夢乃橋事変の少女とネコ 1

ゴーン ゴーン……


 時刻を告げるかねが鳴る。うしの刻を報せる、きの鐘――。


「時間ね……」

「うん」


 欄干らんかんに身をもたせた少女と、欄干に寝そべる小さなネコ――。

 ふたりの姿は「大橋」にあった。


 夜が深まるにつれ、橋の上でのヒトの往来は少なくなっていった。の刻を過ぎたあたりからは、人影ひとつ通ることもない。

 の刻。「夢乃橋ゆめのばし」の策の中で、幻燈大師モモノが「夢映むえい」を放つ段取りになっていた時刻である。

 深夜で人出ひとでも激減してはいるが、それでも橋を渡ろうとする者がいた場合、この術のもとでは、彼らは町はずれの「幻の大橋」に向かうわけではない。

 「を渡る」という思考であるため、認識できていない「本物の大橋」でも、遠くにあると「幻の大橋」でもなく、町中まちなかにある別の橋を渡っていく。

 「大橋」そのものに用がある者――「魔名解放党」の「烽火ほうか」に関わる者だけが「幻の大橋」に向かうのだ。

 ゆえに――。


「……んもう! まただわ!」


 クミは、欄干を離れてトコトコと歩き出した美名に気付くと、呆れたような声を出した。


「ちょっと、美名! 止まりなさい!」

「え……?」


 振り返った美名は、不思議そうにクミを見つめて来る。


「どこ行くつもりよ?」

「どこって……、私たちの役目は『大橋』の護りじゃない。早く行かないと……」


 クミは大きくため息を吐く。

 壮大な幻燈の魔名術は、のだ――。


「ここはどこでしょう?! はい、美名ちゃん。答えて!」

「ここ……? ここは福城ふくしろだよ?」

「違う! もっと、ちいさぁ~い規模でお答えください!」

「小さい……、橋の上?」

「そう! どんな橋?!」

「どんなって……、福城の……大橋……、あ……」

「思い出した?」


 照れ臭そうに頭を掻いて、美名は「うん」と頷く。


「ありがと、クミ。ちょっと気を緩めるとダメだわ、私……」

で、私がココに回された理由がなんとなく判ったわよ……。あんのモモ大師、きっと、私に魔名術が効かないってこと、知ってるんだわ……」


 これで、このようなやりとりは三回目である。

 「幻の大橋」に向かおうとする美名を、幻燈の影響下にないクミが呼び止める構図。


「それにしても……、ってことは、私の『魔名術無効』は、なものなのかしらね。幻燈術者の筆頭、モモ大師の術まで効かないんだから……」

「すごいよね、クミ」

「感心してないで、美名も気をしっかり持ちなさいな! なんでそんなに注意散漫なワケ?」


 照れ臭そうに頭を掻いて、美名は「いや」と答える。


「ちょっと……、思い出してて……」

「思い出す? 何を?」

「いやぁ、ここにいると、そのぉ……」


 美名の煮え切らない言い訳に少しばかり思いを巡らして、クミはニヤリとした。


「はっは~ん……。さては、明良あきらね」

「……うぅ」

「この、思い出の橋、同じ星空! 明良との逢瀬おうせの夜!」

「ちが……、違うって……」


 たじろぐ美名に、クミの調子はますます上がる。


「デートして、家族作ろうねって言い合ったことを思い出してるのね! なら、ちょっと気が抜けてるのも仕方ない!」

「……違うって言ってるのに……」

「ひゅうひゅう~! ひゅひゅっひゅ、ひゅぅ~! 結婚式には呼んでよね!」

「……もう!」


 不貞腐ふてくされたように、美名はクミに背を向けてしまった。


「あっらぁ~……。美名さん?」

「……」

「怒った?」

「……知らない!」

「……怒っちゃった?」

「……知らないってば!」

「ごめんよぉ~……。私のからかい癖はね、もうこれ、どうしようもないんですよ」

「……知ってる!」

「あっらら~……」


(……これは、話題をむりくりにでも変えないと……)


「そういえば、劫奪こうだつ! もう全快した?」

「……」

「まったく、魔名術ってホント不思議よねぇ~……。いきなり使えるようになるんだもの。でも、美名? 戻るっていう確証がないんだから、『奪感だっかん』だっけ? あんまり使わないでよね」


 「ワ行・奪感だっかん」――。

 ロ・ニクラとの戦闘で美名が咄嗟とっさに発動させた「ワ行劫奪」の魔名術である。「奪感」という名称は、「感覚を奪う」効能から美名自身が名づけていた。

 彼女が初めて身に着けた魔名術ではあるが、発動させたのは先の一回だけということもあり、美名自身、未だ不明確な部分が多い。


 自分以外の「誰か」の感覚を奪うことは可能なのか?

 聴覚以外に奪えるのか? 視覚や味覚、触覚は?

 奪った感覚は自然に回復するのか? 回復するきっかけがあるのか?

 正しい表現かは判らないが、奪った感覚はのか? のか?


 美名が昨日の戦闘の負傷から全快したのは夕方ごろであったが、以降にこれらを検証しようにも、「感覚を奪う」という効果では、失敗したときのことを考えると安易にできるものでもなく、そうこうしているうちに「夢乃橋」決行の段となっていたのである。


「……こうなると、他のぎょうの師弟制度みたいなの、やっぱり必要よねぇ……。せめて、劫奪についての資料とか欲しいわ。手探りすぎて危険よ……」

「……」

「もしもぉ~し、美名さぁ~ん……?」


 クミに背中を向け、そっぽを向いたまま、美名は身じろぎひとつしない。


(まだ怒ってるよぉ……。仕方ない。ここはひとつ……)


「……あ~あ。なんだか、大丈夫そうよね、ここ」

「……」

「モモ大師の術はしっかり効いてるし、『解放党』も皆、『幻の方の大橋』に行っちゃってるんだよ、きっと。私たちも明良に合流しましょっか!」


 実際、そういう段取りではあったが、クミの提案には少しばかり、「ご機嫌取り」もある。からかうだけからかって、ヘソを曲げられるのには弱いネコであった。

 しかし――。


「いや」

「……えぇ~……」


 美名の呟きに、クミは意気を落とす。


「ごめんね、美名ぁ。機嫌直してよぉ……」

「……え、いや、そうじゃなくて……。ほら、クミ。あれ……」


 そっぽを向いていた美名は、その方向に指を差す。


「……ン? あれ? え?」

「何か……、近づいてきてない?」

「何……?」


 美名が指し示すは、城喜しろき川の流れ。大河の上流方向である。

 夜空を映す川面に、クミも目を凝らしてみる。

 すると、夜目が利く彼女もまた、反射された星空に浮かぶを捉えた――。


「……舟……かしら……? 小さいわね」

「誰か……、乗ってるわ」


 川の流れに乗って、小舟はどんどんと近づいてくる。次第に大きく、はっきりとしてくる接近者の輪郭――。


「なんかあのヒト、こっちに手か……、何か、振ってない?」

「……いや、え? アレって……」


 舟はもうすぐそこ、声を張れば届きそうな位置にまでやってきた。

 接近者の風体ふうてい、容姿もなんとか判別できる距離――。


「やっぱり、あのヒトって……」

「タイバ様!」


 川の流れでやってきたのは、禿頭とくとうにふっくらと福々ふくぶくしい帽をかぶり、美名とクミに向かって杖を振って微笑む、識者しきしゃ大師、ノ・タイバであった。

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