してだけは真摯しんしだ。自らを『帝王』などと……、『幸福に導く』などと言うだけのことはある。ヤツのそつない善政は、新しい大都を平らかにしつつある。この半年、ヤツのそばにいて身に染みた事実だ」

「……」

「ヤツに協力しろ、とまでは言わない。俺だって、ヤツに心酔する気などありはしない。ただ、ヤツがみちを踏み外すことがないよう、居坂に対して真摯であり続けるよう、恨みの矛先を収め、俺と同じ役目にいてはくれないか? 共にゼダンを見張ってはくれないか?」


 射るような視線を浴びる明良は、かつて、ギアガンやシアラ、そして、ゼダンと対峙した際に痛感したのと同様、身を潰されるような威圧を、この新任大師からも感じ得た。


「頼む……。グンカ師……」

「……それは、ゼダンがふたたび路を踏み外せば、踏み外そうとしたなら、あなたは、彼を誅滅ちゅうめつするべく動く。自ら進んで刀を取る。私にその助力をさせてくださる。そういう約定やくじょうととらえてよろしいのですね?」

「ああ。無論だ」


 明良は、頷いて返す。

 動力大師は、少年の心中しんちゅうを見極めようとするかのよう、しばらく黙って見下ろしつづけた。


 やがて、「判りました」の声とともに、グンカが降下しだす。


「これより、コ・ギアガン門下、当代カ行動力大師を拝命するコ・グンカは、その約定を結びます」


 白衣をまとった総髪そうはつ十行じっぎょう大師たいしが、地に降り立つ。


「私が預かる第二教区を挙げ、可能な限りの協力体制をとりましょう。しかし、それは、大都とではない。ましてや、ゼダンとでもない。我が師とヒミとをいたんでくださり、輩の安寧あんねいをひたむきに願う、あなた。明良様とです」

「そ、そうか……。承服して……くれたか……」


 刀を鞘に納めると、少年は、深く頭を下げた。


「……心苦しい決断をさせてしまい、すまない」

「いえ」


 短く答える相手には笑みなど浮かびようもないが、もはや、霧のように充満していた敵意を、明良が感じることはない。


 ひとまずは、ひとつめ。

 軍備を撤回させるため、明良がゼダンと交わした約束。コ・グンカと――第二教区と大都との衝突は避けられる見通しが立った。

 ともすれば、グンカ大師の戦闘能力と真っ向から対峙しなければならなかったこの場、戦禍が起こるやもしれなかったことを思えば、まだ道半ばとはいえ、少年には、安堵の息が自然に零れるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る