波導の少女と風韻の魔名術 3

「く……、うっ!」


 ニクラの宣言に美名はうめき、身をよじる程度でしか答えられない。

 身体が思うように動かず、耳が狂い、視野は狭い。


「『風韻ふういん』は、感覚を損なわせる波導の魔名術……」


 じりじりと、もったいぶるように小刀を近づけながら、ロ・ニクラは言う。


「今は無い、太古の魔名術よ……。この術を極めて私は……、『雷電らいでん』なんか……超えてみせる……」


 ひと言ごとに、美名の首筋に鋭い刃が迫り来る。

 しかし、相手が身動きできないと確信している気の緩みか、ロ・ニクラはどこか、心ここにあらずといった様子でもある。

 だから、――。


「……こんのぉッ!」

「ッ?!」


 ニクラの右手首を、美名はわしづかみにした。

 彼女の身体の自由は戻ったのだ。

 とはいえ、間一髪ではある。小刀の切先は脈道みゃくどうかられたものの、取り押さえた衝撃で刃がかすめたのか、首筋の白肌には鮮血が浮かんだ。


(「打擲ちょうちゃく」を食らわすには、間合いが近すぎる!)


 美名は「かさがたな」のつかから手を離すと、ニクラの顔面に目掛け、拳を放つ。


「何故ッ?! 早すぎぃ……ぁぐぅッ!」


 不意をかれたのと、片手を美名に掴まれてたのとで回避をとれなかったニクラは、顔面へのまともな拳を受けた。身体がぐらりと揺れる。


「……もう……いっかぁいッ!」


 掴んでいた手首を離し、美名は二撃目を見舞うため、拳を引いた。

 だが、相手もさるもの――。


「……く、ふぅ、明光めいこうッ!」

「うッ?!」


 ほどかれた手首を返し、ニクラは咄嗟とっさに「ラ行・明光」の光を放ってきた。

 目くらましにあって美名の拳は、手応えなく空振る。


「……ニクラッ!」


 三、四度瞬きを繰り返し、体の震えを少し残しながら、立ち上がる美名。

 視界が戻ると、一本道の数歩先にニクラがいて、ほほを手で抑えて美名を睨んでいた。

 信じられないといった驚愕の眼光と、憎し心で射殺いころそうとするほどの、敵意の眼差し。鼻孔からは、美名の拳打けんだ内部なかの血管を切ったのだろうか、ひと筋の血を流している。


「やっぱり……、『明光』にも回復が早すぎる……。この野生児め!」

「……今の一瞬に逃げてないってことは、さっきのは……効いたようね」

「逃げる……?」


 波導の少女はきだした歯をギリリと鳴らす。


「……逃げやしない。君は……絶対に……、殺すッ!」


 宣言を受けた美名は、直感で察していた。

 目の前の少女ロ・ニクラは、おそらくヒトを殺めたことはない。

 数多あまた野盗やとうを相手にしているうち、美名は自然と、相手の立ち居振る舞いや眼光から、茫洋ぼうようとではあるが判別できるようになっていた。対する相手の、「明確な殺意でもってヒトを殺した経験の有無」を。

 身近な例でいえば、明良あきらとクメン師は。モモノ大師、二色にしきがみ調ととのえてくれた識者しきしゃの大師、ノ・タイバ老師などは、

 その直感が美名に告げている。ニクラにはまだ、その経験はない。

 しかし、平手をかざした少女を目の前にして、美名の直感はこうもささやいてくるのだ。

 「今、この場が死地となる」。

 対峙するニクラの瞳には、禍々まがまがしくもハッキリとした、と同質のが宿りつつあった。


(……来るッ!)


「ラ行・風韻ッ!」


 ニクラの平手が光った。


キッキキィン……


 二撃目ともなれば、美名の感覚は「風」の襲来を充分に捉えられる。

 一本道の小さな水流に、大きな「波」が起きている。土が舞い、木々の枝葉がザワついて流れてくる。「風」が迫り来るさまが目に見えて判る。

 しかし――。


(速いッ! 「嵩ね刀」を拾って構える暇がない! 左右も挟まれてて、逃げ場がない!)


 美名は「風」に対し、腕を交差させ、頭部を守る姿勢を取った。


キキィィイン……


(さっきのあの魔名術の威力からすれば、これでもなんとか耐えられるはずっ!)


キキンキィン……


 しかし、彼女のその目算は崩れた。彼女自身の体勢が、「風」を直前にして突如、グラリと崩れたのだ。


「ッ?!」


 視界がせばまり、動悸が襲う。


(まただッ!)


 美名の身体は芯を失ったかのように、ふらふらと揺らめく。

 そして、その直後に「風」が襲来。頭を守るように構えていた両腕はダラリと垂れており、美名はほとんど無防備であった。

 「風」は直撃した――。


「うぅッあッ!!」


 小柄な少女の身体が宙に飛ぶ。

 鈍い音――「風」で彼女の体重の何倍もの負荷がかかったため、あばらの辺り、骨が折れたであろう音も周囲に響いた。

 しかし彼女は、骨折の痛みも、「風」の衝撃も、自分が今、宙に投げ出されていることも、

 先ほどと同じ、「感覚の混乱と喪失」の只中ただなかにある――。


(この魔名術……、「風韻」! なんとかしないと、なぶり殺されるッ!)

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